「やりたくないこと」を嫌々やり続けることのメリット?!

今回は、

「やりたくないこと」を嫌々やり続けることのメリット?!

というタイトルにしました。

 

まっとうな大人として生きていれば、やりたくないことの一つや二つや三つや百個くらいあると思うんですね。

好きでもないのに生活のために続けなくちゃいけない仕事とか
苦手な人との付き合いとか
苦手な家事とか

で、

やりたくないとわがまま言って放棄していたら社会や会社や家族は回らないから
やりたくなくても責任もって全うするのが大人ってもんだから

などと自分を納得させて、粛々とこなしていくわけです。

しかも、傍目には気持ちよくこなしているように見せるのが上手な方も多いかも。

心の中では全然楽しくないし、嫌々やっているんですけどね。

 

では。

そんなに嫌なら辞めちゃえば良いのに、なぜそれでも嫌々やり続けるんでしょう?

常識が、会社が、人間関係が、家族が。

と、いろいろ理由が出てきます。

でも、本当にそれが一番の理由でしょうか?

 

ここで、今日のタイトルの「メリット」が出てくるんですね。

「やりたくないこと」を嫌々やり続けることの、「メリット」。

人って、自分にメリットがあることなら、嫌なことでもやるんです。
メリットがあるからこそ、嫌々でもやってしまうのです。

「やりたくないこと」でもやってしまうのは、嫌でもやることにメリットがあるから、なのです。

意外でしょうか?

 

例えば、

嫌々やっているソレをやることで、他にやらずに済んでいることがあるとか?
嫌々やっているソレをやることで、誰かに分かってほしい・やってほしいことがあるとか?

本当はやりたい仕事・夢があるのだけど、挑戦して失敗してしまったらあまりにも悲しいから、その可能性を追求するよりも「嫌だけどやらなくちゃいけない仕事」をやり続けておいた方が、自分で自分をがっかりさせないで済む、とか。

嫌なことをいくつもやって苦しい思いをしているその姿を周りに見せることで、居場所をもらえる気がする、とか。

「…あるかも」

という気が、してきませんか?

 

こう考えると、「嫌々やっていること」って、「やらされている」気がしますが、実は、

「自分がメリットを感じて、自分がやることを選んでいる」

んですよね。

あいたたたー!

 

でも。

痛い、んですけど。

自分で選んでいるんだと思うと、何だか笑いも出てきませんか?

「なーんだ、私は『何も選ぶことができない無力な人』なんかじゃなくて、ちゃんと選んでたんだー!」

つまり、

「私の人生は、私の手の中に既にあったんだー!」

ということが、腑に落ちちゃうのです。

 

これ、とても大事な視点なんですよね。

この視点が持てるようになると、

自分を、「やりたくないこと、嫌なこと」の奴隷にしないで済みます。
自分を、何かしらの問題の被害者にしないで済みます。

自分で自分の人生を選べるし、選んできたんだとしたら、今私は何を選びたい?

という質問を自分に投げかけることができるようにもなります。

もちろんその結果、

「やっぱり今はこれをやっておこう」

という答えになることもあるかもしれません。

でも、その答えとともに「やる」ことは、自分で選んでいることを知らずに嫌々やっていた時よりずっと晴れやかに感じるはずです。

だって、「他に選ぶことができないから仕方なくやっている」のではなく、「私がこれを選んでいる」ことを自分が一番良く知っていますからね。

 

さて。

今みなさんは、何を嫌々やっているでしょう?

それをやり続けることの、自分にとってのメリットって、何でしょう?

ちょっと考えてみると、面白いですよ♪

閑話休題。

路面電車の線路のある風景がとても好きです。