単純に親の考えに従うのが親孝行とは思わないけれど、
自分の意志を貫くと、親の気持ちを無碍にするようで罪悪感がある。
自分軸を持ちながら、親孝行するにはどうすれば良いですか?
自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
しばらくコロナでダウンしておりました(涙)。
まだ嗅覚がお休み中なんですが、
前回もそうだったけど、無臭の世界って誠につまらないですね!!!
ともあれ、また元気に、
オンラインカウンセリングサイト「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談にお返事します♡
ご相談:「自分軸をもったまま親孝行するには」
自分軸をもったまま親孝行するには
こんにちは。豆柴と申します。
最近、彼に「一見仲良さそうにみえるけど、実は心の距離が遠い」と、私の親子関係に関する感じ方をひょんなことから聞いてもらう機会がありました。この時、今の彼と私の距離感もまさに!と私は気づきました。(私は、彼に心を開ききっておらず、愛情よりも、自分が傷つく恐れに目が行きがちなのです。)
カウンセリングシーンでも、根本さんのブログでもよくみかける、現在抱える問題は、幼少期からの親子関係が再現されている見解に、とても納得しています。ところが、具体的にどうしていいのか、わからず、こちらへ相談させていただきました。
先ほどの「心の距離が遠い。つまり私が心を開けていない」について、特に母は不満に感じているようで「何を考えているのかわからない。もっと私(母)に話をしてほしい」と言ってきます。私としては、自分のしたいことや考えを親に表明すると、反対される可能性を考えて、言えません。その態度が母を不安に、そして、さみしくさせているのかもしれません。
振り返ると、「かわいい子には旅させない」つまり、親の強いてきたレールを期待に沿って走ってきたように思います。例えば、「車の運転は危ない」と、免許を取ることを反対され、本当は気軽にふらっとドライブして息抜きしたい私としては、行動を制限されている気がして息苦しく、運転できる友達がうらやましいと思っていたりします。
年老いた両親に、恩返しをしたい。そして、彼へ、信頼を送りたい。彼の最大の理解者でもありたい。アドバイスをお願いいたします。
具体的には、以下の2点です。
①自分軸と親孝行の両立
例えば、私の、パートナーと仲良くしている姿、友人に恵まれている姿はその一例かと思い、意識しています。私がしたいことを楽しんで過ごすことが親孝行だと思うのですが、親の意見とぶつかる場合、自分の意志を貫くことは、親孝行とは言えないのでしょうか。親も私も、winーwinな関係になりたい。
単純に親考えに従うのが親孝行とは、どうも言い難いと感じることもあります。
でも、私のために言ってくれているのはわかるので、無碍に払いのけるのもなぁ、と。つまり、罪悪感を感じます。
②親の過干渉・過保護への自分の姿勢・意識の持ち方
私の親は世間でいう心配性・過保護の傾向があると思います。このことは、たまに、「自分の」不安を私に押し付けているのでは?つまり、私は信頼されていない、とも感じます。もっというなら、「親を親とみている、自分は子供のまま」と。対等じゃなく、だから親離れ子離れできていないのかと。
ここは、親の感情は親のもの、と線引きをしたいところですが、線を引くことが、親を見捨てる感覚があります。また、線引き、つまり、自立することは、依存の裏返し、ともいえるのであれば、親との関係にも相互依存という概念があるのでしょうか。
自分軸をもったまま、両親と相互依存の関係になり、親孝行するには、どのようなマインドで親に接すればよいでしょうか。
(豆柴さん)
豆柴さん、こんにちは。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコと申します。
豆柴さん、なんて親御さん&彼思いで愛が大きい方なんだろう!と感動しました。
そして、
ご自身とご両親の関係を、たくさん勉強しながら客観的に見て分析していらっしゃって、
さすがの一言です。
私からのお返事では、
- 「自分軸」と「親孝行」を両立するためのポイント:「愛」を受け取る。
- 親の過干渉・過保護への自分の姿勢・意識の持ち方:ご両親に「信頼」を送る。
- 彼に、そのまま話してみる。
という3つのポイントから、
豆柴さんが、自分軸をもったまま、ご両親と相互依存の関係を作り、親孝行し、
そして、彼にも信頼を送り、最大の理解者になってあげるためのマインドについてお話しています。
私のお返事はこちら↓です。お役に立てれば嬉しいです♡
「自分軸」と「親孝行」を両立するためのポイント:「愛」を受け取る。
まずは、豆柴さんが整理してくださったポイントの一つ目、
「自分軸」と「親孝行」の両立
からいきましょう。
豆柴さんが、自分軸と親孝行の両立に難しさを感じるのは、
自分がしたいことと、親の意見がぶつかる時
ですね。
自分の意思を貫くことで、
自分のことを思って言ってくれている親の気持ちを無碍にしてしまう気がして、
それでは親を悲しませてしまう、親孝行ができなくなってしまう気がする。
その罪悪感に、自分軸を持つことを躊躇してしまう、持ったまま親孝行することが難しく感じてしまう、
という感じかなと思います。
こんな風に、
自分の意思と親の意見がぶつかる時に、
自分軸を持ちながらも、親孝行もする考え方。
単純に親の「考え」に従う代わりに、
親御さんが豆柴さんを思って言ってくれている、その「気持ち」を受け取る、
というのはどうでしょう?
