今回は、
私はそんなにも厳しく自分の「仕様」を禁止してきたのか!
というタイトルで、また先日の記事「『私はこんな仕様なの♪』で人間関係は相当楽になる」に頂いたお便りにお返事しようと思います!
(またまた長くなりましたー!)
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いつも楽しみにメルマガ読ませて頂いています。
今回のお話しもまた深く心に入ってきました。
というのも、「私はこんな仕様なの♪」と言えない自分を
改めて自覚すると同時に、それができちゃう人=夫が側にいて、
時々イラッとする自分をも自覚させられたからです。
「オレ、雨はどうしても苦手で外出できない」
というものなのですが、
そのためにほんのちょっとの外出もしませんし、
どんなに近くでも車やタクシーを使おうとするのです。
さすがに、仕事をキャンセルしたりはしませんが、
キャンセルできる用事はすべてキャンセルする勢いで、
「その何が悪い!」という堂々とした態度に、私は毎回イラッとしてしまうのです。
どうしてもそれをわがままとしかとらえられなくて、
また、自分なら我慢して、なんなら夫の代わりに用事をしてあげたりもするのです。
でも、雨が好きかと言えば、私だって雨の中を出かけるのは億劫なのです。
夫との違いはそれを我慢できてしまうことです。
でも、我慢している自分がなんだか損をしているような気持ちになってしまって、
我慢は美徳でいいことであって、損をするのは理屈に合わない。
我慢していることを褒められてもいいくらいの筈なのに、
どうして我慢をしている私がそんな面倒なことを押しつけられる形になってしまうのか
というイライラがつのってしまうのです。
結局、「私はこんな仕様なの♪」と思える夫が羨ましいことの裏返しの感情なのでしょうか。
ここは「私はこんな仕様なの、よろしくね☆」と思い切ってしまわないと、
この堂々巡りからは脱することができないのでしょうか。
今回のお題(?)は、私には結構ハードルが高そうです。
(Nさん)
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お便りどうもありがとうございます!
Nさんのお話も、頑張り屋さん「あるある!」ですよね。今「すっごい分かるー!」とおっしゃっている方、たくさんいらっしゃると思います。
一緒に考えてみましょう~
まず、ご主人は自分の仕様を良く分かっていらっしゃいますね!そしてそれにとても忠実です。すごい!
その意味で、Nさんを始めとする日本全国の頑張り屋さんに、素晴らしいお手本を示していらっしゃると思います。
でも、身近にいて割を食う形になるNさんとすれば、どうしてもイラッとしてしまいますよね。
「私があなたのために我慢してやってあげてるのに、何で悪びれることもなく堂々としていられるの?」
と思ってしまうというものです。
でもNさんは既に気付いていらっしゃるんですよね。
イラッとするのは、まさに
「私はこんな仕様なの♪」と思える夫が羨ましいことの裏返しの感情
なのです。
強烈に羨ましい、んですね。
そして、どうしてそんなに羨ましいのかというと、Nさんが
自分の仕様通りに生きることを、自分に厳しく禁止してきたから
なのです。
人って、自分が自分に禁止していることをいとも簡単にやってのける人を見ると、イラッとするものです。
例えば、好き嫌いはいけない!と自分に厳しく禁止しているとします。
そんな時、目の前の人が「これは好きだから食べるけど、これは嫌いだからいらない」とやったら、いい感じにイラッとしますよね?
