私の周りのオランダ人は、
みんな「いいヤツ」なんだけど、
いわゆる「良い人」じゃないんだよね、
と思っていたお話です。

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
身近なオランダ人を見ていて思うことをつらつらと綴るシリーズ、
今回は、記念すべき一つ目のエピソード。
◆オランダ人、「良い人」じゃ、ないね?!
私は今、オランダ在住14年目です(たぶん)。
で、
日々の暮らしの中で、身近にオランダ人と触れ合うわけですが、
そうしてると、意外と彼ら、特に「良い人」だとも思わないんですよね。
もちろん「悪い人」でも全然ないのですが、
なんていうか、いわゆる「良い人」な感じ、は、しないのよねぇ、
なんて、今の私は思っております。
◆なぜオランダ人は「良い人」じゃないのか?
なぜ私が、身近なオランダ人を見ていて、特に「良い人」みを感じないのかを考えてみると、
こんなところ↓があるかなぁ、と思います。
- 言いたいことははっきりと言う
- イヤなことはイヤと断る
- 他人に合わせようとしない
- 他人のごきげんはだいぶお構いなし
- ネガティブな感情も我慢しない
- 遠慮しない
- 我慢しない
これ、全然「良い人」っぽくないと思いませんか?
私の目に映る私の周りのオランダ人て、なんだかこんな感じの人が多い気がするんですよねぇ。
◆オランダ人、「好かれよう」としない。
そんな、私には必ずしも「良い人」には見えないこともけっこうある、
周りのオランダ人のあり方。
彼らが自分の言動を選ぶ基準は、
自分が心地良いか、自分らしいか、それが自分なのか、
が、最初にあるんじゃないかなぁ、と、私は思っています。
他人に「好かれよう」とか、「嫌われないように」とか、「批判されないように」とかは、
していないんじゃないかと思うのです。
そこそこ、だいぶ、ぜんぜん笑
もちろん、わざわざ「悪い人」になって、嫌われてやる!とかもしないですよ。
自分が考える、「良き人間」としての気遣いとかエチケットは誠実に守りつつ、
でもそれを、他人に受け入れられるかを気にして、自分が気疲れするほど、我慢したり頑張ってやったりしない、
みたいな感じかなと。
そんな、「自分」本位で「自分」基準のあり方が、必ずしも「良い人」っぽくは見えないこともある、
ということなのかな、なんて思うのです。
◆つまり、オランダ人は「自分軸」。
他人に好かれるように、嫌われないように、批判されないように、
なんか「(感じの)良い人」っぽい姿に自分を寄せる、というのは、
「他人軸」ですね。
(ちなみに、「わざわざ『悪い人』になって、嫌われてやる!」とやる時の、
「嫌われてやる!」も、すっごく他人に目が向いているのは分かりますか?
これも実は、とっても「他人軸」なのです。)
私の周りのオランダ人は、
どうやらこういう「他人軸」で「良い人」っぽい姿を取り繕うことはやっていなくて、
(わざわざ嫌われに行こうともしていなくて、)
あくまで自分基準の「自分軸」で生きているみたいなのですね。
それで、いわゆる「良い人」みはあんまり感じないのよねぇ、
ということになるのかなと思います。
もちろん、
「良い人」が、みんな「他人軸」で自分を取り繕っているなんてことは全然ないし、
「自分軸」の人が「悪い人」になるなんてことも、当然ないですよ!
周りのオランダ人を見ている私の感覚では、
それぞれに、自分軸で自分がこうありたい姿を生きている、「いいヤツ」な感じ、でしょうかね。
私は、
こうして、必ずしも「良い人」っぽい姿に自分を寄せようとしない、自分軸なオランダ人のあり方も、
なんか楽ちんで良いよね!
と思っています。
◆「なんか楽ちん」なのは、自分も、他人も。
で。
上で、「なんか楽ちんで良いよね!」と書きましたが、これ、私は、
自分軸で生きてる本人も、そして実はその周りの人も、どちらも楽ちん、
だと思っています。
というのは、いかにも他人軸で、
「これでだいじょぶかな?迷惑になったり嫌われたりしないかな?」と、
他人に好かれるように、嫌われないように、批判されないように、気を遣って我慢して忖度するのって、
やっぱりちょっと、苦しくなったり疲れることも多いんですよね。
(心理学用語をご紹介すると、こういうのを「補償行為」と言ったりもします。)
それから、そんな時は、
「私を嫌いにならないでくれますか、好きでいてくれますか、邪魔に思わないでくれますか」みたいな、
依存的で重たい雰囲気も、にじんでくるかもしれません。
それって、
そうやって過ごす本人も、我慢や犠牲感が疲労が募ってしんどいし、
そうやって気を遣われる周りの人も、なんかちょっと重たくなっちゃうのですよね。
お互い、ちょっとしんどい、のです。
なのでやっぱり、
必ずしも「良い人」っぽい姿に自分を寄せようとしない、自分軸なオランダ人のあり方も、
自分が楽なのはもとより、周りの人たちも、
なんか楽ちんで良いよね!
