「嫉妬が嫌なのと申し訳なさもあり、幸せを表現するのを避けてしまいます」

こんにちは、頑張り屋さんの女性を自由にするカウンセラー・コーチ、コバヤシアキコ@オランダです。

 

先日まで何度かお話していた、「なぜかあまり幸せ感がない」シリーズ、

今回もいただいたご感想にお返事してみます。

 

ちなみに、シリーズはこんな感じでした↓

特に問題はないはずだけど、幸せ感もあまりない時
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自分が本当に欲しい「幸せ」が何なのか、実は自分でも良く分かっていない
こんにちは、頑張り屋さんの女性を自由にするカウンセラー・コーチ、コバヤシアキコ@オランダです。 今回も、ここ何回か書いている、 特に問題はないはずだけど、幸せ感もあまりない時シリーズ のお話です。 前々回は、 「そこそこの幸せで満足しておかなければ、バチが当たる」のような観念があって、 だからこれく...
「誰かが何とかしてくれるのでは…とか思っていたのかもしれません。」
こんにちは、頑張り屋さんの女性を自由にするカウンセラー・コーチ、コバヤシアキコ@オランダです。 前回まで何度か書いておりました、「なぜかあまり幸せ感がない」シリーズにも、たくさんの反響をいただきました。 どうもありがとうございます♪ 今回は、ご感想を一つご紹介しつつ、お返事してみます。 (改行など書...

 

Mさん、お便りどうもありがとうございます!

(改行など書式の加工をさせていただきました。)

(ちょっと長くなりましたー!)

何時も楽しんで拝読しております。私はある一定の年齢から、自分だけが「幸せ」って喜んではいけいないのではと思って、

いつも幸せだと表現するのを避けていました

得に職場ではとても楽しい仕事があったときに「嬉しい」という表現をせずに、

「いやだけどやっているのよ」っていうふりをしていました。

 

なぜなら「うらやましがられる」のが嫌だから

そして得てない人たちに対して申し訳ないと思ってしまうからです。

 

これって、自分を大切にしていないということですかね?

 

人が得られないものを私だけが持っていたり、得たりすると、みんなに悪いなって思ってしまいます。

それなのに、自分が持てないとすごく落ち込んでしまいまいますそして人をうらやむようになる

うらやむがいつか「恨む」に代わってしまい、

私自身はもっと得ていたことに感謝が足りなかったのかと「悩む」のようにかわってしまい、

落ち込み自分を責め始める。

 

アキ子さんのメールを読んで、自分の気持ちをどう表現したらいいのか、自分自身にどのように優しくしてあげたらいいのかを学んでいます。

(Mさん)

 

Mさん、どうもありがとうございます!

これも「あるある」よねぇ、と深く頷きながらお便り読ませていただきました。

お返事させていただきますね♪

 

幸せを表現しないでおく。

 

Mさんも触れてくださっていますが、

「うらやましがられる」のが嫌だから

というのは、とても大きな理由ですよね。

 

「いいよね~、○○さんは、楽しそうで、幸せそうでね~、私たちなんか、こんなに大変なのにね~」

なんていう嫉妬のエネルギーって本当に大きくて強くて、それだけで体力を全部奪われてしまいそうです。

そして、これだけでもう「仲間ではない」認定された気もしますよね。居場所がなくなってしまうのですよね。

 

それから、もう一つ触れてくださっている、

得てない人たちに対して申し訳ない

という思い。

恵まれていることへの罪悪感、ですよね。

これも、自分の幸せを制限し、幸せを感じない、表現しないための大きな理由になります。

また、嫉妬をぶつけられると、「あ、そうか、私がいけないのか」みたいに、やっぱり罪悪感が強く刺激されたりもします。

 

そういう思いがあるからこそ、楽しい、嬉しい、幸せ、を表現しないように、手に入れないようにするわけですが、

そうやって自分の幸せを我慢すればするほど、他人が幸せを手に入れるのを見ると、どうしたって、

許せない、羨ましい、私は手に入れられないし表現もしないようにしているのに、あなたばっかりずるい!と、

恨めしい思いにもなるというものです。

 

