「ちゃんと悲しむ」=感情を感じ切ることの大切さ。

こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

母への怒り、コンプレックス(容姿、能力、異性・同性)、自分が分からず自信皆無。

全てから逃げてアメリカ⇒トルコ⇒オランダを流れ歩いた、早稲田女(ワセジョ)でエリートになり損ねた元ベリーダンサーのカウンセラーがお贈りする、

「人生迷子な頑張り屋さんが、本気でわたしの人生を取り戻す」カウンセリング

「ちゃんと悲しむ」なんて、普段はあまりしない表現ですけれども、

今日は、私が先日体験した小さな出来事に触れながらお話します。

 

今私が住んでいる場所は、目の前に市が管理している公園があります。

今年に入ってから整備が始まったので、春先は、まだ芝がようやく生えそろってきたくらいの感じでした。

 

で、窓からこの公園が見えるので、私は毎日、

「わぁ、今日もまた少し緑になった♡」

と、どんどんきれいに整っていく公園を楽しみに眺めていたんですね。

 

ところが。

ある日、一台の車が強くエンジンをふかしながら、この公園を横切って行ったのです。

当然、生えかけの芝は、車が通ったところはすっかり剥げて土がむき出しになってしまいました。

本当に一瞬の出来事で、車の種類やナンバーをチェックしようという発想も出てこない程でした。

 

これが本当にショックだったんですよね。

毎日、これからどんな美しい姿に育っていくんだろう、と大切に思いながら眺めていたこの公園が、

心無い人の行動で、一瞬で踏みにじられてしまったのです。

とても、ショックでした。

 

んで。

ここからが、心のお話です。

 

例えばここで、

許せない!証拠写真を撮って、ご近所さんとも協力して、警察に通報だ!

車を追跡してタイヤをパンクさせてやりたい!

人でなし!自損事故してしまえ!

みたいに、「怒り」を感じるとします。

 

まずは、

この「怒り」を否定せず、きちんと認識してあげる(怒ってあげる)ことが、いつもお話していますが、とても大切です。

実際私も、この出来事の直後は、ちゃんと怒りました(笑)。

 

ただし、「我を忘れて怒り狂い、怒りに飲み込まれ、周りにもそれをぶつけた」のではなく、

上で書いたようなことを思うくらい、自分が怒っているという「事実」を認識した、という感じです。

(↑これ、さらっと書いたけどとても大事です。)

 

そして、

その次は、「怒りの奥にある、本当の感情」を見つけ、感じていきます。

 

以前も書きましたが、「怒り」は「本当の感情」ではありません

悲しみ、寂しさ、不安、などといった「本当の感情(一次感情)」をそのまま感じないでおくための「蓋(二次感情)」なんですね。

 

今回の私の場合、強い「怒り」の奥には、「悲しさ」がありました。

大切に思って毎日見守っていたものが、傷ついてしまったことが、悲しかったのです。

しかも、悪天候のように、人の力の及ばない理由で傷ついたのではなく、人の手によって傷ついたことが、悲しかったのです。

 

私はここで、

この悲しさを、「ちゃんと悲しむ」

ことにしました。

 

と言ってもやったことはとてもシンプルで、ひたすら悲しんだ、のです。

「悲しい、悲しい、悲しい」と言葉に出しながら、声をあげて泣きました(家に誰もいない時です)。

そうやって、しっかり泣いて、しっかり悲しみました。

 

感情は、感じ切ると、ふわっと消えてなくなります。

今回の私の場合は、30分ほどじっくり泣いて悲しんだところで、

「あ、なんか、そろそろいいや」

と思ったんですね。

これが、今回の分の悲しさがほぼ感じ切れたタイミングだったのでした。

(ちなみに、30分とかの時間は、人によって、その時のケースによって、本当に様々です。)

 

こうやって「感じ切る」と、その出来事を「過去」にできるんですね。

実際、今も芝にはタイヤの跡のハゲが残っているし、今も毎日、その跡の残る公園を眺めていますが、

今の私は、「残念な出来事だったな」と思いながら、芝がもう一度生え揃うのを冷静に、また楽しみに待つことができています。

そして、「犯人」のことをネチネチと考えることはありません。

 

でも、もしあの時、

「ま、この程度のことだし、芝はまた生えてくるし、そんなに怒ることでもないよね」

と、そこにあった「怒り」や、その奥の「悲しさ」を無視していたら、

恐らく、今も

「そうは言っても、やっぱりあの犯人、どこのどいつだったんだ、もし今見つけられるなら、そいつの庭に同じようにタイヤ痕をつけてやるのに、こんちくしょう」

と、モヤモヤ&ネチネチ考えつつ、

「でもこんなことでモヤモヤし続ける私がいけないんだよね、私は器が小さいな」

と自分を責め続けていたでしょう。

 

感情を感じ切ると、その出来事をそこで「終える」ことができるので、

こんな風に、モヤモヤと自分責めのスパイラルにはまらないで済むんですね。

それくらい、自分の「本当の感情」を感じ切る(認め、繋がる)ことって大切なのです。

 

ちなみに、ここでさらに、

「何でこんな些細なことが、こんなにも悲しいんだろう?」

と、分析をすることもできます。

私の場合は、幼児期の体験までその原因を遡ることができます。

 

が、このような分析自体は「目的」ではなく、そこにある「本当の感情」を理解するための「手段」なんですよね。

なので、無理にここで、「そうか、これは○歳の時のこんなトラウマが原因で…」といろいろ考える必要はありません。

むしろ、そうやって「思考」を使って「考える」ことで、「本当の感情」を受け止めることを器用に避けてしまう、ということも私たちはやりがちです。

それだと、本末転倒になってしまうんですよね。

 

なので、基本は、

そこにある「本当の感情」を、ちゃんと感じ切る。

「悲しい」なら、「ちゃんと悲しむ」。

感情をちゃんと感じる、なんて、普段意識しないので、最初は戸惑いがちですが、

できるようになると、モヤモヤを後々まで引きずらなくなって、とても「楽」なので、

是非トライしてみていただけたら良いなと思うのです。

 

ただ、そうは言っても、

そもそも、自分がどんな「本当の感情」を感じているのか分からなかったり、

その感情を「感じ切る」ってどうすれば良いのか分からなかったり、

なんてことも、あるかと思います。

 

セッションでは、

まさにそんな「本当の感情」を見つけて理解し「感じ切り」、様々な出来事を「過去」にして、モヤモヤの原因をなくしていくお手伝いをしています。

自分でやろうとしても、どうすれば良いのか分からない、という時は、

良かったら、その「分からなさ」を聞かせてくださいね!

いつも、応援しています。

閑話休題。

なんかかっこ良く休憩中。