自分と人との境界線、距離感、そして母

今回は、人との境界線、距離感の話です。

 

普段、人との「境界線」なんて、意識して過ごすことはあまりないかな、とは思います。

ただ、意識していないからこそ、人間関係で地味に面倒なことに繋がっていることもあるんですね。

 

例えば、

誰かが軽く言ったことを、必要以上に深刻に捉えて気に病み過ぎてしまい、人付き合いが面倒になってしまう、とか、

相手が感じていることによくよく気づいて(察することができて)しまうので、先回りしていろいろやってあげているうちに、「なんでいつも私ばっかり」という不満がたまって疲れてしまう、とか。

 

これらは日常的な「あるある」だと思うのですが、これも「境界線」という視点から見ることができます。

 

最初の例の、人に言われたことを必要以上に深刻に捉えてしまう、というケース。

これは、相手の言葉を自分の中に必要以上に取り込み過ぎている感じですよね。

つまり、相手に、自分の境界線を越えてこちらに踏み込むことを、無意識に許してしまっている状態、と見ることができます。

こうなっている時は、どうしても「私は私」という自分なりの軸が持ちにくいので、自己肯定感を感じることも難しくなります。

 

それから2つ目の例の、いろいろ察してやってあげてしまう、というケース。

これは、本来相手がやるべきこと、できることを、取り上げてしまっているような感じです。

つまり、自分が相手との境界線を越えて、相手のテリトリーに踏み込み過ぎている状態、と見ることができるんですね。

すると、例えばパートナーシップ(恋愛・結婚)では、まるで自分が彼のお母さんとかお世話係みたいになって、対等な大人同士の関係が作りづらくなったりします。

 

どちらも、自分と相手の境界線があいまいで、距離が不自然に近くなっているのが分かるかなと思います。

意外と、「あ、結構あるかも」という方もいらっしゃるのでは?と思うのですが、どうでしょう?

 

こういうパターンが生まれる背景には、やっぱりたくさんの事情がそれぞれの方にあるのですが、

一つ、とても良くあるのが、(母)親との関係、だったりします。

 

例えば、

子供のころに、自分の気持ちや意思をあまり尊重してもらえず、ある意味、お母さんの言うことが全て、のように育ってきたので、

大人になっても、他人から言われることを、母親からの言葉と同じように自分の中に取り込み過ぎていたり

(大人になっても「昔、母に○○と言われて…」と、お母さんから言われたことを今もそのまま心の中に持ち続けていらっしゃる方も多いです)

いつも母親のご機嫌を伺いながら、空気を察して立ち回ってきたことで、

大人になっても、無意識に同じことを他人との関係の中でやってあげていたり

 

私たちは、母親との間でやってきたことをひな形のようにして、その後の人間関係を作っていくので、

母親・家族との関係の中で身に着ける「生き方のパターン」の影響って、本当に、大きい、んですよね。

そして、近いからこそ、抱く葛藤も大きくなります(また逆に、遠すぎることで葛藤になる場合もあります)。

 

そんなわけで、今回のワークショップでは、

こんな風に、境界線があいまいだったり、近すぎ(あるいは遠すぎ)の距離感で過ごしてきた「お母さん」との関係を、新しい視点から理解していきます

そして、「お互い大人」で自由な距離感を、ご一緒に目指していきましょう♪

オンラインでお会いできますこと、楽しみにしておりますね!

詳しくはこちらから♪
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【母親との葛藤を手放すワークショップ】

(終了しました。ありがとうございました。)

閑話休題。

隣町の風車。