今回は、
母は娘を「自分自身」だと思ってる?!
というタイトルでお話してみます(引き続き母親ネタブームです笑)。
読んで字のごとくです。
母親は、娘に自分自身を見る、同一視する、ということが本当に多いです。まったく無意識なんですけれどね。なので話はますますややこしくなるわけですが。
「なぜか、自分と同じように娘の私も考えているはず、と思い込んでいる節がある」
「どうして私(娘)はそんな扱いで良いと思えるんだろう?」
みたいな疑問を持ったことがあるとすれば、お母さんは恐らくあなた(娘)に自分自身を見ていて、自分とあなたの境界線がとてもあやふやだったり、境界線がなかったり、という可能性がとても高いです。
どこからそれが始まるかというと、本当に一番の最初は、娘が生まれた時とも言われています。
文字通り、娘は母親の分身みたいなものですから、当然といえば当然かもしれません。
そしてやっぱり、次女(以降)よりは長女にそうしてしまう傾向がありますね。だって、長女がその役割を担ってくれれば、それ以降の娘はそのまま「娘」として見やすくなりますので。
で、母親が、自己肯定感やら自己価値感が満タンで、自分のことを宝物のように扱う人なら問題ないわけです。娘も同じように大切に大切に扱うでしょうからね。
(というか、そもそも健康な自己肯定感が育っている人は、自分と娘を同一視することもないはずですけれど。「自分」はこれでいい、と思えている状態であれば、「自分」と「他人(娘)」の区別も適切にできますからね。)
問題は、母親が自己肯定感も自己価値感も皆無!の時。
そんな時、母親は既に自分自身をまるで何の価値もないもののように扱っています。
そして、それと同じ扱いを、自分自身のコピーである(と勝手に思っている)娘にもすることになるのです。
娘からすれば、何て良い迷惑!という話です。でも、
「あぁ…思い当たる節がここにもあそこにも…」
と、今ご自分のお母さんを思い浮かべている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
恐らく、お母さん自身も自分の母親との境界があいまいで、母親からコピーとしての扱いを受け、苦しい思いをされてきた方も多いと思うんですね。
その中では、健全な自己肯定感や自己価値感を育むことはほとんど不可能だったでしょう。
そして、自分が知らずに育ったものを娘に与えたり娘との間に作れるかというと、恐らく無理ですよね。
家族に伝わる、ちょっと切ない連鎖とも言えます。
で。
恐らく、とても聞き分けの良い頑張り屋さんの皆さんは、そんな話を聞くと、
「そっかぁ、それじゃ、私から一方的に『酷いじゃん!』なんて怒ってはいけないな、お母さんだって苦しんだんだし、可哀そうだもの」
と、すっかり良い子になって自分の怒りやら悲しみやらの気持ちに蓋をしてしまうことが多いです。
忖度してあげちゃうんですね。
それ自体はとても心優しいあり方ではあります。さすがだと思います。
でも。
でも、です。
自分の気持ちに蓋をしてしまうのは、自分には優しくない、ですよね?!
このところずっと言っている気がしますが(笑)、「理解」してあげたとしても、自分の気持ちを無視する必要はありません。
「理解はできる(あるいは、理解する意欲はある)。でも、やっぱり私は悲しかったんじゃー!」
で、最初は良いのです。むしろ最初はその方が良いのです。
自分の気持ちは、何より大事なのです。
自分ファースト上等です。
自分の気持ちを十分に受け止めて解放して、気が済んだらやっと
「やれやれ、そろそろ冷静に『理解』とやらを学び始めてやろうじゃないか」
くらいで良いのです。
良い子な頑張り屋さんは、それでやっとバランスが取れ始めるかな?くらいですよ♪
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7月11日(土)20:00~22:00
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(セミナーは終了しました。ご参加ありがとうございました。)
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閑話休題。
近所の公園です。
結構な大木がたくさん植えて(残して?)あります。
ランニングや散歩や、通勤・通学のために自転車で横切ったりと、日常生活の一部になっています。