私ってこじらせ女子?自己肯定感が低い人の特徴と、日常の「あるある」とは?

あなたのこじれた日常は、
自己肯定感の低さというこじらせが
作っているのかも?しれません。

 

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。

 

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

 

そこそこ気合いの入った「こじらせ女子」だった私が、
こじらせ女子さんの心と日常を読み解きます♡

 

◆あなたも「こじらせ女子」さんですか?

プロフィールでも書いている通り、

私は、元・「人類皆敵」「明るいネクラ」なプロの自分迷子ラーでして、

そこからも、私がそこそこ気合いの入った「こじらせ女子」だったことはお分かりいただけるかと思いますが、

あら??あなたもですか?

 

または、ふと、「私って実はそこそここじらせてるのかな?」と思い、

ネット検索してこのページを見つけてくださった感じでしょうか?

もしかすると、お仲間ですね?!

 

とはいえ、

「こじらせ女子」という言葉に心理学的な定義があるわけではありませんで、ここでは、

こじらせ女子さんの心の中がどんな状態になっているのか?

その結果として、こじらせ女子さんはどんな現実を作りがちなのか?

をお話してみようと思います。

 

◆「こじらせ」とは、自己肯定感が低い状態。

「こじらせる」って、辞書的には、こういう意味↓だそうです。

「こじらせる」とは、物事を複雑にして、誰かにとって困難な状況を作り出すことを意味する。例えば、人間関係やビジネスなどで、不注意のため、または故意に、話を複雑にして結果として自分や相手を混乱させることが「こじらせる」に相当する。「こじらせる」ことは、物事の解決や完了を遅くすることにつながり、問題の長期化や悪化を引き起こす場合がある。本来であれば簡単に解決・完了できるものを、その問題への不要なこだわりや強い執念などにより、複雑化・悪化させる意味合いを持つ。また、物事をわざと複雑にして、誰かにとって困難な状況を作り出すことも、「こじらせる」に該当する。

https://www.weblio.jp/

 

う、なんか、痛すぎてぐぅの音も出ない(泣笑)

私はまさにこんな感じで生きてきましたねぇ。

 

とにかく、「こじらせ女子」とは、

いろんなことを自分で複雑にして、自分の人生を自分で難しくしちゃうところのある女子

とも言えるかと思います。

 

(つまり、不器用で愛すべき女子ってことね♡←)

 

で、じゃ、この不器用で可愛い女子さんは、

心の中がどんな状態だから現実もこじらせがちなのか?というと、それは、

自己肯定感が低い状態(つまり心の中がちょっとこじれてる)

と私は考えます。

 

自己肯定感が低いことで、

対人関係(家族、恋愛、職場、など)や、日常生活のいろんな場面を難しくこじらせがち、そして忌々しい思いをしがち、

なんですよね。

 

また、

そういう難しくも忌々しい経験を積み重ねることで、ますます自己肯定感を下げ、

ますます難しく忌々しいできごとを引き寄せやすい心の状態にもなっていく(ますますこじらせていく)、

という面もある気がします。

 

なんだか、痛すぎて書き進めるのがしんどくなってきたけど笑、

もうちょっと具体的に見ていきましょう。

 

◆自己肯定感低めのこじらせ女子さんが遭遇しがちな、日常の「あるある」とは?

というわけで、

自己肯定感が低くこじれた心が、日常や人生をこじらせてしまう「あるある」を、

いろいろ見てみます。

 

(ちなみにこれは、

「私、こんなにこじらせてる!全然ダメじゃん!」と絶望するためのリストではもちろんありません。

 

ただ、

あなたの目の前の現実に何かしらこじれた状態があって、自分でも忌々しい思いをしているとしたら、

その状態を作っている「自分の心のカラクリ」を知ることは、とっても役に立つんですよね。

知ってしまえば、問題は8割がた解決したようなもの、だって、自分で解決できるようになりますのでね!

 

そんな、私が「20年前に知っていたかったよ…」と涙してしまうリストということで、お話します♡)

 

①いつも誰かにムカついたり誰かを嫌ったりしてる

いろんな人・ことに対する「怒り」の感情をいつも感じてる、と言うこともできそうですが、

これは、こじらせた日常としては、けっこう「あるある」じゃないでしょうか?

