こんにちは、頑張り屋さんの女性を自由にするカウンセラー・コーチ、コバヤシアキコ@オランダです。
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今回は、
誉め言葉を素直に受け取れない
というお話を、先日頂いたお便りにお返事する形で書いてみます。
気づいたことが1つありました。それは、
私、
やっぱりやっぱり、
褒められるのを素直に受け取れなくて。それ、どうしてだろう?って思ったとき、逆に
自分が相手を褒める時、
たしかに本心もあるんですが、
それ以上にどうしても
「相手が喜びそうなこと」
に気づいて、それを言ってしまうんです。
だから、だれかに褒められたりしても、逆に
「私が喜びそうなことを言って下さってる?」感が否めません。
なんだか、いつも緊張感いっばいです。
(Eさん)
Eさん、悩ましいお便りをどうもありがとうございます!
お返事させていただきますね。
誰かを褒めてあげる時、
もちろん本心からの言葉ではあるのだけど、
それ以上に「相手が喜びそうなこと」を言ってしまう。
すると、翻って、誰かが自分を褒めてくれた時も、
「本心である以上に、ただ私を喜ばせるために言ってくれているだけなのでは?」
と思ってしまって、その言葉を素直に受け取れない。
分かりやすい「投影」ですね。
また、
私を喜ばせるために言ってくれているだけ?と思うと、
油断して無邪気にその言葉を受け取って喜んでしまうのが、恥ずかしいような惨めなような、
そんな気分にもなりますね。
なので、いつも気を抜かないように過ごしているのが、
>なんだか、いつも緊張感いっばいです。
という感じなのかな、と思いました。
これも、いろいろ気づけてしまう方の「あるある」かもしれませんね~
じゃ、どうしましょう?というお話なのですが。
まず、
仮に、実際、相手の人が、本心である以上に
「こちらが喜びそうなこと」を言ってくださっているとします。
その時、少なくとも、相手の人は「あなたに喜んでほしい」と思っているんですよね。
そしたら、まずはその「気持ち」を、受け取ってみましょう。
自分は相手にとって、「喜ばせたい存在」なんだな、それって嬉しいことだな、と思ってみるのですね。
言葉そのものよりも、受け取りやすいと思いませんか?
そして、これって、逆も然り、で、
自分が相手の喜びそうなことを伝えるのも、やっぱり
「喜んでほしい」、「相手の嬉しそうな顔が見たい」という願いがあるからこそ、
ですよね。
すごくすごく、優しいのです。
(私なぞは、昔は、「相手が褒めてくれるまで、私からは絶対褒めてあげない!」なんて思ってましたからね。←どんだけか笑
相手が喜びそうなことを、自分からちゃんと伝えてあげられることって、
それ自体が素晴らしい価値であり、才能なのですよ。)
そんな「愛」と「価値」と「才能」に溢れた自分自身を、
やるじゃん、あたし♡
と認めてあげてくださいね。
これだけでも、誉め言葉を受け取るハードルが下がって、だいぶ緊張感が和らぐのでは、と思うのですよね。
それから、もう一つ、
自分が相手を褒める時の、本音の純度を高めてみる
のも良いですね。
自分から相手に誉め言葉を伝える時、本音以上に「相手の喜びそうなこと」の割合が結構大きいために、
逆に相手から褒められても、「相手も同じことをやっているのでは?」と感じて、素直に喜べない訳です。
そしたら、今度は逆を行って、
自分から相手を褒める時も、「相手の喜びそうなこと」以上に、自分の本音にこだわって伝えるのです。
自分がより本音の誉め言葉を伝えるようになればなるほど、
相手からの誉め言葉も「本音で言ってくれている」と思えるようになりますのでね(これももちろん「投影」です)。
それからもちろん、
自分の魅力や才能や価値を、日々自分で認めまくる
のも良いですよ!(宿題、やってますか?)
「私って、こんなに素敵な人だもの、そりゃーみんな褒めたくなるよね♪」
と思えるようになるほど、誉め言葉もごく自然に受け取れるようになります。
…こうしてみると、
誉め言葉って、ただの嬉しい言葉で、ただ嬉しく受け取っておけば良いだけのはずなのに、
意外といろんな思いが絡んで、それを難しくしているんですよね!
まーたく、やれやれ、ではありますが、
でも、受け取れるように、なれますよ!
そして、受け取れば受け取るだけ、現実が動いていきます。
今日お話したこと、何かしら実践してみてください♪
Eさんが、力を抜いてシンプルに誉め言葉を受け取れるようになれますように。
いつも、応援しています。
お便りありがとうございました♡
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閑話休題。
自転車がたくさん!