過去の意味は変えられる

先日10月24日(土)は、オンラインセミナー【犠牲と我慢を手放し、自分のために生きることを自分に許すワークショップ】を開催しました。

改めて、ご参加いただきました皆様、どうもありがとうございました!

 

つい自分を後回しにしてしまい、我慢とか犠牲と感じながらも「頑張らなくちゃ」とどんどん疲弊してしまう、
自分さえ我慢しておけばといろんなことや思いを抱え込み、結果自分いじめのスパイラルにはまってしまう、

そんなパターンを手放し、「誰か」のためではなく「私」のために生きることを自分に許す、というテーマでお届けしました。

 

そんなパターンを身につけざるを得なかった、という事情は、誰しもあります。

その時、生き延びるため、その場面をやり過ごすためにはそうする以外なかった、んですよね。

 

でもその一方で、視点を変えると、犠牲や我慢と思ってきたすべての場面で、実は素晴らしい価値を周りに与えてきていたことにも気づけます。

苦しい場面、忌々しい場面、たくさんありました。その時悔しかった気持ち、悲しかった気持ちは、丁寧に受け止めていきましょう。

 

でも同時に、

それぞれの場面で、そんなにもたくさんの価値を周りに与えていた皆さんはどれほど偉大であることか。

皆さんが持つ「愛する」才能、「与える」才能が、どれほど大きいか。

そんなことも、見えてきます。

 

そんな風に見てみると、「過去」に今まで付けてきた「意味」を変えていくことができます。

あの時のあの出来事は、自分がただ忌々しい思いや悲しい思いをさせられただけの時間、ではなくなります。

むしろ、それくらい大きな価値や才能を持っていた皆さんだからこそ、その場面に必要とされ、救いをもたらすことができたのです。

 

これからは、自分の幸せな方法で、その才能や価値を使いましょう。

セミナーで「責任感」の例を一つお話ししましたが、これだって、常に発揮し続けなくてもいいのです。自分が責任持ちたい範囲でだけ、ハッピーに発揮すれば良いのですよね。

 

皆さんには、仲間がいます。繋がれる人がいます。皆さんがどんな思いをしてどんな道をたどってきたか、心から理解してくれる人がいます。

一人ではありません。

これからは、自分のために。そんな合言葉と共に、一緒に進んでいきましょう。

 

宿題も是非やってみてくださいね!

もし既にできていたことがあれば、「あぁ、あの時の犠牲/我慢は卒業できてたんだな」と、自分をまた一つ労わってあげてください。

 

なお、セミナーのご感想はこちらに掲載しています。

閑話休題。

普通の民家にコウノトリのオブジェ。このお家にはその昔、助産師さんが住んでいたそうです。