今回は、
欲しいものが手に入らないのは、なぜ?
というタイトルにしてみました。
前回のメルマガで、アファメーション(呪文)が叶わない理由の一つとして、
唱えている内容が本当に欲しいものではないから
と書きましたが、今回はここをもうちょっと掘り下げてみようと思います。
「欲しい!」って、単純な欲求のような気がしますが、実に何層にも「欲しいもの」が重なっていて、結構奥深いなと思います。
私自身、そりゃーたくさんの「欲しいもの」にごりごりに執着しては絶望を繰り返してきたので、この辺は一家言あります笑
上でも書きましたが、欲しいものが手に入らないのは、それが本当に欲しいものではないから、です。逆に言えば、本当に欲しいものなら、「欲しいー!」と主張しなくてもするっと手に入ります。
では、何故本当には欲しくもないものを欲しいと勘違いしてしまい、それが手に入らないことに苦しむことになるのでしょう?
今日はそんなお話です。
本当に欲しものではないのに欲しいと勘違いしてしまうケース、一つ目は、「手段」を「欲しいもの」だと勘違いしている場合。
前回のメルマガで例として出しましたが、
「年収○万円以上の超優しい次男君で私の家族も大事にしてくれて持ち家で家事も完璧にこなしてくれる旦那様と結婚してる♪」
ということが欲しいとします。でも、手に入らない。
ここで考えたいのは、「なぜこういう旦那さんが欲しいのか?」です。
例えば、「だって、これくらいのスペックを満たした旦那さんなら世間的にも見栄えが良いし。。」という理由があるとします。
ということは、この旦那さんは自分の世間的な見栄えを良くするための「手段」なんですね。
そうしたら次は、「なぜ世間的な見栄えを良くしたいのか?」を考えてみます。
理由として、「だって私はそのままでは世間的に全然見栄えがしないから…」なんてことが出てくるとします。
ということは、「そのままの自分には自信がない」ことが一番の問題で、自信がついてしまえばスペックの高い旦那さんは要らなくなってしまいますね。
つまり、ハイスペック旦那さんが本当に欲しいわけではない、のです。
ちなみにこういうケースって、自分が自信をつけられる気がしなければしないほど、ハイスペック旦那さんへの執着も強くなります。
そうやって、ハイスペック旦那さんが欲しくてたまらない、でも手に入らない、という状況になってしまうのですね。
次は、以前禁止された反動で、それを手に入れることに執着しているケース。
例えば子供時代に「あのおもちゃ買って!」とおねだりしたものの、買ってもらえなかったとします。
親としては、何でもかんでも買い与えるわけにはいかないし、我慢することやお金の大切さも学ばせなければいけないし、などなど、いろんな判断があっての「ダメ」だったはずです。
でも、子供からすれば、あのキラキラととても魅力的に見えたおもちゃが自分のものにならないことは、そりゃー悲しく悔しいものです。その無念さが心にずっと残り続けることもあるんですね。
すると、大人になってから、あの時の無念さを何とかして晴らそうとします(意識的・無意識的かは別として)。
同じおもちゃに執着することはないでしょうが、何となく適当に思えるターゲットを見つけて「今度こそ手に入れる!」と執着します。
そして、それが手に入りにくいターゲットであればあるほど、晴れて手に入った時にやっと子供の頃の無念が清々しく晴らせるのでさらに好都合。
でも、そもそもそのターゲットは手に入りにくいので、「欲しいものが手に入らなくて苦しい」という状況だけが作られてしまうのです。
もう一つあるあるだと思うのは、現状に何かしら不満があるので不満がない状態が「欲しい」と思っているけれど、実は不満のある方が「都合が良い」ケース。
分かりやすいのは、職場環境などでしょうか。
人間関係がぎすぎすしていて協力し合うなんてもってのほか、嫌がらせも茶飯事で毎日出勤するのが苦痛で仕方ない。
でも、苦手な人たちがみんな辞めていくはずもないし、かといって自分が転職するにもリスクを考えると現実的とも思えない。
ただ快適に働ける職場が欲しいだけのに…
みたいな状況ですね。
この時、頭では職場の状態が苦痛で仕方ないのですが、実はそうやって苦痛を感じながらも働き続けることで、「すっごく頑張ってる自分」に満足感とか達成感が得られているなんてことがあります。
また、動画セミナーの「エネルギー」の回でお話ししましたが、イイ感じに不満を感じながらも働くことで、自分の膨大なエネルギーを燃やすことができている、というメリットがあることもあるでしょう。
いずれにしても、不満のある状態に実は「隠れメリット」があるので、頭で考えて「欲しい」と思っている不満のない心穏やかな状態は、やはりなかなか手に入りません。
こうしてみると、「欲しい!」にはいろいろな切なかったり複雑な層がありますね。
でも、物事には必ず背景があります。上の例で言うなら、「自信がない」とか「子供の頃の悲しさ」とか、はたまた「隠れメリット」ですね。もちろんこれだけでなく、人生の数だけいろんな背景があります。
こんな風に、「欲しい!」に含まれる背景の層を一つ一つ開いていくと、本当にほしいもの、やりたいことが必ず見えてきます。
それは、「欲しい!手に入れてやる!」のように執着でぎらぎらした欲求ではなく、「あ、これは私の生活/人生の一部だな」とすんなり腑に落ちます。それが自分の一部であることが当然と感じるので、「欲しい!」とさえ思わないかもしれません。
そして、そうやって腑に落ちるものは必ず手に入ります。
と、いうわけで。
なかなか欲しいものが手に入らないな、と感じている方。ちょっと立ち止まって、その「欲しい」の背景にあるものを見つめてみると良いかもしれません。
背景にある何層もの思いを丁寧に拾っていき、本当に欲しいものを見つけて叶えていきたいですね♪
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
冬は日中の日差しも本当に弱弱しく、太陽の意欲を疑います笑
緯度が高いと季節の感じ方も違うものだなとオランダに来てから思いました。