 

とはいえ、

何にムカついたり何を嫌っているのか、というと、それはもうたくさんの事情や可能性があり、

ここでは、代表的なケースをいくつかお話してみます。

 

1. 過去に嫌な思いをした相手を「投影」している

例えば、

お母さんが支配的だったり無神経だったり過干渉だったりなどしてわだかまりがある時、

目上の女性に、お母さんや、当時お母さんに感じていた(いる)感情を「投影」して、

どうしても好きになれない、良い関係が作れない、彼女の言動に何かしら腹が立つ、

なんてことが起こったりします。

 

こじらせ・自己肯定感との関連で言うと、

お母さんとの過去のわだかまりが、未解決のまま心に残っている、というこじらせを、

今の生活にも投影してこじらせている、ということになりますね。

 

2. 相手が「シャドウ」の可能性

「シャドウ」も、上でお話した「投影」の一つで、

自分の中にあって、自分が嫌ったり禁止したりしている要素を見せてくる人

です。

 

例えば、

「要領が良くてちょこっと図々しいところがある人」が、嫌い!ムカつく!のだとすると、

その「要領が良くてちょこっと図々しい」という要素は、実は自分の中にあって、

自分でこの要素を嫌って、「そんな自分は絶対だめ」と強く禁止し、そんな自分が外に出ないように抑えている、

ということになります(無意識のこともとても多いですけども)。

 

で、そんな時に、まさにそんな要素を素で出しながら過ごしている人を見ると、

「あ、この人、こんなにダメなことをやってる!ダメじゃん!許せない!」

と、ムカついちゃう、嫌いになっちゃう、怒りが湧く、んですね。

 

自己肯定感というのは、

どんな自分も「良い悪い」の判断なく、ただ「それが私」と受け入れている状態、なので、

「そんな自分は絶対だめ」と強く禁止して抑えている要素があるということは、

それだけ肯定できていない自分がいる、ということでもあります。

 

これは、

そんな風にして自己肯定感がぐらついている部分が、

日常に「こいつ嫌い!」というちょっとこじれた場面を作る、

という例ですね。

 

3. 「正しさ」へのこだわりが強くて、「間違った」人への怒りを感じる

「正しさ」というのは、自分的ルール、でもあります。

「時間に遅れてはならない」
「わがままを言ってはならない」

などなど、私たちは何百、何千という「正しさ」のルールを持っています。

 

そして、自分が強く信じている「正しさ」を、誰かが破ってきたりすると、

その相手に対して強い怒りを感じたりします。

 

一見、自己肯定感とかこじらせとは無関係な気もしますが、根っこに、

いつもルール通り「正しい」ことをする自分なら、肯定できる、存在していい、愛される、と思えるけど、

どこかに「間違った(悪い)」部分がある自分は、肯定できない、存在してはいけない、愛されない気がする、

みたいな無意識の観念があることも良くあります。

 

そして、その同じルール通り「正しい」ことをすることを、周りの人たちにも期待し、

そうしてもらえない時に怒りを感じる、という構図ですね。

 

これもまた、

低めな自己肯定感とか、「間違った(悪い)自分」への強い自己否定のあらわれであり、

それが作り出す、頭にくる人達という存在(というちょっとこじれた日常)、

なんですよね。

 

ちなみにこれは、⑤-3. 「彼・夫と主導権争いをしてお互い疲弊してしまう」にも繋がります。

 

4. 劣等感や嫉妬心を刺激する相手に怒りを感じる

「劣等感」や「嫉妬心」は、

自己肯定感の低さやこじらせの例として、とても分かりやすいのではないでしょうか。

 

で、そんな自分の劣等感や嫉妬心を刺激してくる相手はやっぱり忌々しく感じるし、

そんな自分もまた忌々しく感じてしまいますね。

 

しかもそこでつい競争心を発動してマウントを取ってしまったり、

マウントは取らないまでも、心の中で相手を下げて何とか納得しようとしてみたり、

なんてことをやると、それが自己嫌悪の元となって自己肯定感をさらに下げる、

という忌々しい展開もありますね。

 

これは、

そんな分かりやすい自分の中のこじらせが、日常を分かりやすく忌々しくしている、

一つの例かと思います。

 