なんて思うのですね。
(ただもちろん、特に最初は、
お互いに気を遣い合う、気を遣ってることをちゃんと見せる、忖度し合う、調和を大切にする、大人はみなそうするべき、
みたいな「常識」が私の中にはあったので、
オランダ人の「自分軸」は、やっぱりちょっとびっくりはしましたけどね。)
◆背景にあるのは、高い自己肯定感や自己価値(感)。
じゃ、
なんで私の周りのオランダ人は、「良い人」っぽい姿に自分を寄せようとせず、自分軸で生きられるんだろ?
なんで彼らはそれができるんだろ?
と考えると、
いわゆる「良い人」に寄せなくてもだいじょうぶだから、
好かれなくても、嫌われてもだいじょうぶだから、
なんだろうと思います。
誰かに嫌われても、世の中から追放されることもないし、
(だって誰かが自分を好きか嫌いかは、自分の存在価値とは関係ないから、)
(誰が自分を好きでも嫌いでも、自分の存在には普通に価値があるから、)
もし自分に何かの非があったなら、そこは誠実に謝ったり改めたりすればちゃんとだいじょうぶだし、
そうすれば、まぁだいたいは、適宜みんなでハッピーに世の中に共存できるんじゃん?
みたいな、
自己価値とか自分自身への信頼があるんじゃないかなぁ、と。
なので、「補償行為」をする必要がない、んですよね。
他人にことさらに好かれる必要もないし、
自分が至らない(と思うこと)とか、「嫌われるのでは」みたいないろんな怖れを「良い人」っぽい言動で埋め合わせる必要もないし、
なので常に自然体、
なのです。
それが、
必ずしも「良い人」には見えない(ことも多い)、私の周りのオランダ人の姿なんじゃないかなぁ、
なんて思うのです。
ただもちろん、繰り返しになりますが、
「良い人」がみんな、補償行為でそれをやっているわけではないですよ!
それに、オランダ人で補償行為がっつり、という人もたくさんいます。
(ただし、私の周りの身近なオランダ人には、あまりいない気がしますけれども。
実際、周りの人たちは、自己肯定感がだいぶ高い人が多くて、
どうなってるんだ私の周りは?!と思うことも多いです笑)
それから、今回のお話を「オランダ人は」と一般化して断定する意図もありません。
また、「日本人のここがダメ」とか、「日本人はオランダ人を見習うべき」とかいう意図もありません。
ただ、
あくまで私が、自分の身近な範囲を見て、
この人たちの、こういうあり方も、いいじゃんね?!
なんか楽ちんで、これもいいよね!っていうか、これでいいんだよね!
やっぱり行きつくところは、自分軸と自己肯定感なのね!
と、カウンセラー的に考えていましたよ、
というお話だったのでした。
◆日本じゃ、それは無理?
ちなみに、
「日本じゃそれは無理だよ」
というお声は、あるでしょうか。
そもそも私は自分軸と自己肯定感をガチ推しするカウンセラーで、
こんな記事↓も書いてるくらいでして、


日本では難しい、オランダだからできる、ということは全然思いません。
そして、実は今の日本には、
自分軸と自己肯定感を持った大人女子さんが着々と増えてきているし、
しかも、これからそんなあり方がますます求められるようになっていくと思うので、
そんな大人女子さんは、周りに素敵なビジョンを与える存在になっていくと思うのですね。
なので私は、
しなやかな自分軸と自己肯定感を持って生きる姿が、周りにとってのビジョンになるような、
そんな、良い意味で「良い人」じゃない大人女子を、あなたと一緒に目指したいな、
と思うのです。
そのために、
自分が素敵と思うものは、じゃんじゃん取り入れちゃえば良いよね☆くらいのノリで、
周りのオランダ人のあり方も、適宜私自身がいろいろ取り入れて試しつつ、
(オランダ生活って、「あ、これもありなんだ!?」という発見の宝庫なので、)
お役に立てそうなエピソードやものの見方などをこうしてお伝えしていこう、
と思っています。
ぼちぼちシリーズにしようと思ってるので、またいろいろ書きますね!
ではでは、お読みいただき、ありがとうございました♡
コバヤシアキコ
◆今日の一枚。
素敵な建物の手前には、山盛り自転車。