「私にとっての幸せ」を意識して明確にしてみよう

前回の記事「『ごめんなさい』は自己中な言葉?!」にもまたたくさんの反響をありがとうございました!

問題が起こるときというのは、目線が自分だけに向いている時です。つまり、「ごめんなさい」ばかり出ている時。

相手に目を向けて、「ごめんなさい」の代わりに「ありがとう」を選ぶことで、現実を変えて問題を解消していくこともできますよ♪

是非試してみてください☆

 

そして今回は、

「私にとっての幸せ」を意識して明確にしてみよう

というタイトルにしてみました。

 

日頃から私たちは、「問題」に意識を奪われがちです。

問題って、目に見えやすいし意識しやすいからどうしてもそうなりますよね。

そして、問題がある時はどうしたって不快ですから、それを解決しようといろいろ行動したり努力したりします。

 

で、その時意識の中にあるのは、

「この問題が解消すれば幸せなのになぁ」

なんてことが大部分を占めます。

そりゃそうですよね、不快の原因になっている問題がなくなれば、不快ではなくなりますしね。

 

確かに、不快の原因となっている問題がなくなれば、不快ではなくなります。

でも、「不快ではないこと」と「幸せであること」って、実は微妙に違うのですよね。

「私の人生、特に大きな問題があるわけでもないのだけど、『私は幸せです』と言い切れるかというと、なんかそうは言えない気がする」

なんて感じたりするのです。

つまり、「問題」がなくなっても、「幸せ」になるとは限らないのです。

 

実は、問題はそのままにしておいても、幸せであろう、幸せを感じよう、幸せ少しでも多く見つけよう、としていると、問題が問題でなくなってしまうことも多いです。

幸せを充分に感じているので、問題はそのまま残っていても、「ま、いっかぁ」となってしまうんですよね。

「問題」に意識を集中しているときは、それが解決するまでお先真っ暗な気分になったりもしますが、意識を集中する先を「幸せ」にすることで、問題があったまま幸せにもなれてしまうのです。

 

意外でしょうか?

でも案外、現実ってそんなものです。

そうとなったら、とっとと幸せになっちゃった方が、問題解決に時間を使うよりずっと効率的ですよね♪

 

はい。

「そんな簡単に言うな!」

という声がちらほらと聞こえた気がします笑

 

じゃ、幸せである、幸せになる、って、どうすれば良いのでしょう?

実はとてもシンプルなことです。

要は、「問題」を解決しようとしてやっていることと同じことを、「幸せ」についてやってみれば良いのです。

「この問題にはどんな要素が絡んでて、この問題を解決するために私は何ができるだろう?」という質問を自分に投げかける(「問題」に意識を集中する)代わりに、

「私の幸せにはどんな要素が絡んでて、私が幸せであるために私は何ができるだろう?」という質問にすれば(「幸せ」に意識を集中する)良いのです。

「私の幸せって何だろう?」
「どんな状態になっていれば、私は喜びを感じながら過ごせるだろう?」
「私の幸せには、どんな要素が必要なんだろう?」

こんな質問を自分に聞きながら、「私にとっての幸せ」を意識的に(そして貪欲に)明確にしていきます。

そして、今まで「問題解決」のために使っていた時間を、「幸せであるため」に使うのです。

 

特に、今まで「問題」に意識の大半を割いてきた方は、「幸せ」について考えようとしても頭が真っ白になってしまったり、「問題」の裏返しなことしか出てこなかったりします。

自分にとっての「幸せ」が何なのか分からない、んですね。

それくらい、「自分の幸せ」について今まで考えてこなかったのだとも言えます。

でも、今から始めても遅いことは全くありません。

そして、自分にとっての幸せを少しずつ理解して、それを自分に与えていく作業って、気力や体力をすり減らしながら問題を解決していく作業より、ずっと楽しくて軽やかです。

それに結局、そうすることほど自分を幸せにしてくれることって他にないよね☆と思っています。

 

問題を解決して不快を一つ減らし、不幸な状態を一つ薄めるのは、マイナスをゼロに近づけるイメージ。

これに対して、幸せな状態を濃くしていくのは、ゼロからプラスを増やしていくイメージ。

問題解決が大事な時も人生にはもちろんあります。

でも、自分を幸せにするために時間を使うことも、人生にたくさんの恩恵をもたらしてくれます。

そんな時間も、少しずつ増やしていけたら良いですよね♪

私たちはみんな、幸せであっていい、のです☆

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

もう9月なんですね!

まだ残暑が厳しい頃かと思います。引き続き、気を付けてお過ごしくださいね。