「ありのままの自分」を受け入れるって、
何を受け入れることなんでしょう?
「受け入れる」って、どうすることなんでしょう?

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
「ありのままの自分」も「自己受容」も、
よく聞くけど、意外とよく分からない。
そんな「自己受容」の方法について、
お話してみました♡
◆「ありのままの自分」?「本来の自分」?
「ありのままの自分」という言葉がメジャーになってだいぶ経ちますね。
が、
じゃ、その「ありのままの自分」て何なのさ?!
というと、意外と漠然としていて、結局良く分からない、なんてことはないでしょうか?
しかも、
「ありのままの自分」ときたら、
今度は「本来の自分」なんて言葉も気になるかもしれません。
私は以前、「本来の自分」の見つけ方についても記事を書いておりまして、
よかったらこちらもぜひ読んでみていただきたいのですが、
私は個人的に、
「ありのままの自分」は、「今」のあるがまま・そのままの状態の自分、
「本来の自分」は、「過去・今・未来」にわたる真実の自分、
みたいなイメージでとらえています。
「ありのままの自分」は、「今」の「状態」なので、
「苦しく感じてる」「ムカついてる」「なんかやだ」もあり得るし、
「楽しく感じてる」「幸せだ」「嬉しい」もあり得る、ということですね。
一方、「本来の自分」の方は、
過去から未来にわたっての自分の姿を深く掘り下げることで見えてくるもの、
みたいな感じ。
そんなわけでこの記事では、この二つのうちの前者、
自分の「今」のあるがままの「状態」である、「ありのままの自分」を知る、ということと、
そのありのままの自分を受け入れる(自己受容する)、
ということについて考えてみます。
◆「ありのままの自分」とは、「今」の「あるがまま」の状態の自分。
というわけで、「ありのままの自分」です。
上でも書いた通り、
ありのままの自分とは、「今」の「あるがまま」の状態の自分、なので、
- 苦しく感じてる
- ムカついてる
- しんどく感じてる
- 楽しく感じてる
- 幸せだ
- 嬉しい
- これは好き
- これは嫌い
- これは得意
- これは苦手
- これはやりたい
- これはやりたくない
- 理解はできる
- 納得はできない
- 実は理解もしたくない
などなど、などなど、何でもあり得ますね。
また、なんでもあり得るだけでなく、矛盾したことを同時に感じていることもよくあります。
例えば、
「こんなこと、苦手だし全然好きじゃないしやりたくもないんだけど、
やってあげたら喜ばれるし、喜ばれたら自分も嬉しいからついやっちゃって、
でもやっぱり、たとえ喜ばれてもモヤモヤする部分もある」
とか、
「実は心の中では『私はそこそこイケてる』気がしてるんだけど、
そんなの外に出したら誰にいちゃもんをつけられたり笑われるかと怖いので、
普段は『特に取り柄もない無難な人』を半ば無意識に演じてるし、
結局自分でもそれが本当の自分なのかなという気もしてるし、
でも、そんな無難な人でいるのってやっぱり窮屈にも感じて、でも自分を外に出すにも出せず、
なんかいつも、自分らしさとか自分のエネルギーのフン詰まり感がある」
とか、
「彼・夫は、私のためにすごくたくさん努力してくれてることは分かってるし、
もっと受け取ってあげなくちゃいけないと思うし、そうしてあげられたら彼・夫も嬉しいだろうことも分かってるんだけど、
どうして私の言うことがこんなにも理解できないかな?!って悲しくなるし、
私が本当に欲しいものはこれなのに、それは全然手に入らない気がしてきて虚しくなる」
とか、
これらみんな、いろんな矛盾をかき集めたような感じになっていますよね。
私たちの「ありのまま」「あるがまま」って、
意外とこうして、いろんな矛盾した感情や状態がごちゃ混ぜになっている、
のですよね。
◆「ありのままの自分」を受け入れる(自己受容する)、とは?
と、いうことは、
「ありのままの自分」を受け入れる(自己受容する)というのは、
こういういろんな矛盾だらけでごちゃごちゃな自分を、
「これも私」「こっちも私」と、どれも否定せず受け入れること、
とも言えます。
否定せずに受け入れる、というのは、
やりたくもないのにやってあげちゃう自分も私だし、モヤモヤする部分もある自分も私、とか
無難な姿の自分も私だし、本音では「自分、イケてる」とか思ってる自分も私、とか、
彼・夫の努力を受け取ってあげたい自分も私だし、素直に受け取れない自分も私、みたいに、
ぜんぶ、「それも私、これも私、それが私」とすること、ですね。
でも。
もしかすると、
「ここでモヤモヤしちゃう自分は『良い』わけがなくて、むしろ『悪い』はず、
だからそれを『受け入れる』なんてできない」
みたいに感じる方もいらっしゃるかもしれません。
「受け入れる」とは、それが「良い」「正しい」「望ましい」時にやること、
みたいな感覚だと、そう感じますよね。
でも、自己受容をするときの「受け入れる」というのは、
実はそういうわけではありません。
「受け入れる」というのは、
「良い悪い」の判断なく、ただ、そういう状態らしいと「知る」というくらいの、
とても淡々とした作業です。
なんだか一般的に正しそうだったり望ましそうな(だから自分でも「受け入れやすい」)自分も、
あんまり人からは受け入れられなそうな(だから自分でも「受け入れにくい」)自分も、
それらがいろいろ矛盾して存在しているごちゃごちゃした自分も、
「それぞれが、今の私の中にある」という「ただの事実」として「認識する」みたいなイメージ。
よく例としてお話するのですが、
アサガオの観察日記をつける要領で、自分を観察して事実を認識するのです。
この葉っぱは大きく育ったから「良い」葉っぱで、
このつぼみは何だか上手に開かなかったから「悪い」つぼみ、
なんてことはありませんよね。
ぜんぶ、良いも悪いもない、アサガオのただのパーツです。
私たちのごちゃごちゃしたいろんな状態(パーツ)も、
実は本来、ぜんぶ、良いも悪いもない、自分自身のただのパーツ、なんですね。
(そこが信じがたいところかとは思いますが、実は本来、そういうことなのです。)
つまり、
「ありのままの自分」を「受け入れ」、自己受容するって、
そうやって、自分の全てのパーツの状態を、良し悪しの判断なく、
ただ「そういう状態のパーツがあるらしい」と「知る」こと、
なのです。
これが、一番最初の大切なステップ、ですね。
伝わるでしょうか?