「私をこんなにも愛してくれているからこそ、いろいろ言ってくれるんだよね、
その気持ちが本当に嬉しい、ありがとう」
のように、
ご両親の「意見」そのものではなく、その大前提にある「愛」を受け取って、
その「愛」に対する「感謝」をご両親に贈る、
そんな形の「親孝行」です。
ここでは、ちゃんと「受け取って」、感謝も送っているので、
無碍にしているという罪悪感も生まれづらいのではないかと思うのですね。
そしてその上で、
「でも実は私は○○ではなく△△がしたいから、そうさせてもらうね!(見守ってくれてありがとう!)」
と、自分軸を持ち続ける感じです。
・・・と、
ここまで読んでいただいて、
どんな気がしているでしょう?
「そっかー!それでいいんだ、それでいこう!」
と思えれば、もうそのまま突き進んでいただけたら良いなと思いますが、
もしかすると、
「うーん、まぁ、確かにそれもありかもしれないけど、
最終的に自分の意思を貫くと、結局は、無碍にしている気がしてしまうし、
見守るどころか反対されたりするからなぁ」
みたいな、上手くいかない感があるかもしれません。
これは、豆柴さんが次のポイントとしてあげてくださった、
「過干渉・過保護な親」と、「親離れ・子離れ」のテーマに繋がってきますので、
次でさらに考えてみましょう。
親の過干渉・過保護への自分の姿勢・意識の持ち方:ご両親に「信頼」を送る。
というわけで、次は、
「過干渉・過保護な親」と、「親離れ・子離れ」です。
ご相談文から、
豆柴さんはご自身やご両親に向き合い、たくさん学んでいらっしゃるのが良く分かるのですが、
ここ↓の分析も素晴らしい!と思いました。
「自分の」不安を私に押し付けているのでは?
そう、
過干渉・過保護な親って、子どもに、自分自身の不安を押し付ける、ということをついやってしまうんですよね。
子どもにやりたいようにやらせるのは、自分が不安なので、
子どもに、自分が安心できる行動をさせたくなってしまうのです。
それが、「過干渉」な言動になるんですね。
そして同時に、特に豆柴さんのような愛情深いお嬢さんは、
「私の好きにやらせてよ!」と反発するのではなく、
親が安心できるような行動をとってあげちゃう、親の意見に従ってあげちゃったりします。
で。
実はここで気づきたいことがありまして。
子どもが、親が安心できるような行動をとってあげたり、親の意見に従ってあげたりする、
ということの、意味です。
豆柴さんもお気づきの通り、
ご両親の不安は、ご両親自身の感情、ですよね。
で、そこで、
豆柴さんが、ご両親が不安を感じないように、ご両親の意見に従ってあげると、
それは、ご両親が本来自分で処理できるはずの感情のお世話を、豆柴さんが引き受けてあげることになります。
つまり、
私は信頼されていない
と書いてくださいましたが、
実は、
ご両親が、豆柴さんを信頼しきれていない(どうしても不安を感じてしまう)のと同時に、
豆柴さんご自身も、ご両親に、自分の不安などの感情を自分で処理する力があることを、信頼していない、
という側面も、あるのです。
これは、
こんな風に↓書いてくださった通り(これもまた素晴らしい洞察です!)、
「親を親とみている、自分は子供のまま」と。対等じゃなく、だから親離れ子離れできていないのかと。
まさに、対等じゃない、わけですが、
それは、
お互いに、お互いへの信頼がちょっとだけ不足していて、
ご両親は「親」のポジションから、豆柴さんは「子供」のポジションから、
お互いに、対等でない状態を作り合っている、
ということではないかと思うのですね。
と、いうことは。
豆柴さんが、
