ガサツな私にとっての「エレガント」の意味。

私はずっと

ガサツな私

に悩んでいた。

 

どうやったら私もエレガントな女性になれるんだろ?と悩み、

女性誌とかが説く「エレガントな仕草」とか「エレガントな装い」とか「エレガントな人とはこんな人」みたいなものを自分にも取り入れようと、一応頑張ってみた。

 

でも、いまいちしっくりこない。

どれも確かにエレガントなんだろうけれど、しかも今の私にはできていないことなのだけど、

なんか、そんな小手先のことじゃない、そんな表面的なことじゃない、

それでは、私にとっての「エレガントなあり方」にたどり着かない。

でも、「私にとってのエレガント」ってどういうことなのかも、分からない。

そんな思いがいつもあった。

 

そんなある日。

 

パートナーと食事をしていたレストランで、ふと、気が付いた。

あ、私にとっての「エレガント」って、「受け取り上手」ってことなんだ。

 

お店からの最高のおもてなしを、遠慮せず、恥ずかしがらずに全部受け取る余裕。

お店からの最高のおもてなしを受け取る価値が私にはある、と知っていること。

お店からの最高のおもてなしを丁寧に受け取ることが、お店にとっても最高の喜びであることを知っていること。

(で、それはもちろん、レストランだけでなく、パートナーからの愛情も然り、お友達などからの厚意も然り。)

そんなあり方が、私が知りたかった「エレガント」だったようだ。

 

思えば、私のガサツさは、「受け取れない」ことの現れでもあった。

自分自身の価値や、周りの素敵なものや環境や、周りの人たちの気持ちを受け取る代わりに、

(心の中で、あるいは実際に)全部破壊して、投げ捨てて回っているような、

そんな投げやりなガサツさが、私のデフォルトになっていたのだ。

 

ゆったりと、相手の気持ちを喜びと共に受け取れる女性って、エレンガントでかっこいい。

自分には素敵なものを与える価値があると知っていて、自分を丁寧に扱える女性って、エレガントでかっこいい。

 

そんな「あり方」も、ビジョンの一つに加えてみよう。

 

そんなことを思いながら、レストランのスタッフ君としっかり目を合わせ、

(私なんかが恐れ多い…とちょっとだけドギマギしながらも)にっこりと「ありがとう」を伝えた、

そんな、ある日の夜だったのでした。

 

あなたにとっての「エレガント」って、どんなことですか?

初夏の運河の風景。