私がピアスの穴を開けたのは、30歳を目前にした頃。
本当は若いころからピアスに憧れていたのだが、頑張り屋さんあるあるの通り、
「お母さんが嫌がるから、私には無理だ」
という理屈で、ずっと我慢していた。
ところが、30歳の誕生日が近づいたある時、ふと、
「30歳にもなるのに、『お母さんが嫌がるからピアスは開けない』なんて、バカじゃない?」
という「神の声」(笑)が下りてきて、その日のうちに皮膚科を予約したのだ。
どの医院かはすっかり忘れたが、渋谷の皮膚科だったと思う。
私のほかに、ずっと若い女の子が数人、鏡の前に座って待機。
手慣れた看護師さんは、めんどくさそうに、機械作業のように次々と私たちの耳を消毒し、ぱちん!ぱちん!と穴を開けていった。
終わったら塗り薬をもらって、はい、終了!
実質数分の作業が終わり、皮膚科を出て混雑した渋谷の街に戻った時、私の中ではアドレナリンが大量に放出されていた。
やっと、憧れのピアスができる!
あぁ、でも、遂にやってしまった!きっとお母さんが嫌がるであろうことを、自分の意志で選んでやってしまった!
ちょっと顔がにやける、けど、嫌がるであろう母の反応を考えると怖い、そんな複雑な乙女心を抱えながら家路についた。
後日、どきどきしながら帰省。
果たして、母の反応は。
私の耳についたチタンのファーストピアスを見ると、指で私の耳たぶをはじくように叩きながら、母はこう言った。
「何これ、嫌じゃんこんなの、嫌じゃん。」
腹の底から、何万回目か分からない怒りのうねりが湧き上がる。
あなたは、一体いつになったら、30歳になる娘が自分のお人形さんではないことを理解するのか。
あなたは、一体いつになったら、「自分」と「娘」の区別ができるようになるのか。
強い怒りを感じると、私は決まって頭の中が真っ白になってしまい、即座にスカッとすることが言い返せなくなる(そして後々それはそれは悔やむ)。
それでも、既に一度「神の声」を聞いていた私は、少しは進歩したようだ。
この時は、
「嫌、って、誰が嫌なの。お母さんが嫌なんでしょ。」
と返すことができた(でもやっぱり、もっともっと反撃できたらよかったのにー!と悔やんだのだけど)。
母はその後も何か言っていた気がするが、覚えていない。
でも私は、「私」は「お母さん」とは別の人間なのだということを言葉で母に伝えた、その小さな成果を、ひっそりと嬉しく感じていた。
もちろん、だからと言って、私が言ったことの意味を母が理解したわけではない。
あれから15年経つ今も、恐らくほとんど(というか全然)分かっていない。
自分とは別の人間である母に、私が望むやり方で私の気持ちを理解してもらうことは、不可能だ。
それは、仕方ない。悲しいけれど。
でも、私は私の意志で、私の好きなものを選んでいいし、私の意見を持っていいし、私の人生を生きていいし、
私はそうする。
それを、やっと選び始める、その最初の一歩となったのが、
このピアスだったのだ。
今ではもう何の感慨もなく、毎日服を着てベルトを締めるのと同じ感覚で身に着けるピアスだけれど、
思い返せば、私にとっての「ピアス」とは、
30歳目前になってやっと「反抗期」を始めることができるようになった、
その記念みたいなもの、なのだ。
たかがピアスと言う勿れ!
*
玄関先で読書。