イラッとしたときは、自分の本音を掘り起こすチャンス!

先日、「『私はこんな仕様なの♪』で人間関係は相当楽になる」という記事に頂いたお便りにお返事しました(お返事したときの記事はこちら)。

で、そこにさらにご感想をいただいたのですが、その中の一節に

「そうそう、そうなんですよ!」

と言いたくなってしまいまして、それをネタに今日は書いてみようと思いました。

 

頂いたご感想の中の一節とは、これでした。

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「人って、自分が自分に禁止していることをいとも簡単にやってのける人を見ると、イラッとするものです。」(メルマガ引用)

もう今回は、この一行が私にはヒット中のヒットです!!
なーんだ、そうだよねえって思えて、この言葉だけで、かなりラクになりました。

夫のことに限らず、そうやって思い返してみると、
仕事仲間や友人の言動で小さなイラッを感じた時も、
ある意味、それは自分の本音を写す鏡だったのですね。

(Nさん)

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そうなんです、そうなんですよ!

「イラッ」とするのって、そこに(無意識のうちに自分で禁止している)自分の本音があるからこそ、なんですよね。

逆に言うと、そこに自分の本音がなければ、イラッとはしないのです。

 

Nさんが先日シェアくださった例で言えば、

(雨の日の用事は、本当は私もやりたくない)

という本音があります。でも、その本音を

(用事は必ず済ませなければならない)

という理性で蓋をしている(禁止している)んですね。

で、そんな時、ご主人が

「オレ、雨はどうしても苦手で外出できない」

というふうに、悪びれることなく本音のまま行動しているのを見ると、

(私だって、本当は雨の中を出かけるなんて嫌なのに!)

と、その禁止されている本音がざわざわするのですね。

 

(Nさん、お便りありがとうございました!)

 

で、ここから今日の本題に入っていきます。

私たちは、誰かの行動に「イラッ」とする時、

その人の奔放な行動が、自分をイラッと「させた」
その人の身勝手な行動に、自分がイラッと「させられた」

と思いがちです。

そう思っている時、自分はその相手の奔放で身勝手な行動に振り回されるだけの、受け身で無力な被害者になっています。

が、上でお話したように、イラッとするのは、自分が何かしらの本音を禁止しているから、です。

つまり、イラッとする原因は、相手ではなく自分の中にある、んですよね。

そう考えると、

イラッとするかどうかって、相手の行動次第なのではなく自分の心次第で変えられる
ということは、自分を相手のわがままな行動の被害者にしないで済む

ということが分かるかと思います。

 

実はこの気付きって、人によってはちょっと居心地が悪いこともあるんですよね。

だって、今までずっと

「身勝手な行動はいけない!」

と自分を律して、他人を思い遣り他人に合わせてあげて、「正しい行動」をしてきたわけです。

でも、

本当は「私も身勝手放題したい!わがまましたい!人に合わせたくない!」というのが本音だったの?!
それを自分で禁止して、蓋をしてきただけ?!
私も結局あの身勝手な人と同じことが本当はしたかったってこと?!

ということが分かってしまいますのでね。

 

そして、今まで身勝手・わがままなどを厳しく禁止してきた方ほど、この居心地の悪さを強く感じます。

自分もあのわがままちゃんと同じ種類の人間だったなんて、と苦虫を噛み潰したような気分になります。惨めにも感じるかも。

でも、それくらい、本音を厳しく禁止する理由があったんですよね。

そうしなければならない理由があったのです。

その理由に、とても誠実に真摯に生きてきた、ということなのです。

それくらい、とても健気で可愛い頑張り屋さんなんだな、ということなのです。

まずはそこに目を向けてあげられると良いなぁと思っています。

 

そしてその上で、実際の生活の中でイラッとしたときは、

相手のわがままに振り回される被害者になるよりも、自分の本音を掘り起こすチャンス!

ということで、是非、今まで蓋をしてきたピュアな本音に目を向けてあげましょう♪

そして、些細なことからでOKなので、実際の生活の中でその本音に正直になってみませんか♪

というご提案です。

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

夕暮れの色がほんのり残った時間♪