「傷つく」のは相手のせい、ではなく、自分のせい?!

人に何か言われて「傷つく」という経験は誰しもあると思います。

で、酷いことを言われて傷ついたら、

「あの人が言ったこんな酷いことのせいで私は傷ついた!」

と思います。

そりゃー思います。

 

でも、実は、

傷つくのは相手のせい、ではなく、自分のせい?!

というのが今日のお話です。

 

例えば、

「あなたは醜い」

と言われたとしましょう。

(さすがにこんなこと言う人いないと思いますが、ちょっと分かりやすい極端な例ということでご理解ください。)

やっぱり傷つきますよね、

「私は醜いのか…」

と、もう泣いてしまいそうです。

 

なんですが。

ちょっと想像してみてください。

もしあなたが、

「私って、とてもきれいで美しくて魅力的で世界で一番イイ女☆」

と、心から、本当に心から思っていたら。

「あなたは醜い」と言われたとき、どう感じるでしょう?

 

本当に、心から自分が美しくて魅力的でイイ女だと信じている人って、例え「あなたは醜い」と言われたとしても、

「へー、そう思う人もいるんだ!世の中って広いなぁ、うふふ」

くらいにしか思いません。

はたまた、

「え?意味が分からないです」

とかは思うかも。もちろんどちらも素です。

 

この時このイイ女さんは、「あなたは醜い」という言葉を受け取ってもいないし、同意もしていません。

その言葉が自分にとっての真実とは思わず(同意せず)、受け取ることもしなければ、例えその言葉が耳に聞こえてきても、心には何も聞こえてこない(意味をなさない)、つまり、傷つくことはないんですね。

 

つまり、「あなたは醜い」と言われて傷つくのは、この言葉を真実だと「自分が」判断して、「自分で」受け取ったから(「醜いのか…」と同意したから)、なのです。

(酷いことを言う相手が悪いに決まってるのに、勝手に傷ついた自分のせいなの?!なんて思うとまた理不尽な気がしますよね。

でもですね、この考え方を取り入れると、相手の人間性は変わらなくても、「傷つかない自分」になれるのです。

なのでもうちょっとお付き合いください~)

 

そう考えると、自分を傷つけているのは、相手の酷い言葉そのもの、ではなく、その言葉を真実だと思って受け取ってしまう(同意してしまう)自分の心のあり方、であることが分かります。

自分の心の中に、自分を醜いものとして嫌う部分があるからこそ、他人からそれを言われたとき、
「やっぱり?」と、その言葉を受け取って、自分の中にあるその思いを再確認し、
「そうか、そうだよね…」とその言葉に同意することで
自分を嫌っているその心の傷に塩を上塗りして傷つく、んですね。

逆に、自分のことが大好きで、超イイ女だと自分の魅力や価値を十二分に認識していれば、誰が何を言ってきてもそれは自分にとっての「同意すべき真実」ではないので、傷つくことはないのです。

 

その意味で、自分の魅力や価値を自分で知っていること、自分を大好きでいること、つまり自己価値感や自己肯定感をひたひたに感じていることって、「強い」ですよね、傷つきませんもの。

こう、「強い人」って、

何を言われてどんなに傷ついてもまた立ち上がる北斗の拳みたいな人、というよりは、

何か言われても右から左に抜けて行っちゃう人、

なんだろうな、と思います。

(まぁ北斗の拳も強いんですが、恐らくケンシロウじゃない多くの人は、いずれ限界を迎えると思うのです。)

 

もちろん、完璧にまったく傷つかないなんてことは、あり得ないと思います。人間ですものね。

でも、このカラクリを知っていると、同じことを言われても傷つくのを減らしていくことはできます。すると本当に楽!なのです♪

 

自分の価値や魅力を自分で知っていること、それらを自分で楽しんじゃうこと。
自分にとっての大切な真実を誰よりも自分が信じること。
自分で自分を大好きになってあげること。自分を何よりも大切に扱ってあげること。

そんなことの積み重ねで、ちょっとやそっとの言葉に傷つくことがない、しなやかな心を育んでいけます。

是非意識してみてください☆

閑話休題。

クラシカルな街灯が素敵だったので撮ってみた写真です。

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