「敢えて幸せを感じない」ことに、メリットがある?

こんにちは、頑張り屋さんの女性を自由にするカウンセラー・コーチ、コバヤシアキコ@オランダです。

 

前回からまた何となくシリーズを始めた、

特に問題はないはずだけど、幸せ感もあまりない時

のお話。

 

前回は、

「そこそこの幸せで満足しておかなければ、バチが当たる」のような観念があって、

だからこれくらいで満足しなければいけない、と、自分の本当の願いを我慢しているので、

普通に考えればまぁ恵まれているんだけど、なんか幸せ感がない

という思いになる、なんてお話をしました。

 

そして今回は、

「敢えて幸せを感じない」ことに、メリットがある?

というお話です。

 

前回の「バチが当たらない」というのもメリットと考えることもできますが、

それ以外にも、例えば、

「幸せでない」ことを使って、誰かを責めることができる

みたいな心理も結構あります。

 

敢えて幸せを感じないことで、

ほら、私は幸せじゃないのよ、そしてそれはあなたのせいなのよ

と、その相手を責め続けたいんですね。

 

で、相手を責めるのは、それなりの理不尽な出来事や記憶があるからこそ、という面はもちろんあるのですが、

「幸せでない」ことを使って誰かを責めることのメリットとしては、

自分の幸せに責任を持たずに済む

なんてことがあったりします。

 

あなたが○○と言ったせいで、あなたが変わってくれないと、私は幸せになれないのよ、だからあなたが何とかして!

という風に、相手に私の幸せの責任を負ってもらうことができる、んですね。

 

この辺はまた個別にいろいろなお話があるところですが、例えば、

それくらい、自分で自分を幸せにする力に自信が持てないのかもしれないし、

失敗するのが怖いのかもしれないし、

自分が自分を幸せにできるような「大人」だと思えていないのかもしれないし、

そもそも本当に幸せになってしまうのが怖いのかもしれません。

 

(幸せになるのが怖いなんてことある?と思われるかもしれませんが、実は良くある話なのです。)

 

これ、私は母に対して長いことやっていたんですね。

お母さんが言ったあの事のせいで、お母さんがこんな酷いことをしたから、だから私はいつまでも不幸だ

ということにして、自分で自分を幸せにすることを避けていたのでした。

本当に、あいたたた~!なお話ですけれども。

 

こんな時は、

私は何かのメリットがあって(責めたい誰かがいたりして)、「幸せを感じない」ことを選んでいるのかも?

とまずは気づいていけると良いですね。

 

それに気づくだけでも、

「そんな茶番はもうやめよう!」と心の中に突破口ができたり、

「あれ、実は私、既に幸せだったのかもね?」と気づけたりもします。

 

それからもちろん、

その責めたい相手へのわだかまりを整理して手放していく作業や、

自分を幸せにする自信が持てなかったり、失敗が怖かったり、「大人」になりきれていなかったり、幸せになるのが怖かったりする、

その自分を受け止めていく作業も大切です。

それが、逆にメリットに気づくのを助けてくれたりもします♪

 

…というわけで。

「敢えて幸せを感じない」なんて、人間はなんて面倒なことをするんだ、と思うのですが、

実は結構ありがちなこと、ということでお話してみました。

 

だいぶさらっと書いていますが、実際にはセッションでじっくり深めていくことで見えてくる部分もたくさんあります。

一人ではなかなか突破口が見えてこない時は、良かったらお手伝いさせてくださいね♪

一緒に出口を見つけましょう。

 

特に問題はないはずだけど、幸せ感もあまりないシリーズ(長い(笑))、

次回も、また別の視点から書いてみようと思います♪

それではまた次回!

閑話休題。

運河に光る夕暮れ時。