「私だって本当は好きなものだけ食べてたいのに!嫌いなものを『嫌い』と言って残しちゃうなんて、許せない!」
と思うというものです。
それと同じことなのですね。
自分の色んな仕様を、「わがまま」で「悪いこと」として自分に禁じることになった背景には、それなりの体験があるものです。
「いい子」でいなければならなかった頑張り屋さんは、本当にたくさんの「仕様」を禁止して、我慢がデフォルトのような生き方をしてきた方も多いと思います。
多くは子供時代の体験で、今となっては覚えていないような些細なことの積み重ねかもしれません。でも、その結果、自分をこれだけ厳しく律することになったわけですよね。
それだけ厳しく自分に禁止して生きてくれば、「これが私の仕様」と、あっけらかんと思えないのもごく自然なことです。
なので、「私はこんな仕様なの♪」と言えない自分に、無理やりそう「思い切」れるよう言い聞かせる必要はありません。
それよりもまずは、
そうか、私はそれくらい厳しく、自分のいろんな仕様に「そんなことじゃだめ!」と言ってきたんだな
そんな我慢だらけの生き方はさぞかし窮屈だっただろうな
だから今、自分の仕様のままに自由に生きている人を見ると、イラッとしちゃうんだな
と、自分の歴史や現状を理解して受け入れてあげられると良いなと思います。
その上で、「私はこんな仕様なの、よろしくね☆」と「思い切る」のもちょっと工夫してみます。
Nさんは、「雨が好きかと言えば、私だって雨の中を出かけるのは億劫なのです。」のように、ご自分の本音に気づいてはいらっしゃいます。
でも、「我慢できてしまう」のは、その本音が「雨が降っていても用事は済ませないといけないものだから」といった「いい子」の声にかき消されてしまうのでしょうね。
それで、なかなか思い切れない部分があるように感じていらっしゃるのかなと思います。
なのでここはひとつ、かき消されないくらいあからさまに、自分にその本音を確認してみます。
お家で一人の時に、
「本当は私だって雨の日は外出したくないんじゃー!
本当は私だって雨の日は用事もほったらかして家でコーヒーでも飲んでいたいんじゃー!
本当は私だってわがまま言いたいんじゃー!わがまましたいんじゃー!」
と、幼稚園児が地団太踏むくらいの勢いで声に出して言ってみます(実際地団太踏めたらもっと良いです)。
クッションとか、新聞紙などを切り裂いて丸めた爆弾を壁に投げながらやるとさらに気持ちが入って良いです。
最初は何となく遠慮してしまったりするかもしれませんが、試しにちょっと続けてみると、だんだん気持ちが乗ってきます。
そうやって、すっきりするまでやってみるんですね(もしお家で一人になる時間があまりなければ、次善の策として「本音だけを紙に書きなぐる」のをおすすめします)。
すると、無理に「思い切ろう」としなくても、「そうだ、確かにこれが私の仕様だったんだ」ということが腑に落ちてきます。
そうすると、「自分の仕様も尊重して生きる」のを「許す」ことがぐっと楽になっていくんですね。
それから、もう一つの案もご紹介しておきますね。
「私はこんな仕様なの」とは思い切れなくても、とりあえず行動しちゃうのです。
例えば、ご主人の用事が雨の日にあっても、華麗に無視してみるのです。
もちろん、今までいろんな「仕様」をわがままとして律してきた「良い子」の声が、「そんなことじゃだめ!そんなの絶対許されない!」と、強く訴えてくるので、とてもとても勇気がいります。
だったら我慢してやってあげちゃった方がむしろストレスフリーかも?とも思います。
でも、無視してみると案外「あら?どきどきしたけど結構だいじょうぶかも?」なんてことが分かって、今までの「禁止」がするりと解けたりするのです。
かなりの力技ですが、これもおすすめですよ♪
(または逆に、やってあげた時のストレスフリーな感じがありがたくて、むしろ自分にはそうしてあげることの方が合っている、という気付きになるかもしれません。
そうすると、同じことをしているのに今度は「我慢」の感覚がなくなってしまいますよね♪
いずれにしても、なかなかおすすめのエクササイズなのです。)
というわけで、今回もちょっと長くなりましたが、お便りへのお返事をさせていただきました。
今そう思えないならそれでOK!だってそれだけ強く「禁止」してきたんだもんね!
本当によく我慢して、たくさん頑張ってきたんだね。
そんな風に、まずはゆるりと今の自分を受け入れてあげましょう☆
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
街灯りと三日月がとてもきれいな夕方でした。