5.「こんなことも分からないの?!」と他人にイラついちゃう

「こんなことも分からないの?!」「こんなこともできないの?!」

と、日常的に他人にイラつきやすい、という方。

 

これは、

ご自身の能力を「こんなの普通」「この程度のこと」「大したことじゃない」と過小評価している、

つまり、ご自身の価値を正しく受け取れていない、

のかも。

 

(実は、上の①-4で触れた「劣等感」「嫉妬心」「競争心」なども、

自分の価値を正しく受け取れていない時に感じます。)

 

自分ができることの価値をとてもちっぽけに思っていたり、価値があるなんて全然思っていないので、

「この程度のこと」のような気がしちゃうんですね。

そして、「この程度」のはずのことを相手ができないことが、理解できなかったり許せなかったりするのです。

 

ちなみにこれは、

相手に強く「期待」をしている状態

でもあります。「これくらい、普通はできるでしょ?」という感じです。

 

するとこれは、

相手にとっては強いプレッシャーになったり、

相手に「こんなこともできない自分はダメな人間」と感じさせるコミュニケーションをしてしまったり、

知らないうちに相手の地雷を踏みまくったりして、

相手との関係性をこじらせてしまうこともあります。

 

これは、

自分の価値を正しく受け取れていない、という、やはり自己肯定感低めな「こじらせ」によって、

相手にイラついたり、相手との関係性をこじらせてしまう、という、

やはり意外とよくあるお話ですね。

 

②「軽く扱われた」「バカにされた」と傷つく

また、自分で自分の価値を正しく受け取れていなかったり、

さらには、自分の存在価値さえあるとは思えないような、ちっぽけに扱うような感覚(無価値感)があると、

 

そこからくるこじらせとして、

①-4では「劣等感」「嫉妬心」「競争心」について、

①-5では、他人にイラッとしたり地雷を踏んでしまったりする、というお話をしましたが、

 

それ以外にも、

他人から「軽く扱われる」「バカにされる」みたいな、

やはり忌々しくこじらせた現実を作ることもあります。

 

自覚はしていなくても、

無価値感、つまり、自分で自分をバカにするような感覚を持っていると、

周りからの言葉も、(相手の意図とは関係なく、)自分を軽くちっぽけに扱っているように、バカにしているように感じがちです。

また、実際に軽く扱われるような、バカにされるような場面を、自ら引き寄せたりもするんですね。

 

また、

これは、「軽く扱われる」「バカにされる」ことに悩んでいる本人には全く信じがたいお話なのですが、

そもそも、他人から「バカにされる」「マウント取られる」みたいな攻撃的な扱いを受けるのは、

自分に明らかな魅力や価値があるからこそ、なのです。

 

どういうことかというと、

まず、本人に明らかな魅力や価値があって、周りにもそれが見える時、そこには往々にして「嫉妬」が生まれます。

そして、この「嫉妬」が、マウントとか嘲笑とかバカにするなどの攻撃的な表現となって、

本人にぶつけられるんですね。

 

(嫉妬を素直にさわやかに可愛く表現できる人は本当に少なく、攻撃的な表現になることがとても多いです。

自分が嫉妬を感じた時は、①-4みたいに感じますしね。

それを考えると、痛い(涙)ながらも分かりやすいかなぁと。)

 

ところが、

自分自身が、その魅力や価値に無自覚(それどころか、無価値感から「そんなの何もない」くらいの感覚)なので、

まさかそれらの攻撃が「嫉妬」によるものとは思わず(嫉妬だとしても気分は悪いですが)、

ただバカにされただけのような、自分の無価値感が相手からも証明されただけのような気がして、

悔しく悲しい思いばかりが残ってしまうのです。

 

本当に信じがたいようなお話かと思うのですが、

これもやはり、自分の価値・魅力・才能などが全然受け取れていない、強い無価値感がある、という、

やはり自己肯定感低めなこじらせがある時に、

周りからの反応に悲しい思いをする(忌々しいこじれた現実を作りがち)、

というお話の一つなのでした。

 

③相手の反応に「悪いことしたかな?」と気になって疲弊する・怒りを感じる

例えば、

相手の反応が、あまり積極的だったり好意的でないように感じた時、

「私、何か悪いこと言ったかな?嫌われたのかな?」と心配になって、頭から離れなくなってしまったり、

あるいは、

「私だっていろいろ考えて言ったのに、この反応はひどくない?!」と怒りを感じたり、

なんていうこじれた日常があるとします。

 

