義母の色気に憧れている話。

パートナー(オランダ人)の母、つまり義母は、御年82歳。

 

すっごく元気でいつも楽しそうで心身ともに健康な女性で、

今も、車も運転するし、足がほとんど届かないくらいサドルが高い自転車に乗って日々のお出かけもするし(サドルが高いのはオランダのデフォルトなので、それに慣れているだけというのもある)、

今週は、孫を訪ねてスペインに行ってくるそうな。

こんな風に年を重ねたい、と常々思う、これまた憧れの女性の一人だ。

 

(ちなみに、最近孫からのおさがりで手に入れたiPhoneは、ダイニングテーブルに置いて出かけるのがお茶目な彼女流。

スペインには持っていくんだろうか?)

 

さて、このパワフルな義母は、ただ元気で健康というだけでなく、

とても「色気」がある人だとも思っている。

 

色気と言っても、胸元を露出してセクシーなメイクをして、みたいなことではなく、

ただ「女性」として生きている、という感じ。

 

年齢を重ねて性別が関係なくなってしまうのではなく、女性であることを遠慮するのでもなく、

いくつになっても女性である自分を淡々と受け入れて、その自分を生きている感じ。

ただそれだけのことなのだけど、すごくシンプルなことなのだけど、

なんだかとても、かっこいい。

 

ただこれは、義母だけでなく、欧米(と一般化するのはあまりに乱暴だが)の人には多かれ少なかれ当てはまる気もする。

いくつになっても男は男だし、女は女。

好きなおしゃれを楽しむし、肌を出したければ出すし、

年齢では、女性・男性としての自分は何も変わらない。

私は私。

 

虚勢を張るのではなく、変に遠慮するのでもなく、

ただ、自分自身である。自分自身でいる。

きっと彼女にとっては、「だって、私は私以外のものにはなれないじゃない!」と楽しそうに笑っちゃうくらい、当たり前のことなんだろうな。

 

そんなシンプルなあり方に、たまらなく「色気」を感じてしまうのだ。

そんな82歳の女性である義母に、憧れてしまうのだ。

 

ちなみに、

この「色気」というのは、「セクシュアリティ」とか「エネルギー」とか「生命力」とか言われるものともだいぶ重なるのだけれど、

そしてもちろん義母はセクシュアリティやエネルギーや生命力がとても豊かなのだけれど、

私は個人的に「色気」という言葉が好きなので、今回は「色気」で統一してみた。

 

「色」とか「彩り」って、女性にぴったりの言葉じゃないですか、ね♡

建物がびっしり。