子宮摘出後、オランダ人がくれた言葉が秀逸だった件。

今回の手術は、子宮全摘となりました。
その後お見舞いに来てくれたオランダのお友達の言葉が
秀逸だったよ、というお話です。

 

こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

 

自分迷子な大人女子さんが、本気で人生を取り戻すお手伝いをします。

 

子宮全摘となりました。

今回の手術は、最終的に子宮全摘となりました。

(卵巣は残すことができました。)

 

子宮がまるごとなくなるって、

女性にとってはそこそこの意味があることだと思うんですよね。

私にとってもそうでした。

 

で、その「いろんな意味」については、

まだぐるぐる考えているところでまとまってません。

なので、それはまた別の機会に書きます。

 

今回は、

そんな「いろんな意味」を考えている時に、

お見舞いに来てくれたオランダ人の友人が言った、秀逸な言葉について。

 

「この痛みはもう過去になるね!いえーい!」

「もう、問題だらけの子宮がなくなって、

これからすごく快適な生活が手に入るんだね!

やったね!いえーい!」

友人は、そう言ったのでした。

(ちなみにこれ、執刀医の先生も同じように言ってました。)

 

これ、聞く人の状態によってはけっこう強烈な言葉だと思うのですが、どうでしょう?

 

子宮があることに、女性性などいろんな意味を見出していたり、

子宮の機能があることに女性としての自信を感じていたりして、

子宮を失ったことにショックを受けている人にとっては、

無神経で配慮に欠けて無責任な思いやりのない言葉にも聞こえる気がするんですよね。

 

でも。

 

実は今回、私が思ったのは、

「あ、なんか、明るくっていいなー!(さすがオランダ人)」

という感じでした。

意外と傷つかなかったんですよね。

 

自分でもちょっと意外だったので、なんでだろ?とまた考えました。

たぶんそれは、

まだ自分の中で何をどう感じて良いのかまとまっていないのもあるし、

彼女はそう思うんだな(でも私がどう思うかは私が決めていい)、と、

自分と彼女の境界線をしっかり引けているのもあるだろうと思います。

 

(これをもっと心の話に結びつけるなら、

この2つは人の言葉に傷つかないために大切な要素ですね。

自分の中に傷つく材料を持たないことと、

相手と自分の境界線を引くこと。

うん、なんかカウンセラーのブログっぽくできた♡笑)

 

あと、もう一つは、

彼女が、「子宮があってもなくてもあなたはあなたのままだし、当然女性のまま」と心から思ってるのが分かる

というのもあるなと思いました。

 

子宮にそこまでたくさんの意味をつけていないし、

子宮に女性としての自分を定義させていないんですよね。

 

だって、子宮があってもなくても、指の数が多くても少なくても、口紅をつけてもつけなくても、髪が黒くても金髪でも、

「(女性としての)あなた」という存在は、何も変わらないよ?

と、屈託なく、以前もこれからも女性である私を見てくれている、という感じでしょうか。

 

その明るさというか、良い意味での軽さが、

とても心地良く、「秀逸」に感じたのでした。

 

でも私は、もうちょっと子宮と女性性について考えるタイプ。

とはいえ、やっぱり私は、

子宮や女性性についての自分にとっての意味をいろいろ意味を考えたいタイプです。

 

なので、彼女の言葉や考え方は尊重しつつ、

やっぱり我が道を行って、ああでもないこうでもないって考えるんですけどね。

 

まぁ、そうは言っても、ベースは、

どう転んだって私は女

なんですけども♡

 

実際、彼女の言葉を私が(勝手に)そう受け取った、ということは、それは私の「投影」なので、

そもそも私が「子宮の有無に関わらず、私はこれからも女性のまま」って既に思ってる、ということなのでね。

 

そんなことを考えていた、術後の友人との一コマだったのでした。

 

やー、まだまだ考えることはたくさん!

それはまた別の記事にて♡

 

手術前後は、たくさんの祈りと応援をありがとうございました。

あなたが送ってくださった気持ちに、文字通り生かしていただきました。

ほんとにほんとにありがとう♡

コバヤシアキコ

 

今日の一枚。

この風景が日常って、なんて豊か。