「悪いこと言ったかな?」は、「罪悪感」により自分を責めている状態、

「ひどくない?!」は、「罪悪感」により自分を責める、のが痛すぎて、逆に相手を責めている状態、

とも言えます。

 

どちらにしても、ベースにあるのは罪悪感=自分が悪い、という感覚ですね。

 

また、相手の反応で頭がいっぱいになったり強い怒りを感じたり、というのは、

相手に振り回されている=他人軸(相手軸)になっている状態、とも言えます。

 

罪悪感にしても他人軸にしても、やはり自己肯定感が高くない状態であり、

それが、こじれた日常を作っている例の一つです。

 

ちなみに、

こういう時って、「一人反省会」という名の自分責め・終わりのないダメ出しをしていることも多く、

それが⑥の「なんかこう、低空飛行気味」なこじらせに繋がっていることもよくあります。

 

④気持ちや言葉を我慢しすぎて爆発したり、関係を突然切ったりする

気持ちや言葉をつい我慢しがち、というのは、

自分の気持ちを相手に伝えることを、自分に我慢させている状態、でもあるし、

自分の我慢がないと成り立たない関係性を、自分に強いている状態、でもあります。

 

つまり、

自分が、自分の気持ちや意見を尊重していない状態、でもあるし、

極めて相手軸(他人軸)な関係性に身を置いている、とも言えます。

 

そして、その状態に自分が耐えきれなくなった時に、

爆発したり、その時の相手との関係を切り捨てたり、という形で自分を守ろうとする、

(そこまでいかないと、自分を守ることを自分に許せない、)

という見方もできるかと思います。

 

自分自身の扱いがとても厳しくて、大切にできていない状態、

つまり、やっぱり自己肯定感が低め、なんですね。

 

そんな低めの自己肯定感ゆえに、

居心地の悪い関係を自分に許しがちだったり、

爆発したり切ったりという、ちょっと極端な反応になりがち、

という例です。

 

⑤彼・夫との関係(パートナーシップ)をこじらせがち

自己肯定感が低い時、こじらせがある時、というのは、

彼・夫との関係(パートナーシップ)をこじらせることもあります。

これもまたいくつかお話してみますね。

 

1.「私はこの人に愛されてないんじゃ?」という「不安」

「私はこの人に愛されてないんじゃ?」という不安があると、

彼・夫の愛を疑ったり、嫉妬したり、重い女になったり、犠牲や我慢が多い無理な尽くし方をしたり(そして爆発したり)、

やはり、そこそこなこじらせをパートナーシップに発動したりします。

 

ここでは、「無価値感」がまたまた登場です。

自分の存在には愛される価値がない、自分には女性としての魅力・価値がない、みたいな思い(自信のなさ)があるので、

だから彼・夫も自分を愛しているなんて信じられない、のですね。

 

2.「こんなの『愛』じゃない!私は充分愛されてない!」という「不満」。

今度はまた全然別の路線のお話になりますが、

パートナーへの、「こんなの『愛』じゃない!私は充分愛されてない!」という「不満」がある時って、

実はそれは、親への「不満」の投影であることがよくあります。

 

こんな風に愛してほしかったのにそれが叶わなかった、という親への不満を、

パートナーシップの中で満たそうとしちゃうんですね(親は、父親だけでなく母親のこともよくあります)。

 

こじらせ・自己肯定感との関連で言うと、

過去の親へのわだかまり・不満が、未解決のまま心に残っている、というこじらせを、

今のパートナーシップにも投影してこじらせている、ということになります。

 

3. 彼・夫と主導権争いをしてお互い疲弊してしまう

①-3. 「『正しさ』へのこだわりが強い」とも繋がるのですが、

「私のやり方」「俺のやり方」の正しさを競って戦ってしまい、

そのうちお互いに疲弊して冷戦状態に突入、抜けられない時には「諦め」からお別れを選択する、

というのも、ありがちな切ない展開ですね。

 

自分が「正しい」、自分が「勝つ」こと、自分が「上」であること、への強いこだわりが、

パートナーシップをこじらせてしまうんですね。

 

