はまってない?「ポジティブシンキング」の落とし穴

今日は

「はまってない?『ポジティブシンキング』の落とし穴」

ということでお話したいと思います。

 

ポジティブシンキング系の話って、

「それができたら今の私は全然ハッピーに生きてるわよ、きー!」

ってなりませんか?

私はなってました。いつも。

ネガティブ満載の時って、ポジティブシンキングのキラキラ感が安っぽい作り物に見えちゃうんですよね。

で、そのキラキラが眩し過ぎて目を背け、ますます暗いネガティブな方に引き籠っちゃうのです。

なので、せっかくのポジティブシンキングの話が、ネガティブの元にしかならないという哀れな感じになってしまっておりました。

んー、安定のネガティブ!笑

 

でも、ポジティブシンキングが安っぽい作り物に見えちゃう(ことがある)のって、場合によっては致し方ないこともあります。

というのは、キラキラ大盛のポジティブシンキングって、

「ネガティブなことは忘れちゃいましょ!無視しちゃいましょ!ポジティブなことだけ考えましょ!」

みたいなことを言っていることも結構あるんですよね。

 

で、そう言われると、今ネガティブ満載の人からすれば

「そのネガティブが無視できなくて苦しんでるんでしょーが!」

ということになります。

 

つまり、ポジティブシンキングの考え方が、こちらの気持ちや苦しさは無視して聞こえの良いことだけを言っているように感じられてしまうんですよね。

それではポジティブシンキングに共感することはなかなかできないし、なんなら「私の気持ちが無視された」という悲しさから抵抗さえ感じたりもするし、つい、ポジティブな人には私の苦しみは分からない…みたいな落とし穴に自ら落ち込んで行っちゃうのです。

そして、世の中的にポジティブは善、ネガティブは悪、みたいな観念がありますから、正しいはずのポジティブシンキングに抵抗を感じてしまう自分がさらに惨めで情けなくなったりもします。

これ、ポジティブシンキングの罪深い落とし穴よねぇ、と思っています。

はまってませんか?

 

でも、です。

そもそも、ポジティブが「良いもの」で、ネガティブが「悪いもの」という考え方は、正しいんですかね?

 

否!

どっちもあって良いんです。

ポジティブな時があるのもOK、ネガティブな時があるのもOK。なんです。

だって人間ですからね、なんかごきげんな日もあれば、何をやっても気分がくさくさする日だってあります。

なので、ネガティブなのは悪いことだから止めなくちゃ!と無理してポジティブになろうとする必要は、ないんです。

世の中がポジティブ礼賛(に自分には見える)としても、今私がネガティブモードを発動しているなら、「あー、私今ネガちゃん発動してるみたいー」でOKなのです。

だってそれが今の私なんだもの。

 

大事なのは、ネガティブモードの自分を否定しないことですね。

なんかどうしても気分が上がらないのであれば、それが今の私なのです。

なんかどうしても愚痴っぽくなってしまうのであれば、それが今の私なのです。

 

そして、「はー、これが今の私の状態なのね~」と淡々と受け入れることが、「自己肯定」になります。

ちなみに、「ま、仕方ないか、これが私だしね」とただ受け入れることができると、なんだか笑いが出てきて、ネガティブモードがさらっと吹っ切れたりすることもあります。

そうすると、気分良いじゃないですか。

あら?つまりはなんか、意外とポジティブな感じ?

になっているわけです。

ネガティブな面も肯定する(否定しない)ことがポジティブにつながる、なんて一見矛盾してるようにも感じられますけどね。

 

これ、安っぽく無神経になってしまうポジティブとは区別して、ネオ・ポジティブと言っておきますが、とても有効です。

ポジティブな私も、ネガティブな私も、なかなか気持ちが切り替えられなくてうじうじしてる私も、「そんな私ではいけない!」と否定するのではなく、全部私、と肯定すること。

ポジティブシンキングの落とし穴にはまってるな、と感じたら、是非このネオ・ポジティブを試してみてください。

閑話休題。

オランダは緯度が日本より高いので、冬の日中の時間がとても短いです。日の出は9時前後、日の入りは4時半頃です。

朝ごはんを食べる時間はまだ真っ暗だし、夕方家に帰るころにはもう真っ暗。

ヨーロッパの冬は暗い!です。だからみんな、春になって日が長くなってくると嬉しくてイカれちゃうのね笑

こちら↓は去年のちょうど今ごろ、確か昼間の3時ごろに、既に夕方の雰囲気になっていた街並みを撮ったものです。