頑張ること、我慢することが、あなたの「愛し方」だった

今回は、「愛し方」という、またとても抽象的なお話です。

 

愛し方にもいろいろありますが、その中でも、

相手が喜ぶこと、望んでいることをやってあげる

というのは、とても分かりやすい「愛し方」ですね。

 

で、頑張り屋さんの場合、

相手が喜んでくれること、望んでいること、時にはそれ以上のことを、

自分の希望や都合は横に置いて、つまり我慢して、

とことん頑張ってやってあげる

という「愛し方」をしていることも多いです。

 

相手のために、自分を犠牲にしてあげる、という「愛し方」

とも言えるかもしれません。

 

で。

これだと、やっぱりどこかで無理が出るわけです。

自分の気持ちや都合が蔑ろにされていますのでね。

どうしても、「なんで私ばっかり…」という不満が増えて、

せっかくこれまで頑張って愛してきたのに、どこかで爆発してしまったりします。

 

でも、それじゃ、切ないわけです。

なので、そうならないためにも、まずは自分の気持ちや都合から満たしてあげましょう。

その満ち足りた状態で、周りの人を無理なく愛してあげましょう。

というのが、いつものメッセージなのですが。

 

そこがなかなか難しかったりするんですよね。

まずは自分を満たすなんて、身勝手な気がする。おこがましい。私なんか。

なんて気持ちが湧いてきたりするんですよね。

 

で、「自分を優先するなんて、身勝手」にも通じるかもしれないのですが、

ここにはもう一つの事情があったりもします。

 

それは、

「相手のために犠牲をして、頑張って尽くしてあげる」以外の「愛し方」のバリエーションを、まだ知らないのかも

ということです。

 

「相手のために犠牲をして、頑張って尽くしてあげる」ことが自分の(唯一の)「愛し方」だとすれば、

それを止めることは、相手を愛することを止めること、のようにも感じます

そんな人でなしなことはできない!そんな冷たい人間にはなれない!んですよね。

だからこそ、たくさん不満があっても、それを押し込めて、また頑張って尽くしてあげるわけです。

 

つまりそれくらい、あなたは相手のことを大事にしたい人、愛したい人、なのです。

本当に、どれだけ大きな愛を持った人であるか。

それが、どれほど素晴らしい才能であるか。

 

それをまずは受け取っていただけたら良いなぁ、と思うのですけれど。

 

ただ。

確かにそうなのかもしれないけど。

でもやっぱり、疲れたな、もう頑張るの辞めたいんだけどな。

と思ったら。

 

それは、

自分の「愛し方」のバリエーションを増やして、バージョンアップするタイミング

なのかもしれません。

自分のことは横に置いて、いろいろ我慢しながら相手のために頑張ってあげる、以外の「愛し方」を見つけるとき

なのかもしれません。

 

では。

相手のために犠牲的に尽くしてあげる以外の「愛し方」、と言ったら、

どんな「愛し方」を思いつくでしょうか?

 

ここはぜひ、ちょっと思いを馳せて、考えてみてください。

次回以降のメルマガで、いろんな「愛し方」について書いてみようと思います☆

それから、もし良かったら、あなたの考えも聞かせていただけたらとても嬉しいです♪

イニシャルで引用&お返事させていただくかもしれません(このメールに返信いただいたら、私にメッセージが直接届きます)。

 

あなたが、自分にとって一番自然でハッピーな「愛し方」ができますように。

いつも、応援しています。

閑話休題。

運河沿いで読書。