(あらっ、かえって分かりづらい??涙)
◆「ありのままの自分」を受け入れ自己受容するのが難しく感じるのは、なぜ?
ところが、
そうやって、「良し悪しの判断なく、ただ知る」ことが難しく感じることも、
多いんですよね!涙
これはやっぱり、上で書いたように、
「受け入れる」とは、それが「良い」「正しい」「望ましい」時にやること、
みたいな感覚がある時に、そうなりがちじゃないかなぁと思います。
ただの「事実」や「状態」と、それが「良い」か「悪い」かの「判断」って、
本来全然別ものなのに、無意識にくっついちゃってることも、とても多いんですよね。
例えば、
やりたくもないのにやってあげちゃう自分は、世間的に「良い子」な感じだから自分でも「受け入れられる」けど、
モヤモヤするのは相手にも「申し訳ない」し「悪い」ことだから、そんな自分は「受け入れられない」、とか、
無難な姿の自分は、人からも「受け入れられそう」だから自分でも「受け入れられる」けど、
本音では「自分、イケてる」とか思ってるのはいかにも勘違いで「恥ずかしく」て「悪い」ことだから、
そんな自分は「受け入れられない」、とか、
彼・夫の努力を受け取ってあげたいというのは「正しい」ことだと思うから、そんな自分は「受け入れられる」けど、
素直に受け取れないのは「間違っている」し「悪い」ことだから、そんな自分は「受け入れられない」、とか。
「あ、分かる分かる、こうなっちゃう~」という方も多いのではないでしょうか?
こんなふうに、
「判断」が先に立って、「受け入れる」ことが難しくなっちゃっていることも、
たくさんあるのですね。
(ちなみに、「判断」の他にも、
自己嫌悪とか自己否定とか競争意識とか劣等感とか、
そんな感情がくっついていることもたくさんあります。)
と、いうことは。
「ありのままの自分」を受け入れ、自己受容していくとき、
そのまま「受け入れる」(事実としてただ知る)ことを阻んでいる、自分の中の「判断」に気づく、
というのも、とても大切になります。
この「判断」は、もう本当に無意識に、条件反射的に起こっているので、
「あぁ、これって私が自分で『良し悪し』の判断をしてるのか!だから受け入れるのが難しく感じるのか!」
と気づけるだけでも素晴らしい一歩になります。
しかも、実は、そうやって気づいたら、
「自分の状態に『良し悪し』の判断がくっついているので、そのまま受け入れるのが難しいと感じている」ということも、
「今」の「ありのままの自分」の状態の一つであり、「それも私」として、ただ知ってあげれば良い、認識してあげれば良い、
ということでもあります。
いろんな「判断」や事情や思いがあって、自分をそのまま受け入れることが難しいと感じている、というのも、
今の自分の「ありのまま」の姿、ですのでね。
最初はこの感覚を掴むのも難しく感じるかもしれませんが、
「自分のここを『受け入れる』なんてできない」と思ったら、そこには何かしらの「判断」が入っている、
と思ってみると、自分の「判断」に気づきやすくなるかと思います。
そしてこれが、
「ありのままの自分」を受け入れ、自己受容する時の、
二つ目のとても大切なステップ、なのです。
(で、ここで、
じゃ、その「判断」も手放していこう!というのも大いにありなのですが、
ちょっと話が広がりすぎちゃうので、それはまた別記事にて。)
◆自己受容って、奥が深い。
というわけで今回は、
「ありのままの自分」を受け入れ自己受容する方法として、
- 「ありのままの自分」のとらえ方
- 自己受容のステップ① 「それも私、これも私、それが私」、とまずは受け入れる
- 自己受容のステップ② いろんな「判断」があって、受け入れることが難しいと感じている自分も、「それも私」と受け入れる
というポイントでお話してきました。
ありのままの自分を受け入れる、つまり自己受容するって、
意外と奥が深いんですよね!
でも、
「ありのままの自分」を受け入れる感覚を身につけ、自己受容を進めることは、
健康な自己肯定感や自分軸を育てることにも直結します。
つまりは、生きやすさも自信も日々の軽やかさも倍増するのですな。
なので、これは取り組む価値大ありのテーマですし、
ぜひこの記事も参考にしていただきながら、あなたが「ありのままのあなた」を受容していかれたらよいな♡
と、とっても応援しているのでした。
まずはアサガオを観察する体(テイ)で、いきましょう☆
ではでは、お読みいただき、ありがとうございました♡
コバヤシアキコ