般若なんて、
相当どろどろしたものを抱えていそうですが、
実は優しいからこそ般若になってしまうのかも、
というお話です。
こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
自分迷子な大人女子さんが、本気で人生を取り戻すお手伝いをします。
般若どころか、みんな優しいんだよね。
今、この記事↓の通り、「般若なわたしを愛するワークショップ」シリーズということで、
「嫉妬」「怒り」「大人の色気」をテーマに、3つのワークショップをご案内しています。
で、ワークショップの中身を作りながら考えていたことを今日は書いてみようと思いました。
それは、
「般若なわたし」を愛する、とは銘打っているけど、
「嫉妬」や「怒り」に苦しむ女性って、般若どころか、みんな、優しいんだよね
ということです。
「嫉妬」も「怒り」も、優しい人ほど苦しむ。
例えば、
「本当は、彼女の活躍を一緒に喜べないといけないのに、モヤモヤしてそれができない自分はなんてひどい人間だろう」
「彼もがんばってくれてるのに、こんな些細なことで怒るなんて、私は器が小さいな」
なんて思うとします。
これって、本当は、
彼女と一緒に喜びたい、彼の頑張りに感謝したい、のですよね。
けれど、それができない、ことに、苦しさを感じるのです。
一緒に喜んであげたい、感謝したい。
そもそも心の中に、それは大きな優しさがあるからこそ、そう願います。
それって、どれほどの優しさでしょう。
心の中に、それは大きな優しさがあるからこそ、
その優しさを上手に発揮できないことが、こんなにも苦しいんです。
それって、どれほどの優しさでしょう。
嫉妬や怒りを感じるのが申し訳ないと感じるのは、あなたが優しい人だから。
優しくありたいとも思わない人は、申し訳なさなんて感じないのです。
優しい人が、般若になる?
こうして優しい人は、
自分の嫉妬や怒りを「優しくしてあげたい相手のために、絶対に感じてはいけない感情」として、厳しく監視を始めます。
「嫉妬も怒りも、許すまじ」と、全力で心の奥底に押し込みます。
「優しくなれない自分、許すまじ」と、全力で自分を罰します。
で。
ここで、ちょっと思いを馳せてみたいのです。
この、「許すまじ」の時って、あなたの美しいお顔は、どんな表情になっているでしょうか?
どこか、般若の表情になっているのでは、と思ったりするのです。
自分に対する怒りや悲しさや苛立ちが入り混じった、苦しくも厳しい表情になっているのでは、と思ったりするのです。
そんな厳しい表情を、ご自身に向けていらっしゃるのでは、と思ったりするのです。
般若の表情って、
もちろん、強い嫉妬や怒りの表情として、そのままその相手に向くこともたくさんありますが、
優しい人って、相手にそれを向けないために、
そうしそうになる(あるいは、たまにはついそうしちゃう)自分を厳しく律し、罰するために、
自分に向けていることも、たくさんあるのです。
自分の中の、外向きの般若を律するために、内向きの般若がいる感じかもしれません。
優しい人だからこそ、自分に対して般若になってまで、大切な人を守ろうとするんですね。
どこまで、優しいんでしょう、ね。
二人の般若を救いに行きます。
そんなわけで、今回のワークショップでは、3つのテーマを通じて、
自分の中にいる外向きの般若と内向きの般若の、二人の般若を救う時間にしようと思います。
あなたには、それをする大きな愛が既に備わっていることを、知っていただく時間にしようと思います。
ご一緒に、自分の中の般若さえ愛せる、大人の女になりましょう。
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オンラインでお会いできるのを楽しみにしています♡
コバヤシアキコ
今日の一枚。
夕方の水鏡。