義父の葬儀と、愛する人の見送り方。

(今回も、身近な人の死にまつわるお話です。心が苦しくなってしまいそうな方は、読まれない方が良いかもしれません。)

 

前回は、

義父の葬儀と、喪失の悲しみの感じ方。

ということで、

義家族が、義父の死を「みんなで一緒に」悲しむ姿に衝撃を受けた話を書いた。

 

そして今回は、

義父の葬儀と、愛する人の見送り方。

のお話。

 

前回、

私の父親が亡くなった時、私たち家族は、それぞれに涙を流した。

その時の私たちは、私も母も妹も、それぞれの中に閉じこもり、自分の悲しさだけを、それぞれが独りぼっちで勝手に感じていたように思う。

「愛する人を失って、私が一番悲しい」とばかりに、自分の悲しさしか見ていなかったとも言える。

ということに触れた。

 

今回のお話はここにも繋がってくるのだけれど、

義父の葬儀で衝撃を受けたことが、前回に引き続き、もう一つある。

 

それは、

葬儀が、愛する人を失ったことを「嘆き悲しむ場」なのではなく、故人のここまでの人生を「祝福する場」であったこと

だ。

 

まず、ドレスコードからして素晴らしかった。

 

オランダ人はルールが嫌いである(と、周りのオランダ人は口を揃えている)。

というわけで、「葬儀ではこんな服装をすべき」なんていうルールは存在しない。

(宗教によるとは思うけども。ちなみに、義父の葬儀はカソリックのしきたりに則って執り行われた。)

 

パートナー氏に、「オランダのお葬式では何を着れば良いの?」と聞いたら、

「何だっていいんだよ、ここはオランダだよ(←笑)これはめそめそする場じゃなくて、父が生きた時間を祝福する場なんだから、父が喜ぶような、なにか綺麗な色を身に着けなよ」

と言われて、私は淡いピンクのスカーフを巻いて参列した。

 

他の参列者も、一応黒とか暗い色を身に着ける人もいたけれど、

孫娘ちゃんたちはサマードレスみたいなひらひらの花柄ワンピースだったし(色はちょっと暗めだったかな)、

義母は鮮やかなフューシャピンクのパンツに黒のカーディガンを合わせていた。

 

そして、最初の教会での葬儀も美しいものだったが、その後の告別式が、これまた素敵。

孫たち代表、子供たち代表、それぞれが、義父との思い出を様々な写真や音楽と共にスピーチ。

そして最後に、義母が用意したスピーチを、葬儀社の方が読み上げてくださった(義母は涙で読めなくなっちゃうから、と)。

 

義父がどれだけ気難しく、愛情深く、不器用で、義母が大好きで、意外と面白いことも言えちゃって、たまに信じられないほど頭にくる親父で、どれほどのハードワークで家族を支えてくれたかを、

笑いとちょっとの涙と共に語るそれぞれのスピーチからは、

またまた月並みな表現になってしまうのだけれど、

義父への愛と感謝が、溢れていた。

 

あぁ。

私はこれまで、父の人生をこんな風に祝福したことがあっただろうか。

父が全力で生きた49年という時間に、敬意を送ったことがあっただろうか。

父が私に与えてくれたこの命に、愛情に、感謝を送ったことがあっただろうか。

父に、素晴らしい人生を生きましたね、と、伝えたことがあっただろうか。

 

私は、父が自分の人生からいなくなってしまって、悲しい、と、自分の悲しさしか考えてこなかった。

父が人生からいなくなってしまった私は、不幸だ、と、自分の内側に閉じこもって嘆くことしかしてこなかった。

「父を思って泣いている」体で、私は自分のことしか考えていなかった。

 

義家族が、義父の人生を愛と感謝と敬意と共に祝福し、お見送りする様子を見て、

衝撃と共に、改めてそんなことに気づくことができたのだ。

 

さて、私よ。

 

そろそろ(もういい加減)、

たまたま私の父であったところの、この一人の男性の人生を、

心から祝福してあげようではないか。

心から、お疲れさまでした、と、伝えてあげようではないか。

 

それができる自分に、

そろそろ、なろうではないか。

 

お父さん。

 

随分と時間がかかってしまいましたが、

あなたの娘は、やっと、ここまで来ましたよ。

あなたの娘に生まれて、

あなたをこんなにも愛することができて、

あなたの人生にこうして触れることができて、

私はとても幸せな娘です。

 

お父さん。

 

ありがとう。

 

お疲れ様。

さらりと撮った街角の美しさ。