このこだわりは、

自分が正しくなくても、勝たなくても、上でなくても、それでも私は大丈夫、

という自己肯定感が持てていない状態、でもあり、

それが、こじれた現実(ここではパートナーシップ)を作る例です。

 

4.恋愛・結婚で、近しい関係を作れない

職場とかご近所さんのような、そこそこ距離のある関係ならだいじょうぶなんだけど、

パートナーシップ(恋愛・結婚)みたいな、距離が近い関係が上手に作れない。

 

なので、恋愛・結婚をしたいと思っても、

距離が近しくなってきたら自分からぶち壊してしまったり、

そもそも出会いがなかなかない。

 

そんな時、心の中には「親密感の怖れ」があるのかも?

なんて見ていったりします。

 

文字通り、人と親密になるのが怖いわけですが、そこにもいろいろ事情があって、

 

例えば、

「罪悪感」(自分は悪い存在、人を傷つけたり迷惑をかける存在、みたいな感覚)があったりすると、

距離が近づくと、自分が相手を傷つけてしまうのでは、という怖れになったり、

「無価値感」(自分には何の価値もない存在、みたいな感覚)があったりすると、

距離が近づくと、自分がまるで無価値であることがバレてしまうのでは、という怖れになったり、

 

そういった「怖れ」から、人と親密になることができない、のですね。

 

やはりこれも、だいぶ自己肯定感が低い感じのこじらせが作っている、

人間関係・パートナーシップの難しさ、と言えます。

 

⑥なんかこう、いつも低空飛行気味

「低空飛行」と言っても、人によっていろんな状態や背景が考えられますが、

一つ、心の事情で「あるある」をご紹介してみると、

強い自己攻撃(自己否定とか自己嫌悪とか)があったり、

その自己攻撃を周りにも投影して、周りも自分を攻撃してくるような感覚を(無意識に)持っていたりすると、

その、自分や周りからの攻撃から身を守るために、心が常に臨戦状態になったりもします(これもやはり無意識)。

 

(そして、自己攻撃というのは、③で触れた罪悪感とも密接に繋がっているものです。)

 

心の臨戦状態って、心と身体の体力を激しく消耗するんですね。

心の中は常に満身創痍で、それでも周り(と自分)からの攻撃に備えて身構えているんですから、

そりゃーしんどいのです。

 

すると、

日常が、どうもいまいちすっきり上手くいってる感とか幸せ感とか楽しい感じがしなくて、

いろいろ無意識なので、自分では取り立てて「問題」とも「こじらせ」とも思わないんだけど、

なんかこう、低空飛行気味、(ほんとはこんなはずじゃないんだけどな、もっと動けるはずなんだけどな、)

みたいな感覚になったりします。

 

自己攻撃は、言ってみれば自己肯定の真逆ですよね。

そんなふうにこじれた心の状態が、なんか低空飛行な、ちょっとこじれた日常を作っている例です。

 

◆「私、自己肯定感低いのかも?!こじらせてるのかも?!」と、気づいたらまずは大成功。

というわけで、

なんだか自己紹介をしているだけのような気がしながらいろいろ書いてみましたが(涙)、

「私もある!こういうカラクリだったのか!」

というのはあったでしょうか?

 

もし、読んでいただいた中で、

私、ちょっと自己肯定感低い部分があったのかも?!

こじらせた部分が自分の中にあったのかも?!

それで今、こんなことになっているのかも?!

と気づくところがあったら、まずは大成功。

一つ目の、そしてとても大きな課題は既にクリアしています。

 

それが分かれば、

あとは、自己肯定感を育て、こじらせを整え、とやっていけば、

ちゃんと現実は変えていけます。

 

つまり、

あなたは既に、今、ご自身の目の前にある現実を変える力を、ちゃーんと持っているのです。

 

そんなことがお伝えできていたら良いな、と願いながら、

ずいぶん長くなりましたけども、いろいろ書いてみました。

 

あなたがご自身を理解し、忌々しい現実を変えていくために、

お役に立てていたら嬉しいです。

 

(ちなみに、

じゃ、さっそく自己肯定感上げていこうぜ?!現実がつがつ変えていこうぜ?!というお話は、

また次回に書いてみます♡)

 

ではでは、お読みいただき、ありがとうございました♡

コバヤシアキコ

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