「こんなことで相談するなんてなぁ」という思いについて

今日は「こんなことで相談するなんてなぁ」という思いについて、ちょっと深めてみます。

 

「もっと大変な思いをしている人は他にたくさんいるのに、こんなしょうもないことでくよくよしているなんて、申し訳ない」

そんな風に、何かに悩んでいる自分に喝を入れている頑張り屋さんは多いです。

なので、

「こんなことで悩んでないで、さっさと気持ちを切り替えなくちゃ」

と、自分を叱咤激励し、心のもやもやは「ないこと」にして今日も頑張っているんですよね。

 

でもですね。

「喝」とか「叱咤激励」とか「ないこと」にしちゃうとか、どれも、自分に対する虐待みたいなものです。

 

例えば、足の骨が折れちゃったとするじゃないですか。

その時、

「こんなことで折れちゃう脚なんて、もっとたくさん負荷を受けながらも頑張ってる人様に恥ずかしい」
「だから骨は折れてないことにしなくちゃ」

とか言って、折れたまま無理やり歩き続けたりはしません。

骨折したという事実を認めて、きちんと固定して安静にして、治すための措置をしますよね。

それと同じです。

何かにモヤモヤして悩んでいるのは、紛れもない事実。ならば、それを解決するなどの措置をするのは当然のことです。

なのにそれを「ないこと」にしてしまうのは、折れた脚を見て見ないふりをしているようなものなのです。

立派な自分いじめ、なのですよね。

 

「でも、人様の深刻な悩みに比べれば、やっぱり私のモヤモヤなんて、ただのわがままだから。ただのかすり傷だから。」

そんな気がするかもしれません。

多くの方が、

「世の中にはもっと深刻な悩みを抱えた人がいる」

というようなことを、今までに勇気を出して誰かに相談したときに言われたことがあったり、見聞きしたことがあるんですよね。

確かにそんな面もあるのかもしれません。

でも、実際には、比べる必要も、比べる意味も、ないんですよね。

だって、「世の中のもっと深刻な悩み」と「私のモヤモヤ」って、まーったく無関係なんですもの。

 

自分の心がモヤモヤざわざわするのは、それが「世間の基準に照らして深刻だから」なのではなく、「自分にとって大切なこと」だからです。

「世間一般に深刻かどうか」よりも、「自分にとって」の方がよっぽど大事なのです。

 

今、

「こんなことで悩むなんてダメだよね、私のわがままだよね」

と、つい自分に喝を入れ叱咤激励してるな、と気づいたら。

「でも、これは私にとっては大切なことなの」

と、声に出して自分に伝えてあげましょう。

そして、その「大切なこと」を、誠心誠意、丁寧に扱ってあげましょう。

 

そうやって、「自分にとって」を大切にすることは、

自分が自分の一番の理解者・協力者になってあげることでもあり、
自分を大事にすることでもあり、
自信をつけることにもなり、
自己肯定感・自己価値感を回復することにもなり、
頑張り屋さんが自分自身を自由にしてあげることにもなります。

だいじょうぶ、自分の悩みを自分で丁寧に扱ってあげたからと言って、ばちは当たりません。

自分の気分が軽くなるだけですよ♪

 

それから、個人セッションについて、

「こんなことを相談するなんて大袈裟だよね、普通はもっと深刻な悩みを持った人が相談するべきだから」

と思っていらっしゃるとしたら。

その、「こんなこと」扱いしているけど、本当は「自分にとっては大切なこと」に、それに相応しい扱いを与えてあげる方法の一つとして、個人セッションも考えてみていただけたら素敵だなと思います。

どんなに小さくしょうもないと思ってしまうような悩みも、きちんと受け止めて理解して解決のために丁寧に扱う価値が、あるんですよ♪

ご縁を感じていただけましたら、是非お話いたしましょう。

>>個人セッション・体験セッションでお話聞かせてくださいね♪