Mさんは、もともといろんなことを楽しめるし、幸せ感度も高い(なので、素敵なものを引き寄せやすい、つまり、恵まれやすい)方なのかな、と思いました。

また実際、何かと恵まれたものもいろいろお持ちでもあるのかもしれません。

が、恵まれやすい・恵まれている、からこそ、それで嫉妬されたり、申し訳なく感じたりした出来事もいろいろ重なって

お便りで書いてくださっているように、ある一定の年齢から、幸せを表現するのを避けるようになったのかもしれませんね。

 

(その「一定の年齢」というのはどの辺りだったのかな、実際どんなことがきっかけだったのかな、記憶にある出来事は何かあるかな、といろいろお聞きしてみたいところではありますが、

お父さん・お母さんとの関係とか、きょうだい間での出来事とか、学校生活とか、きっかけになり得ることはいろいろあります。)

 

それから、嬉しい、楽しい、幸せ、だけでなく、Mさんの「素の自分」も抑えているところもあるのかな、とも思います。

だいぶ窮屈さを感じながら過ごしていらっしゃるのでは、と思ったりするのですけれども。

 

>これって、自分を大切にしていないということですかね?

自分を大切にしているかしていないかで言えば、確かに大切にできていないのかもしれません。

自分を抑え、幸せを表現することを避け、自分の幸せを制限していますものね。

 

ただ、うらやましがられたり申し訳なく感じるときに、それでも幸せを表現するなんて、とても無神経な気がしてしまいますよね。

だからこそ、これまで幸せだと表現するのを避けてきたわけで、それは、

自分の居場所や身を守るために仕方ないこと、今まで生きてくるために必要だった処世術であるのと同時に、

相手に惨めで恨めしい思いをさせたくない、という、Mさんの優しさでもあるのだと思います。

 

でも、そうはいっても、やっぱりシンプルに、欲しいものは手に入れたいし、幸せを感じたいし、それを表現もしたい。

ですよね!

ではどうすれば良いでしょう?

 

もしかしたら、既にやっていらっしゃるかもしれませんが、

「おかげさまで♡」

というのはとても使える言葉です。

 

もちろん、これも最初は緊張しますけどね!

なので練習はいずれにしても必要ですが、「おかげさま」という言葉は、

周りのおかげで幸せ、楽しい、うまく行っている、など、相手も上手に立てながら、

自分が持っている素敵なものの価値を、自分でさわやかに認める言葉なんですね。

 

すると、自分の幸せを否定したり制限することなく表現できるし、

「申し訳ない」という罪悪感を、「ありがたい」という感謝に書き換えることができるし、

またこれが自然に言えるようになればなるほど、嫉妬もされにくくなります

(「嫉妬」の対象ではなく、「こんな風に楽しく幸せにしてもいいんだ~!」という「憧れ」とか「ビジョン」になっていけるのです。)

 

そんな風にしていくと、

楽しい、嬉しい、幸せ、という気持ちを表現するのももっと楽ちんにできるようになるし、

そうやって自分の素直な喜びを表現させてあげることが、自分に優しくすることにもなると思うのですね。

 

というわけで。

Mさんには是非、にっこり大人の余裕で「おかげさまで♡」を使ってみていただけたら良いなぁ、と思っています。

周りの人たちのためにも、Mさんから幸せのリーダーシップを取ってあげてください♪

 

(それから、

その「おかげさまで」も図々しい気がして、恐ろしくて言えない…のように感じるとしたら。

これは抵抗感を感じている状態なのですが、そこには、それだけ強い制限を自分の幸せにかけるくらいの経験や、いろんな思いが残っていそうです

 

そんな時は、無理やり「おかげさまで」を絞り出そうとして挙動不審な感じになってしまうより、

その残っているいろんな思いや記憶を整理していった方が早いかもしれません

そんな時は、もし良かったらお手伝いさせてくださいね!

ご一緒に、今はもう不要なのに心に残り続けている思いや記憶を手放して、

楽に幸せを手に入れ、表現できるようになっていきましょう♪)

 

Mさん、今回はお便りどうもありがとうございました!

またいつでもお待ちしております♪

 

あなたが、自分の幸せを素直に求め、表現していけますように。

いつも、応援しています。

閑話休題。

写真を撮る女の子を撮ってみた。