「いい人」が「怒り」と上手に付き合う方法(1)怒りは悪いものではないことを知る

今回は

「いい人」が「怒り」と上手に付き合う方法(1)怒りは悪いものではないことを知る

というタイトルでお話してみます。

 

「怒り」については動画セミナーの中でも触れていますが、またちょっと別の角度からお話しようと思いました。

というのは、前回・前々回と、人間関係で不愉快な思いをしても我慢することしかできない「いい人」についてお話しましたが、そんな我慢の場面での大事なテーマもまた「怒り」なんですよね。

なので、前2回のさらに続編のような感じで、今回は「いい人」と「怒り」の上手なお付き合いの方法についてお話してみようと思います。

 

前々回のメルマガでは、デリカシーがイイ感じに欠けてる友人と私のエピソードをご紹介しました。

この友人との間では日常的にムッとすることが多かったのですが、どんなに不愉快でも特にそれに対してアクションを取ることはせず、黙って我慢しながら怒りをどんどんため込んでいた、という話でした。

私の場合はその後、この友人とは距離を取ることを選びましたが、もっと上手に怒りをコミュニケーションすることも、選択肢としては当然ありました(私はそれが面倒だったのでしませんでしたが)。

特に職場や家族など、離れることを選びづらい・選びたくない環境の場合は、上手に怒りをコミュニケーションできることはとても役立ちます。

でもこの、「怒りを上手にコミュニケーションする」というのがなかなかどうして難しいんですよね!

だからつい、「自分が我慢さえしておけばいいや」という、ストレスが溜まるだけで害しかない方法に逃げてしまうということが起こるのだと思います。

 

でも、怒りと上手に付き合ってコミュニケーションができるようになると、人間関係がそれはそれは楽ちんになります。

なので、これはできるようになって損はない!と思うのですよね。

 

さて、ではコミュニケーションすることを考える前に、そもそも「怒り」と付き合うのはなぜこんなに難しいのでしょう?

大きな理由に、「怒り」が「悪いもの」、「感じてはいけないもの」であるという思い込みがあります。

皆さんも、怒りを感じた時、

「こんなことで怒る自分は未熟者だ、こんなことで怒ってはいけない」

というふうに、本当は感じているはずの自分の「怒り」を即座に否定しませんか?

そして、全力でその怒りを封じ込め、まるでお釈迦様になったようなつもりで無理やり冷静さを演出します。以前の私は、その(見せかけの)お釈迦様のような冷静さを誇りにさえ思っておりました。

 

でも、怒りは、感じてしまった以上そこに「ある」んですよね。どんなに無視しても、ないことにはできないのです。無視すればするほど、どんどんたまっていきます。

そして、そうやって溜めに溜めこんだ怒りが、あるとき大爆発を起こします。ちゃぶ台をひっくり返すのはこんなときですね。

 

怒りが「悪いもの」「感じてはいけないもの」という思い込みが生まれるのは、この「ため込んだ怒りが爆発して周りを巻き込んだ災害を起こす」のが怖いから、というのは大きいと思います。

特に、家族など身近に怒りっぽい人がいていつも怖い思いをしていたような場合(自分がその怒りの被害にあっていた場合)などは、分かりやすくこういう思いが身に付きますね。

そして、怒りは爆発する恐ろしいもの、害になるもの、という強い思いがあれば、「自分が怒っている」ことなんて認めたくなくなります。

 

また、特に頑張り屋さんの場合は、大小の我慢を重ねて日常的に怒りを溜めこんでいるので、それぞれの場面で怒りを感じたときには既に爆発しそうであることも多いと思います。

なので、ますます自分の怒りが恐ろしく感じ、抑え込まなければと躍起になるんですよね。

 

でも、ここで知っていただきたいのは、怒りは悪いものではない、ということです。

怒りは、喜びとか悲しさとかと同じ、ただの自然な感情です。否定する必要も、無理やり抑え込む必要もありません。

そして、悪いものでないばかりか、取り扱いを学べば、爆発させることなく上手に付き合ってコミュニケーションすることもでき、それが人間関係をより深めてもくれます

つまり、「無理やり抑え込む&爆発する」以外にもコミュニケーションしてみるという選択肢が増えるし、人間関係の築き方にも幅が出ることになります。

そんな風に自分でどんな行動をするか選ぶことができるって、成熟した自由な大人の在り方ですよね。

なので、是非そこを目指していきましょう。

 

さてではようやく、怒りの取り扱い方法です。

先ほど、怒りは自然な感情で、否定する必要も無理やり抑え込む必要もないと書きましたが、実は怒りは感じてしまったら、もはや否定することも無理やり抑え込むこともできないというのがより正確な表現です。

感じてしまった(出てきてしまった)感情は、怒りであれ喜びであれ、「ある」のです。それはないことにはできません。

なので、最初のステップとしてはまず、怒っていないことにしようと頑張るのは諦めます☆笑

 

で、次に、「何に怒っているのか」を明らかにします。これがとても大事なステップなんですよね。

例えば前々回のメルマガでご紹介した私の話で言えば、良かれと思ってやったネックレスのつけ方を「絶対変だよ」とけちょんけちょんに言われて怒りを感じたわけです。

ここで最初に分かるのは、当然「デリカシーのない友人の物言いに怒った」ということですね。

普通はここで思考が止まりがちだと思いますが、ここからがとても大事。

ちょっと深呼吸をはさみつつ、「怒った」その気持ちのさらに奥に何があるのかを探ってみます。

 

すると分かってくるのは、

「自分が良いと思ってやったそのセンスを『良くない』と否定されたのが悲しい」

ということなんですよね。

つまり、「あなたの言動はひどい」と怒っている奥で本当に感じていたのは、「私のセンスが否定されて悲しい」ということなのです。

 

この「怒りのさらに奥にある本当の気持ち」が分かると、それだけでも「そうなの!なんだか鼻息荒く怒ってたけど、私は悲しかったの!」と結構すっきりしたりもします。

自分が本当に感じていることを自分で理解することってそれくらい威力があることなんですよね。

ちなみに、ここからさらに深めると、

「そっかー、私もそこそこ自分のセンスには自信があったから、いちゃもんをつけられてプライドが傷ついたのね☆」
「でもいちゃもんをつけられると途端に折れちゃうくらいにはもろい自信だったのね☆」

みたいなところも分かってきます。

 

さあ、ここまで分かってきたら、次は「どんな行動を選ぶか?」を考えていきます。

 

…なんですが、ここまでで既にだいぶ長くなってきました。

今回はここで終わりにして、次回はこの続きを書いてみますね。

具体的には、怒りの奥にある本当の気持ちが分かってきたら、今度はそれについてどんな行動をとりたいのかを考えていきます。どうやってその気持ちをコミュニケーションするかとか、むしろ他の行動を選ぶのかとか、そういうことですね。

こちらも楽しみにお待ちいただけましたら嬉しいです♪

閑話休題。

オランダ、カフェやレストランが閉まってしまったので、スーパーも食材がかなり少なくなっています。

でも、トイレットペーパーは今日、近所のドラッグストアで買うことができました!

いざとなったらご近所さんに1ロール分けてもらわないといけないかと思っていたので、ちょっと安心。

写真はロマンチックな夕暮れ時です。

(4月14日追記:この記事は3月18日に配信したメルマガの記事で、上記の「今日」も3月18日のことです。現在はスーパーに食材もトイレットペーパーも通常通りストックされています。)