今回は、
「ごめんなさい」は自己中な言葉?!
というタイトルで書いてみます。
日本人のマナーとして、
「ありがとう」
と同じような意味・感覚で
「すみません」
ということは結構ありますね。
お手数おかけしすみません、とか
ご迷惑おかけしてごめんなさい、とか
そんな風に使うと思います。
相手にかけたお手数やご迷惑について謝る表現です。
これのどこが自己中な言葉だっていうんでしょう?
これ、
お手数をおかけした自分自身、とか、ご迷惑をおかけした自分自身の罪
を見て、それについて謝っているんですよね。
つまり、目線は自分自身に向いているのです。自分しか見ていないのです。ぶっちゃけ、ナルシストなのです。
その意味で、「自己中」な言葉なのです。
もう一つ言うと、
私は自分の罪をちゃんと理解してます、だから私をもう責めないでください、私を嫌いにならないでください
という意味でもあります。
自己保身のための言葉なんですね。
その意味でもやっぱり、「ごめんなさい」は自分に意識が向いている「自己中」な言葉なのです。
それからもう一つ言うと、
私はあなたがやってくれた素敵なことを受け取るような価値がある存在ではありません
という意味でもあります。「価値がない存在の自分」に意識が向いていますよね。
そして、
私にはそんな価値はないので、あなたの親切は受け取れません
と、相手の厚意の受け取り拒否もしています。
この意味でもやっぱり「自己中」な言葉です。
じゃ、もう一つの「ありがとう」はどんな言葉なのか?というと。
ありがとう、は、相手が自分にしてくれたことの価値を見ている言葉です。
目線は、
相手に迷惑をかけた自分の罪
嫌われることを恐れる自分
受け取る価値がない(ように思っている)自分自身
には注がれていません。
ありがとう、を言う時の目線は
相手が自分に与えてくれた厚意、親切、思い遣りの価値
に注がれています。
自分ではなく、相手を見ているんですね。
この意味で、同じ場面で同じように使われる「ごめんなさい」と「ありがとう」は、実は真逆の性質を持った言葉なのです。
それから、「ありがとう」は、相手の厚意や親切を受け取ります、という意味でもあります。
ということは、「ありがとう」と受け取る時は、同時に自分に対して
私は相手の厚意を受け取る価値のある人間です
と伝えてあげることにもなります。
つまり、「ありがとう」と言って相手の親切を受け取ることは、同時に自分を大事にすることにもなるのですね。
さて、では。
相手と自分の関係を切り離す「ごめんなさい」と、繋がりを作る「ありがとう」。
どちらを選びましょう?
やっぱりこれは、是非意識して「ありがとう」を選びたいですね。
いつも、つい咄嗟に「ごめんなさい」が出てきてしまって「ありがとう」が言い慣れていない方は、「ありがとう」と言おうとしても何だかとても嘘っぽく、それこそ「自己中」に感じると思います。
でもそこをちょっとだけ踏ん張って「ありがとう」にシフトしていくと、「ごめんなさい」の自己中と「ありがとう」の他己中の意味が身体で分かってきますよ♪
いつもは「頑張らない生き方」を説いている私ですが、こういうところの踏ん張り・頑張りは大いにやっちゃおうぜ!と思っています☆
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
街路樹の影がゆらゆらと家並みに落ちている様子がとても好きです。