罪(言動)を憎んで人を憎まず。~義家族がすごいと思った件~

罪を憎んで人を憎まずって格言がありますが、
こんな身近にやってる人たちがいたとは。

 

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。

 

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

 

それは、クリスマスの家族のイベントで起こった。

パートナー氏(パ氏と略)の家族は、めっちゃ仲良しなのです。

「いるんだ、こんな(嘘みたいに)仲の良い家族?!」

みたいな驚きが、しょっちゅうあります。

 

今日お話したいのは、昨年末のクリスマスの出来事。

 

家族のイベントは、パブクイズが恒例。

ヨーロッパのクリスマスって、日本のお正月みたいなもんで、

家族の時間

なんですよね。

 

で、昨年のクリスマス、

オランダ南部の村のホリデーハウスを借り切って、

それぞれの家族や、若い世代はその彼女・彼氏も一緒に、

20名近くで大集合しました。

 

こんな風に集まる時に、義家族恒例なのが「パブクイズ」。

家族の中の誰か(だいたいは若い世代)が、毎年持ち回りでクイズを作り、

数名ずつのチームに分かれて正解の得点を競います。

 

クイズの中身はいろんな雑学ですが、担当する子の好みでいろいろ。

 

時事問題が出てきたり、

家族のいろんな人の写真の一部を超拡大して、

「これは誰でしょう?」

みたいなのをやったりもします。

 

で、今回のクイズの質問の一つが、私にはたいそう衝撃だったのです。

 

「パブクイズ」での、衝撃。

それは、こんな質問でした。

家族の中で、ポッシュ(Posh)なのは誰?

 

ポッシュって、辞書的には、

上品な
洒落た
贅沢な
エレガントな
上流階級の

みたいな意味ですよね。

 

なので私は、このクイズは

「家族の中でお洒落で品の良い人は誰?」

という意味だと思って、

「おばあちゃん」(パ氏のママ。私から見て義母)

と答えました。

 

義母は、外出の予定や来客がなくても、

いつも身ぎれいにしてジュエリーも着けていて、

とても素敵な大人女性の84歳なのです。)

 

ところが。

 

クリスマスやパブクイズのことなんかすっかり忘れたその後、

何気ない会話の中で、この質問の真意が突然判明。

 

それは何と、

家族の中で、金持ちを気取った自慢しぃは誰?

という意味だったのです。

 

しかし本当の衝撃は、さらにその後にあった。

えー!!

そんな意地悪な質問、クリスマスで家族が集まる楽しいパブクイズの時間に、やる?!?!

「おばあちゃん」て答えちゃったよ、そんな意味で言ったんじゃないのにー!!!

 

と、そりゃもうびっくり&ショックでしたよ。

 

・・・でも、本当の衝撃は、さらにこの後にありました。

 

それは、

彼らにとっては、これは全然意地悪でも悪口でも吊し上げるものでもない

なので、「それは悪いことだ」とか「直すべき」と本人に知らしめる意図も全くない

ということなのです。

 

「そだね、彼/彼女ってそゆとこあるね!ま、たまに鼻につくこともあるけどね!笑」と、

(非難や嘲笑するのではなく、)ピュアに面白がる。

それだけのことなのです。

 

自慢しぃなところもある、という、「言動」には気づきつつ、

だからといって、「その人のすべて」を嫌って否定して拒絶するわけではなく、

淡々と受け入れてる感じ。

 

(淡々と、というのは、

取り立てて「良い人」ぶったり「愛情深い人」っぽくなるのではなく、

ほんとにシンプルに、「彼/彼女が存在する」ことを受け入れてる感じ。)

 

ちなみに、パブクイズで投票された本人も、

「へー?自分そゆとこあるかな?」

と笑って終わってました。

 

これも、本人が、

その言動によって、自分の存在そのものが嫌われたり否定されたり拒絶されることはない、って知ってるから、

(自分が受け入れられている、自分の存在が尊重されていることを信頼しているから、)

怒りだしたりとか過剰に反応することがないんだろうな、などと考えておりました。

 

罪を憎んで人を憎まず。

「罪を憎んで人を憎まず」という格言がありますが、

義家族はまさにそれを素でやってるんですよね。

 

もちろん、

「ちょっと自慢しぃ」は、「罪」と言うにはちょっと大げさだけども。

 

それから、

もしその言動に、あからさまな悪意とか、激しく相手を傷つけるような要素があれば、

やっぱり「人を憎まず」も、実践するのはなかなか難しいですわね。

 

あと、

今回の件は、もともと仲良しだからできること、であって、

いろいろわだかまりがあったり、距離のある関係性だったりすれば、

たとえこの家族のメンバーでも、やっぱり受け止め方も変わってくるでしょう。

 

なので、義家族を無条件に礼賛するつもりは全然ないのですが。

(でもやっぱりすごいなと思いましたが。)

 

少なくとも、

罪(言動)を憎んで(見つつ/知りつつ)、人を憎まず

を、日常の中で淡々と実践する一例を身近に見ることができて、

私はとても感動したのでした。

 

「言動」と「その人」を分けると、その人を嫌わないで済む。

誰かに腹を立てる時、誰かを嫌う時って、

何より自分が苦しいんですよね。

 

相手への怒り・嫌悪・拒絶・etcの感情自体も苦しいし、

そんな感情を持ってる自分への罪悪感も苦しい。

 

なので、

「この人が、私が嫌わなければならないような言動をするのが悪い」

みたいに、相手に自分の嫌悪感の責任を押し付けたくなります。

「人としてあり得ない」
「人間としてどうかしてる、間違ってる」

みたいに、相手に行動を直させたくなります。

 

そして、そう思っちゃう自分にもまた罪悪感を感じるんだから、

何も良いことはないんですよね。

 

そこで、罪(言動)を憎んで(見つつ/知りつつ)、人を憎まず。

 

つまり、

相手は確かにこういう言動をした。
そういうところがある。
自分とは違う価値観で行動する人だ。

けれど、

だからといって相手が存在しちゃいけないわけじゃない。

自分が自分の価値観や世界の中で生きているのとまったく同じように、

相手も相手の価値感や世界の中で、自分と同じだけの存在価値を持って生きている。

だから、

私の価値観も存在価値も、相手の価値感も存在価値も、それぞれの世界で尊重されながら、どちらも存在すればいい。

 

そんな見方ができると、

人を嫌うことが激減して、自分がめっちゃ楽、なんですよね。

 

なので、罪(言動)を憎んで(見つつ/知りつつ)、人を憎まず。

 

人間として成長すべきだから、とか、人格者であるべきだから、とか、

そんな堅苦しく面倒なことではなく、

自分が楽だから☆

 

たぶん、義家族のみんなも、

良き人間であろうとかは大して考えてなくて、

ただ、自分が楽で、お互いに楽なあり方を自然とやってるんだろうなと思うのですよね。

 

そんな、ものの見方の一つとして、こりゃ良いですわよね、くふふ♡

というお話でした。

 

そんなわけで、

今日もお読みいただき、ありがとうございました♡

コバヤシアキコ

 

(私のセッション情報は、こちらでご確認いただけます。)

 

今日の一枚。

(インスタグラムより)

黄色いお家とオレンジのバッグ。