なぜ「苦手な人」「嫌いな人」が人生には現れるのか?

今回は、

なぜ「苦手な人」「嫌いな人」が人生には現れるのか?

というタイトルにしました。

 

 

皆さんは、

「この世が私の好きな人ばかりだったらいいのに。
苦手なあの人や嫌いなあの人みたいな人がいなくなれば、私の人生はヘヴンなのに」

と思ったことはありませんか?

私はしょっちゅうありました。

もー、なんでこういうウザい人がいるのかなぁ、この人のせいで私の心の平安はいつも乱されっぱなしだわよ。

なんて思ってましたね。いや、今もぽろぽろ出てきます。白状しちゃいますけれども。

 

例えば、私は、

自分の欲しいものを(人から奪うことになっても)さらっと手に入れてしまう人(図々しい人)

が、とても嫌いだし苦手でした。

まぁ、こういう人が大好き!という人は実際あまりいないかもしれません。が、もうちょっとここを深めてみます。

 

私は、「図々しさ」を強く嫌っていて、どうしても人のそういう面が目に付いてしまうんですよね。

これ、どういう原理かというと。

例えば、赤いバッグが欲しい!と思うと、急に街で赤いバッグを持った人がたくさん目に付くようになりますよね。

あるいは、女性が妊娠すると、街の中に急に妊婦さんが増えたように感じることがあります。

これはどちらも、「欲しい!」と思ったり妊娠したことで、意識のアンテナが「赤いバッグ」とか「妊婦さん」にチューニングされたので、目がに入りやすくなったんですね。

私の目に「図々しさ」の要素がどうしても入ってくるのは、これと同じ原理なのです。

私の心のアンテナが「図々しさ」にチューニングされていて、他の要素よりも目に付きやすい状態になっているのですね。

嫌なアンテナだ笑

 

ちなみに例えば、人によっては「金満さ」を嫌い、成金セレブみたいな人などを嫌悪する人もいるかもしれません。が、私のアンテナはそこにはチューニングされていないので、特に気になりません。

反対に、この「金満嫌い」な人は、「図々しさ」はもしかしたら全く気にならないかもしれません。

つまり、人それぞれに、異なるいろんなことにチューニングされた「アンテナ」を持っているので、苦手な人、嫌いな人のタイプもそれぞれに異なる、ということなのですね。

 

では、なぜ私のアンテナは「図々しさ」にびしっとチューニングされているのでしょう?

 

それは、私自身の中に「図々しさ」という要素があり、自分でそれを強く嫌って、そういう人間にならないようにと細心の注意を払っているから、なのです。

で、自分が嫌っているこの要素が外に出て人にバレることがないように、常にその要素を見張っているわけです。つまりチューニングされているんですね。

すると、このアンテナは、自分の中だけでなく、他人の行動の中にある同じ(ように見える)要素も同じように感知します。

その時私は、「あっ!あの人、『図々しさ』がだだ漏れ!あ、この人も!もうみんな、ダメじゃん!」というように、超高性能レーダーとなってその要素を次から次へと摘発することになります。

そうやって、自分が嫌っている要素を持った人(つまり「苦手な人」「嫌いな人」)をどんどん見つけてしまう、という訳です。

 

これ、心理学では「投影」と言います。

自分の目に映る世界は、全て自分のフィルターを通した世界(アンテナが感知した世界)なんですね。

で、そのアンテナは、当然自分が強く意識していることにチューニングされます。

なので、自分が自分の中の何かの要素を強く嫌えば嫌うほど、アンテナがその要素に敏感に反応し、いつも周りに誰かしらその要素を持った(ように見える)「苦手な人」「嫌いな人」を見つけてしまうのです。

人生の中にいつも「苦手な人」「嫌いな人」が現れるのは、それだけ自分の中に嫌っている要素があるから、なのです。

 

あの人の苦手なところ、嫌いなところが、実は自分の中にあるなんて、考えるだけでもとても嫌ですよね!

私もこの考え方を最初に学んだときは、苦虫を噛み潰したような気分になったものです。

 

でも。

これ、逆手に取ってしまえば良いとも思いませんか?

 

どういうことかというと、自分の中にある嫌いな要素を、まるっと肯定し愛してしまうのです。

すると、もうアンテナが今まで「苦手」「嫌い」と思ってきた人に反応しなくなりますよね?

だって、その要素をもう受け入れて肯定してしまったのですもの。

 

例えば私の例では、自分の図々しさも「それもまた可愛いよ!」という風に受け入れてしまうのです。

あるいは、自分のある側面を「許しがたいほど図々しい」と判断し強く嫌うことになった、大元の出来事や記憶を整理して、「別にそこまででもなかったかも」というように記憶を書き換えていくという方法もあります。

こちらの方がより根本的なアプローチですね。カウンセリングではこういうこともやります。

どちらの方法でも、自分で嫌ってきた要素を受け入れられるほどに、アンテナがその要素に反応しなくなって、同じ人が苦手でも嫌いでもなくなっていくんですよね。

その相手の人は何も変わっていないのに。

 

その意味では、「この人苦手だな、嫌いだな」と思ったときは、「自分が嫌ってきたその要素を愛してあげるタイミング」と考えることもできます。

ついでに言うと、その要素を自分が嫌い続ければ、苦手な人も嫌いな人も、一人去ってはまた一人と、いつも目の前に現れ続けます

逆に、なぜか最近周りに苦手な人や嫌いな人がいないな?と思ったら、それだけ自分のいろんな面を愛することができるようになってきた、と見てあげれば良いですね。

 

苦手な人、嫌いな人がいない世界に住むには、結局いつもの「自己肯定」という話になるのですよね。

自分が嫌ってきたこともまるっと愛し、自己肯定すればするほど、世の中から苦手な人や嫌いな人がいなくなって、自分の好きな人だらけの優しい場所になっていくのですから。

というわけで、今日もせっせと、自分の全てを愛してあげましょう♪

 

参考になればうれしいです。

 

(ちなみにこの「苦手」「嫌い」な人の話題は、また別の角度から見ると今度は「隠し持った魅力」を引き出してくれるヒントにもなるのですよね♪

これもまた改めて記事にしてみますね!わくわく)

閑話休題。

雰囲気たっぷりの馬車で市内観光!

なんてロマンチック~☆

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