「理想の自分」像に追い詰められてない?

今回は、「理想の自分像」のお話です。

 

頑張り屋さんて理想が高いし、
その高い理想に向かって頑張れちゃうし、
高い能力とその頑張りで相当良い線行っちゃうし、
そんな理想的な姿になれれば達成感も得られて自分も嬉しいし、

理想の自分像を追求することは全然悪いことではありません。

 

が、ふとした時に、

「あれ、なんか、なんでこんなに息切れしちゃうんだろう…」

と我に帰ったりして。

 

そんな時に、

「これって私が本当に目指したいものだったんだっけ?
なんでこんなに頑張っていたんだっけ?」

という疑問がわいてきて、俄かに答えが出てこない自分に愕然としたりします。

 

そもそも、その理想像は

「自分が楽しくて好きで、そうなることが喜び」な像ではない、んですよね。

そうではなく、

「そうならないと居場所がなくなっちゃう、そうでなかったら生きていてはいけない」という強迫観念がベースにある像、なのです。

 

なので、目の前にあるその理想像を目指しているとき、背後からはいつも

「そうなれなかったらどうしよう…」

という怖れに追い立てられているような感じになります。

それでは、息切れしてしまっても仕方ないですよね。

 

もちろんこれは、喜び0%、強迫観念100%、の白か黒かみたいな話ではないですけれども。

例えばそれを喜んでくれる人がいるのが純粋に嬉しいし、自分も充実感があるというのも20%くらいあって、でもその一方で喜んでもらえなかったらどうしようという怖れが80%だったりとか、40%と60%だったりとか、いろいろです。

それから、その割合も時と場合によって日々変わっていたりもするでしょう。

なので、今回のようなお話をしても、「いや、うーん、そうとも言いきれない部分もあるんだけど」と思う方も多いと思います。

 

喜び100%じゃなくちゃだめ!な訳ではないんですよね

「~じゃなくちゃだめ!」と思うと、例えそれが「喜び」であっても結局は苦しくなります。これを、完璧主義と言いますね。

そうではなく、今「喜び」の割合がちょっと少ないみたい、理想にちょっと追い立てられている部分があるみたい、と思ったら、「喜び」や「楽しさ」や「好き」の割合を増やしてみよう、というお話なのです。

それだと、ちょっと取り組みやすくなると思いませんか?

 

楽しくて好きで喜びを感じる要素が多ければ多いほど、その理想像に近づくのもついつい楽しくできるようになります。

そうなると心はずっと楽ちんですよね。

 

というわけで、さっそくどんな喜び・楽しさ・好きのエッセンスを増やしてみましょうか?

どんな小さなことでも良いので、試しに取り入れてみてくださいね。

そして、取り入れてみた自分を盛大に褒めてあげてください♪

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

見事な秋晴れ!

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