母の「心配」が重い時。

こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

母への怒り、コンプレックス(能力、異性・同性、容姿)、自分が分からず自信皆無。

全てから逃げてアメリカ⇒トルコ⇒オランダを流れ歩いた、早稲田女(ワセジョ)でエリートになり損ねた元ベリーダンサーのカウンセラーが、

「本気でわたしの人生を取り戻す」カウンセリングをお届けしています。

この日曜日は、母の日でしたね。

あなたは、どんな母の日を過ごされたでしょうか?

 

今回は、

頑張り屋さんの我々にとっては忌々しい存在であることも多い「母」の日の後の記事、ということで、

久しぶりに母親ネタで行ってみます。

 

テーマは、

母の「心配」が重い時

です。

 

頑張り屋さんに育っていく女性は、子供時代に

「心配性」だったり「過干渉」な母

の元で苦労された方も多いです。(もちろん、私もです。)

 

「心配」って重いんですよね!

「母」の「心配」の影を感じるだけでも息ができなく感じるほど、その「心配」にがんじがらめになっている気がするので、

大人になって親元を離れられるようになると、疎遠になってしまう方も多いです。

そして、自ら距離を取っていることに罪悪感をたくさん抱える、というのもまた定番のコースです。

 

そんな、心配性で過干渉で面倒な母親、ですが。

 

「私の子だもん、絶対大丈夫☆」のように、子供を信頼し、自分を信頼する、なんて芸当は、てんで無理な人、でもあります。

だからこそ、娘が息ができなく感じるほど心配し、干渉するわけですし。

 

子供の目線から見ている時はあまり気付かないかもしれませんが、実はそんなお母さんて、

自己肯定感も皆無、自信も皆無で、

自己嫌悪・自己否定・罪悪感・無価値観の嵐の中で生きているようなところがあるんですね。

 

すると、

そんなお母さんが、ほぼ唯一、自分の存在意義を感じられるのが、

娘を一生懸命「心配」している時

になったりします。

 

娘のことを思い、心配し、いろいろ口出しする時、

お母さんは、自分には心配する(愛する)対象がいて、そのことで、自分の存在が許されているように感じている

ということも、あるのです。

 

もちろん、娘からすれば、しんどいことに変わりはありません。

むしろ私が自分の存在価値を知りたいわ!

お願いだから、もうほっといて!!もういい加減、私を放して!!!

と叫びたい気持ちも、あるかもしれませんね。

 

そんな時は、それで良いんです。

あなたの、もうしんどくて息ができなくて泣き叫びたい、その思いの方が、ずっと大事です。

その思いを、吐き出してください、聞かせてください。

そのしんどさを少しでも楽にするお手伝いを、させてくださいね。

 

そして、

たくさんの重苦しいものを吐き出して、少し息ができるようになってきたら、

こんなことにも気づいていけると良いかもしれません。

 

あなたが、すごくすごくしんどい思いをしながらも、母の「心配」を引き受けてあげていた時、

娘のあなたは、お母さんに「存在して良い理由」を与えてあげていたのかもしれません。

娘のあなたは、大げさでなく、お母さんの「命」を救ってあげていたのかもしれません。

そんな「愛し方」を、娘のあなたはお母さんにしてあげていたのかもしれません。

 

確かに、しんどかったはずです。

自分の心が、お母さんの「心配」の奴隷になっているような感覚もあるかもしれません。

 

でも同時にそれは、

あなたがそれだけ偉大な「愛し方」をしてきた、ということでもあります。

あなたにそれだけの器があり、キャパがあるからこそ、

しんどい思いをしながらも、お母さんのたくさんの「心配」を引き受けることができ、

お母さんに存在意義を感じさせてあげていた、ということでもあります。

 

あなた自身の、そんな器が大きくキャパが大きい「真の姿」にも少しずつ気づいてあげましょう。

そうやって気づいていくことが、お母さんの「心配」の奴隷になっているあなたの心を救い出すことにもなります。

 

そして今度は、

子供の立場でお母さんの「心配」の「対象」になってあげる、という「愛し方」ではなく、

お母さんと対等な、大人の立場から愛する方法を見つけていきましょう。

そうやって、お母さんの「心配」の奴隷のような生き方から卒業していきましょう

 

だいじょうぶ、

そんな偉大な「愛し方」ができるほどの器を持ったあなたですもの、

あなたにもできますよ。

 

良かったら、お手伝いさせてくださいね!

いつも応援しています。

閑話休題。

チューリップが良いアクセント。