ご両親と、大人同士の対等な相互依存の関係を作っていくには(親子の相互依存もありますよ!)、
まずは、豆柴さんからご両親に信頼を送ってあげる、ということになるかもしれません。
もちろん、
ここまで、信頼できなくなるような理由やできごとがいろいろあったと思います。
それこそ、自分の考えを伝えたら反対されたり、などですね。
でも、
確かに今はまだ娘を信頼することに慣れていないけれど、ご両親はそうする力をちゃんと持っている、
だって、大人だもの。私を生んだ両親だもの。
と、豆柴さんがまずは知っておいてあげるんですね。
そこで、「親を見捨てる感覚」が疼くようでしたら、
それは、ご両親の不安のお世話を引き受けるという形での「愛し方」を辞めることへの罪悪感、
なのでしょう。
でもそこで今度は、
ご両親に信頼を送ってあげる、
そしてご両親とご自身の関係を、より大人同士の成熟したものへと成長させていくことの、リーダーシップを取ってあげる、
そんな形の「愛し方」を、新たに始めるところなんだな、
と思ってみると、良いかもしれません。
すると、
自分軸を持ちながら、ご両親と相互依存の関係を作り、親孝行をする、ということのイメージも、
持ちやすくなってこないでしょうか?
彼に、そのまま話してみる。
ご相談文では、
そして、彼へ、信頼を送りたい。彼の最大の理解者でもありたい。
とも書いてくださいました。
(もー、豆柴さんの愛の大きさに、涙が出そうです私は。)
この、彼への「信頼」は、
上で触れたご両親への「信頼」とはまたちょっと異なり、
「自分が傷つく恐れ」を超えて、彼を信頼し、彼の愛情を受け取れるようになりたい、
ということなのかな、と想像しました。
これは、今すぐできることとしては、
そんな恐れを持ちながらも、彼の愛情をもっと受け取りたいし、もっと信頼を送れるようになりたいし、あなたの最大の理解者でありたいと思っている、
だって私はあなたが大好きで、もっともっと良い関係を作っていきたいと思っているから、
ということを、彼にそのままコミュニケーションしてみても良いのでは?
と思いました。
そのコミュニケーション自体が、お二人の信頼関係を深めてくれると思いますし、
彼が豆柴さんをどんな風に愛してくれているのか、彼にどれほど愛されているかの理解もますます深まるでしょう。
もちろん、彼という人、彼の人生、への理解もさらに深まると思います。
それは、彼にとっても豆柴さんにとっても、素晴らしいギフトになるのでは、と思います。
また、
自分が傷つく恐れが強くて、相手に心が開けない、というのは、
まさに、過干渉・過保護な親のもとで育った方が持ちがちなお悩みです。
「親密感への怖れ」ですね。
なので、さらに根本的なところから整理して、その怖れを解消していくならば、
やはりご両親との関係を見直すのはおすすめです。
これは典型的なカウンセリングセッション案件なので、
良かったら検討していただけたらいいな、と思います。
とっても応援しています♡
というわけで、ちょっと長くなりましたけれども、
どこかしらお役に立てていたでしょうか?
こんなにも愛情深いお嬢さんに愛されて、
ご両親も彼も、ほんとに幸せ者ですね。
今までと違う、新しい「愛し方」や「関わり方」を作っていこうとするときは、
今までのやり方を辞めることへの罪悪感をどうしても感じがちですが、
豆柴さんにはぜひ、ご自身のそれは大きな「愛」を自信にし、そんなご自身を信頼もしながら、
一歩一歩、前に進んで行かれますように、
心より応援しております。
よかったら、お手伝いさせてくださいね!
お読みいただき、ありがとうございました♡
コバヤシアキコ
今日の一枚。
秋の陽光。