「私はこんな仕様なの♪」で人間関係は相当楽になる

今回は、

「私はこんな仕様なの♪」で人間関係は相当楽になる

というお話をしてみます。

 

例えば、朝がとっても苦手だとします。

なので、実を言うとお友達とのランチの約束も12時より13時くらいの遅めの集合がありがたい。

でも、普通はランチの集合と言えば12時が常識なので、それに合わせるしかない。

ま、仕方ないか、別に不可能という訳でもないし、これは私のわがままだし。。

なんて形で、本当は希望する時間ではないけれど、ほんの少しだけ我慢をしてみんなに合わせたりします。

 

これ、1回1回は負担とさえ思わない程度のことかもしれませんが、毎回こうだと地味に我慢が溜まっていくんですよね。

そして、いつの間にかお友達とのランチの約束が少しずつ億劫になってきたりします。

 

お友達との時間が楽しくないわけではないのに、何か一つのごく小さな「我慢」が少しずつ蓄積して、本来は楽しいはずのお友達との約束そのものが面倒に感じてしまうんですよね。

で、「億劫」とか「面倒」と感じてしまう自分自身に、「そんなのわがままだ」とまたダメ出しして自己嫌悪してしまったり。

本当にもったいないし、切ないことです。

こんな経験、皆さんも日常的にしていると思うんですね。

 

でも、です。

そもそも、「朝が苦手」であるということって、「わがまま」という「判断」とは無関係の、ただの「事実」なんですよね。

例えば、「40ワットの電球がこんなに暗いなんてけしからん、100ワット電球と同じくらい明るくなければいけない!」なんて思いませんよね?それがその電球の仕様ですものね。

「朝が苦手」って、「電球の明るさ」と同じくらい、それ以上の意味がないただの事実、「私の仕様」なのです。

 

で、そういう仕様なら、当然それに合わせた取り扱いが必要です。

その電球がその部屋には明るすぎたり暗すぎるなら、ちょうど良いサイズのお部屋につけます。

私が朝が苦手なら遅めに活動を開始します。

それだけのこと!なのです。

 

こういう自分の仕様(特性)を、「わがまま」とか「贅沢」などの判断を付けずにそのまま自分で受け入れることができると、

「ランチの集合時間ね、12時だと私にはちょっと早いから、13時だと嬉しいんだけど、どうかな?」

という提案も、何の罪悪感もなくできるようになります。

「朝が苦手」なことは罪でも何でもないただの「仕様」なので、それに合わせた取り扱いをすることにも特にネガティブな意味もついてきませんのでね。

電球は明るさが決まっていますが、そこで「なんか明るすぎて/暗すぎてすみません…」なんて思いません笑

それと同じことです。

(人間関係で面倒なのは罪悪感を感じることなのですが、それがなくなれば本当に人付き合いが気楽になるのです。)

 

「私はこういう仕様なの、よろしくね☆」。

そう言えると、周りに変に遠慮したり我慢を重ねたりすることがなくなり、人との付き合いがずいぶん楽になると思いませんか?

 

もちろん、何でもかんでもこの理屈でごり押ししちゃいましょうという訳ではありません。

ただ、普段からとても遠慮しいで気遣い屋さんで「わがまま」を一切禁止している頑張り屋さんには、これくらいの感覚でも全然問題ないと思います。

 

自己紹介するように、自分の仕様をただ周りに見せられたら良いですよね!

そのためにも、まずは自分で自分の仕様を知り、そのまま認めるところから始めてみましょう。

意外と自分の仕様を自分で分かっていないことってありますよ♪

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

この一角は、アムステルダムで恐らく一番写真に撮られている一角です。