アメリカ人の友人は、中国でやっと自由になったと語ってくれた。

自由の国アメリカの女の子が、
25年前の中国で自由を感じたと語ってくれたのでした。

 

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。

 

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

 

昔々、25年も前のこと。

これは私が学生時代に、アメリカに1年間の交換留学をしたときの話です。

 

いつだっけ?と思ったら、

もう25年前!

 

まぢで?!もうそんなに時間経っちゃったの?!

と、震えましたが、

なんだか昨夜、急に思い出したので、書いてみます。

 

彼女は、鼻ピアスをした、テキサス出身の女の子。

1年の交換留学でアメリカに行った時、

テキサス出身の女の子と仲良くなりました。

 

仲良しグループで過ごす学生生活にはいかにも馴染まなそうな、

自分の世界観とか哲学を持っている感じの知的な雰囲気と、ちょっとハスキーな声が、

初めての長期の海外滞在でどきどき中の私には、とってもかっこよく見えたのを覚えています。

 

実際、当時の私は21歳で、彼女は24歳。

学生にとっての3歳の差は、相当大人びた雰囲気に感じました。

 

3年も回り道してこの大学に中途編入してきた彼女には、いろんなストーリーがありました。

 

兄弟や当時の恋人、親戚からの、性的被害に遭っていました。

家族から、銃口を向けられたこともありました。

自殺未遂をして病院に搬送されたことも何度かありました。

 

そんな話を、

カフェで頼んだこれが美味しくてさ~という話のついでに、

にこにこしながら話してくれるのです。

 

まだ英語の力がおぼつかなかった私は、

彼女の表情と話題のあまりのギャップに、本当に彼女の言葉が理解できているのか不安になりながら、

彼女が話してくれるストーリーの一つ一つに聞き入っていました。

 

「私はアメリカで自由を感じたことがない」

アメリカって、「自由の国」と言われます。

アメリカ人の彼女も、それはもちろん承知です。

 

でもある時彼女は、

「私はアメリカで自由を感じたことがない。」

と話してくれました。

 

そうなの?自由の国なのに?

と驚く私に、彼女はこう言いました。

「私が自由を初めて感じたのは、去年留学した中国だね。」

 

中国で、自由??

私の反応が面白かったようで、彼女はますますにっこにこになりながら、言いました。

 

「そう、中国。

世界で一番、不自由な気がするよね。

 

でも私は、

『過去』に私に起こったことを知る人が誰もいない、

アメリカの常識は1ミリも通じない中国で、

国籍も性別も何も関係ない、『今、ここにいる一人の人間としての私』として生きられた時間が、

人生で一番自由を感じたよ。

 

アメリカに戻ってきた今は、

また、アメリカ人としてこんな経験やあんな経験をして、こんな姿になっていかなくちゃいけない私、

という枠に戻っちゃった気もするね。」

 

あぁ、そうか、そういうものか。

そんな風にぼんやりと思いながら、彼女の話を聞いていました。

 

トルコで私は初めて自由を感じた。

それから10何年か経って、私はトルコのNGOでインターンをやっていました。

 

その時のインターン仲間に、こんなことを聞かれました。

「なんで日本を去ることにしたの?」

 

私は、こう答えました。

「日本にいると、日本人の私は、日本人の常識通りに振る舞わなくちゃいけない気がして、

過去のいろんな私が、今の私を作っていてその通りに生きないといけない気がして、

その枠に自分をはめ込んじゃって、すごく窮屈なんだよね。

トルコにいると、すごく自由を感じる。」

 

そんなことを言いながら、

あぁ、あの時のテキサスの彼女と似たこと言ってるな、私。

と思っていました。

 

トルコも、特に女性には服装などの制限があったりして、

「自由」とはちょっと言い難い国です。

(他のイスラムの国よりはずっとカジュアルで自由ですけども。)

 

でも、

日本人(外国人)であり、トルコの常識には従わなくてもそれほど非難されることもなく、

トルコにはまだ、恥ずべき・憎むべき・忘れたいけど忘れられないような「過去」がない、

そんな私は、

トルコでは羽が生えたような自由を感じていたのでした。

 

「自由」は環境が与えてくれるものではない。

テキサスの彼女も私も、

自分の「過去」の記憶や、自分が「今」感じている制限や枠から逃れるために、

中国へ、トルコへ、逃げました。

(彼女は「逃げ」という言葉は使わなかったかな)

 

確かに、

環境を変えるのは、自由を感じるためにとても有効な手だと思います。

 

でも、

その土地の言葉を話すようになり、その環境に馴染んでいくにつれ、

その土地での経験が、新たな「過去」の記憶として積み重なり、

その土地の常識や振舞い方や人間関係が、「今」の自分の行動を制限するようになっていきます。

 

私がトルコに住んだのは4年間でしたが、

その短い間にも、そんな「制限」を少しずつ感じるようになっていました。

(それでもまだまだ「外国人」であることの恩恵はたくさん受けてましたけどね!)

 

環境を変えても、本当の自由は手に入らないのです。

 

(ちなみに、今の環境に害がある場合、むしろ今すぐ逃げて環境を変えた方が良い場合もありますが、

ここでは、自分が自分に課している制限や枠のお話をしています。)

 

自分を自由にできるのは、自分だけ。

結局、自分を自由にできるのは、

「環境」ではなく「自分自身」

なんですよね。

 

「過去」を、

自分を縛り、自分を苦しめるもの、目を背けなければならないものにするのではなく、

「今」の自分を、こんなにも才能や魅力や可能性にあふれる人間にしてくれた時間として、

理解し直す。

 

「今」の環境の中で、

自分が自分に課している制限に気づき、自ら外していく。

 

それができればできるほど、

同じ環境でも、自分を自由にしていくことは、できるんですよね。

 

その後の私たち。

その後、テキサスの彼女は、

生まれ育ったテキサスに戻り、パートナーと一緒にめっちゃ元気なお子さんを3人育てています。

 

彼女にとってのテキサスは、もう、

「自分に苦しみを与えた土地」ではなくなって、

「大好きな家族と毎日新しい喜びを作る土地」になったのね。

 

私は、

前回日本に一時帰国した時、

あらっ?!日本てこんなに生きやすい、素敵な土地だったんだ?!

私、これからいつ日本に帰っても、日本でも幸せに生きられるじゃん♡

という衝撃を受けました。

 

それぞれに、自分の自由を見つけながら、今に至ります。

 

お互い、中国やらトルコやら、いろいろ彷徨ったねぇ。

今、幸せだねぇ。

うふふ。

 

んー、私はまだまだやることあるな笑

まぁ、それもまた良き哉良き哉。

 

「今」の自由と幸せに、エネルギーを注いでまいりましょう♡

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました♡

コバヤシアキコ

 

(私のセッション情報は、こちらでご確認いただけます。)

 

今日の一枚。

(インスタグラムより)

寒そうな風景!

 

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