母親や父親など、わだかまりを持っている相手がいると、
この人にそのわだかまり、辛さ、苦しさなどの気持ちをどうしても分かってもらいたい
という思いを強く持ったりします。
普段はそんな思いも心の底の方に押し込めて我慢しているのですが、
もし分かってもらえたら、それだけでもずいぶん救われるんだけどな
という思いがふと湧き上がってきて、また苦しくなってしまったり。
こんな時、その相手と直接対決するのは、おすすめなんでしょうか?
私は、個人的にはあまりお勧めしていません。
というのは、
自分が期待しているような方法でこちらの思いを受け止めてもらったり、理解してもらえることは、
やっぱりなかなか難しいんですよね。
なので、たとえ勇気を出して直接対決してみても、満足いくような反応が得られず、
むしろ傷がさらに深まってしまう、なんてことにもなりかねないのです。
ちなみに、
なぜ、直接対決しても思うように受け止めてもらえなかったり、理解してもらえなかったりするのでしょう?
そのカラクリは、こんな風になっていることが結構あります。
こちらとしては、いろんな思いを「説明」し、それに「理解」を得たい、と思っているわけですが、
相手には、その「説明」は、「非難」のように伝わったりするんですね。
で、「非難」されたと感じれば、多くの人は「理解」を示す余裕を失い、
むしろ「私は悪くない!私だって精いっぱいやっていた!」と「保身」したくなったり、
「そんなこと私にはできない」とか「未だにそんな昔のこと言ってるの?」と「開き直って」しまったりするのです。
すると、こちらとしては
「あぁ、やっぱり分かってもらえない。受け止めてもらえないのか…」
という悲しい不満がさらに募ってしまうんですね。
こんなところから、直接対決はあまりお勧めしない、というのが私の個人的なスタンスになっています。
(もちろん、ケースバイケース、ではありますけれど。)
でも。
そんなことを聞くと、
じゃあ、私の分かってほしかった思い、受け止めてほしかった思いは、永遠に行き場がないままなの?
と、さらに絶望を感じている方もいらっしゃるかと思います。
ここは、ちゃんと救いがあります(世の中には必ず救いがあるのが良いところです☆)。
そもそも「理解してほしい」「受け止めてほしい」というのは、
わだかまりを解消して「楽になりたい」ということですよね。
で、楽になることは、必ずしもその相手本人に理解されたり受け止めてもらったりしなくても、可能なのです。
目指すところは、自分でそのいろんな思いを受け止めることです。
ただ、最初から自分で受け止めようとするのは、心の負担がちょっと重すぎることもあります。
なので、まずは信頼できる誰かに話すなどして、理解され、受け止めてもらうところから始めるのが現実的におすすめです。
もちろん、
お母さん、お父さんじゃないと、他の人じゃ何の意味もない!
という思いもあるかもしれません。
それくらい、お母さん、お父さんからの「理解」や「受け止め」てもらうことが、大切なんですよね。
その思いも含めて、この「信頼できる誰か」に理解してもらったり、受け止めてもらったり、を積み重ねていくんですね。
そうやって、自分の思いが理解される、受け止めてもらえる場がある、ということを繰り返し体験していくことで、
自分でも、その思いを抱きしめてあげることができるようになっていきます。
すると、
お母さんやお父さんと直接対決をして、自分のわだかまりを分かってもらう、受け止めてもらう必要を感じなくなっていきます。
強いわだかまりから、「自由」になれるんですね。
これは、鼻歌を歌いながらちょちょっとやって「ハイ終わり♪」となるものではないかもしれません。
でも、取り組んだ先には、とても楽な自分が待っていますよ♪
あなたが、心の重石から自由になっていけますように。
いつでもお話聞かせてくださいね!
いつも応援しています。
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閑話休題。
初夏の街角。