今回は、
問題は自分を苦しめるためではなく、本来の自分に戻るために起こる
というタイトルにしました。
先日のメルマガで、「人生は『自分』に立ち戻ることの繰り返しだと思う」というちょっぴりおセンチ(笑)なことを書きましたが、今回はそれをもうちょっと掘り下げようかな、と思いました。
先日のおセンチなメルマガで書いたのはこんなことでした。
「生きている中で現れるいろんな問題って、自分が本来の自分の姿からかい離しているからこそ起こるんですよね。
なので、一つ一つ課題をクリアするたびに、私たちは本来の自分に立ち返っていきます。」
ここを掘ってみようと思います。
何か問題が起こった時、
「なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのかなぁ」
「なんで私ばっかりこんなことになるんだろう」
「人生ってなんて理不尽なんだろう」
というのが普通のリアクションですよね。誰しもこう思うものです。
でもですね、ここで、先日のおセンチメルマガを思い出したいのです。
問題は、自分が本来の姿から乖離しているからこそ起こる。
つまり、
「だいじょうぶ?今の生き方は全然あなたらしくないでしょ?苦しいんじゃないの?」
ということに気づかせてくれるために問題は起こるんですね。
自分を苦しめるために問題が起こる、のではなく、自分の中でボタンの掛け違いが起こっていることを知らせてくれるために問題は起こる、のです。
なので、問題の渦中ではもちろん苦しく感じるけど、人生の長いスパンで考えれば、むしろ軌道修正のためのチャンス到来!なのです。
おセンチから今度はメルヘンに行っちゃったよ、とか思われてるでしょうか笑
でも、賢く勘の良い頑張り屋さんの皆さんは、そう言われると「うん、確かに」と思い当る節も結構ある気がするんですよね。
例えば。
今、現役のとても優秀な会社員として日々大活躍しているとします。
頑張り屋さんは何をやってもだいたい人並み以上にでき、優秀な成果を出し続けますよね。
周りも、そういう目に見えやすい能力には簡単に反応してどんどん期待をかけてくるし、自分でもその期待に応えようとますます頑張って成果を積み重ねていきます。
そうやって、傍目には何の問題もなく順調にキャリアを積み重ねてきました。
心の中では、「いつまでこんなに頑張ればいいんだろう」という疲労がどんどん溜まっていることは何となく気付いています。
でも社会人として「正しい」ことをやっているはずだし、家族も同僚もみんなが自分の頑張りのお陰でハッピーなので、そんな自分の疲労には目をつむり続けます。
そしてある日、大きな病気が見つかります。
そして思うのです。
「こんなに頑張って誠実に働いてきたのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだろう。」
でもこの病気は、あなたが悪い人間だから「罰」を下すため、とか、どこかの悪魔があなたに呪いをかけたから、とか、そんな理由であなたのところにやってきたのではないのですよね。
実は、本当はとてもクリエイティブで、手を動かして物を作るのが大好きだったのかもしれません。
でも、そんな趣味程度のことでは普通は社会で暮らしていけないし、キャリアも順調だし、みんながハッピーだから。という「常識」を総動員して、無理して会社員をやってきたのかもしれません。
そうやって、「無理」して本来の自分から乖離した「あるべき自分」をやってきたからこそ、身体が病気という「問題」を通じて「もう無理」ということを自分に教えてくれているんですよね。
つまり、問題は自分を苦しめるために起こるのではなく、「もう一度、自分が一番自分らしい姿」に戻るきっかけを与えてくれるために起こるのです。
こう考えることの一番のメリットは、自分を「問題の被害者」にせずに済む、ということです。
被害者の立場はとても受け身で何の解決策も持ちません。でも問題が自分にきっかけを与えてくれるものだとすると、途端に自分が主導権を持てるようになります。
そうすると、無力な自分のまま問題に押しつぶされてしまうのではなく、主体的に問題に関わることができるようになります。
問題を通じて、自分で自分の人生の舵を取り始めることができるようになるんですね。
というわけで、ちょっぴりおセンチそしてメルヘンからの、そこそこ地に足の着いた主張をしてみました笑
問題は生き方を変えるためのキッカケをくれるもの、と思えると、自分の人生は自分の手の中にあることが良く分かります。
「大人な自由」ですよね。
この感覚を皆さんにも感じていただけるよう、これからもメルマガの発信や、セミナーや個人セッションなどでお手伝いさせていただきたいなと思っています♪
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
可愛いお花の向こうにぼんやりとアムステルダムの街並み。
夕暮れ時の雰囲気が、良い!