イヤだな☆という気持ちを忌み嫌う必要はない

前回、「『やりたくないこと』を嫌々やり続けることのメリット?!」という記事を書きましたら、いつも以上にたくさんの反響をいただきました。

お便りくださった皆様、ありがとうございます!

たくさんの気付きを得てくださって、とても嬉しいです♪

 

で、今回は、

イヤだな☆という気持ちを忌み嫌う必要はない

というタイトルで、前回の続編的に書いてみようと思います。

 

ちょっと復習しておくと、前回は

「やりたくないこと」でもやってしまうのは、嫌でもやることに実はメリットがあるから

というお話をしました。

 

例えば、

本当はやりたい仕事・夢があるのだけど、挑戦して失敗してしまったらあまりにも悲しいから、その可能性を追求するよりも「嫌だけどやらなくちゃいけない仕事」をやり続けておいた方が、自分で自分をがっかりさせないで済む、とか。

嫌なことをいくつもやって苦しい思いをしているその姿を周りに見せることで、居場所をもらえる気がする、とか。

なんてことですね。

それから、前回は例としてあげませんでしたが、

嫌なことばかりの「幸薄い人生」を演出することで、そんな人生を自分に与えた親を糾弾し、復讐することができる

なんていうのもあります。

これは、普段はなかなか気づきませんが、意識の深いレベルでは良くある話です。

 

「嫌々やっている」と感じる時というのは、「やらされている感」満載でやっている時です。

自分の意思ではないと思えば、そりゃー嫌々にもなるというものですよね。

でも、「何かしらメリットがあって、自分でそれをやることを選んでいた」ということが分かると、

「なーんだ!誰かにやらされていたんじゃなくて、メリットがあったから自分で選んでたのか!」

と、無理やりと感じていた時の「嫌々感」がなくなって、すっきりしてしまうのですよね。

この、「なーんだ!」とすっきりしたというご感想を今回たくさんいただきました。

(こうやってすっきりモーメントを感じていただけるの、とても好きです♪)

 

で、ここで、今日のタイトルの

イヤだな☆という気持ちを忌み嫌う必要はない

という話が出てきます。

 

「自分で選んでいたこと」なんて言うと、当初「嫌だな」と感じていたそのこと自体が悪いことのような感じがするかもしれません。

「自分で選んでいたのに不満を垂れていたなんて…」という感じですね。

 

でもですね、これ、「嫌だな」と感じたからこそ、

なんで嫌なのに、それでも私はこれをやってるんだろう?
実はどんなメリットがあって、私はこれをやることを選んでいるんだろう?

と自分の本音を掘り下げていくことができるようになって、自分で選んでいたことが分かった、んですよね。

その意味で、「イヤだな☆」というその感覚は、現状を変えていくためのきっかけになる、とても大切な感覚なのです。

なので、悪いことというよりもむしろ、

「嫌だな」の感覚、ありがとう!

なのですね。

 

もうちょっと言うと、自分の「イヤだな☆」を悪いものとして無視していては、そこから前に進むことはできません。

こういう正直な気持ちほど大事なものは他にないと言っても良いくらいです。

嫌だな、の他にも、怒りとか、悲しさとか、嫉妬とか、感じたくない気持ち、感じることを自分に許したくない気持ちはたくさんありますよね。

でも、これを認めることで初めて次の扉が開きます。

その意味で、自分のその正直な感覚を、そのまま「私は今『嫌だな』って感じてる」などと認めることは、とてもとても大事なんですよね。

どんなネガティブな感情でも、否定することなく自分で認めてあげましょう、といつも言うのは、このためです。

 

というわけで今回は、前回の続編のような感じで

「イヤだな☆」を始めとするネガティブな感覚は、確かに感じること自体は気分が悪いものですが、大事なことを自分に教えてくれて、次のステップに踏み出すきっかけになる感覚でもあるので、是非そのまま認めてみてくださいね♪

というお話をしてみました。

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

いろんな形の屋根が楽しいアムステルダムの家並みです。