シャドウ(苦手な人)の要素が
自分の中にあることは分かってきたけれど、
自分にその要素があると認めるのが
とても辛いです。

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
オンラインカウンセリングサイト「ココロノマルシェ」に
寄せられたご相談にお返事します。
シャドウは忌々しいものです。
なので、認めるのに抵抗があるご自身を、
責めないであげてほしいなと思いつつ、
お返事をしたためました。
ご相談:「シャドウを受け入れるのか辛い」
シャドウを受け入れるのか辛い
こんにちは
今日はシャドウについてご相談をさせて下さい。ここ数年、人生の様々なことがまるで上手くいかなくなりました。
そんな中、自分のシャドウ的人物に出会うことが増えました。どうしても嫌だなぁと距離を起きたくなる人々です。
その人たちの特徴とは、自己中心的、感情まかせの言動、陰険、上から目線、高飛車、冷酷、少し病んでいるようにみえます。
以前にマルシェ所属のカウンセラーさんのセッションを受けたことから、幼少期の家族関係からヒントも得ることができ、そこから数年かかってしまいましたが、それらの嫌いな要素は全て自分にもあると思うに至りました。
どことはいえませんが、確かに自分ってそういうところがあって、人前では押し殺しているのかもしれないです。(なので時々「ミステリアスですね」と言われたりもします。)
心の奥に押し込めることになった経緯も、幼い自分には仕方がないことだったなぁと思います。
ですが、認めることは想像以上に難しく、自分はなんて嫌なやつなのかと自己嫌悪に陥ったり、気づきを得たにもかかわらず、いつのまにか、自分はわがままではないっ!と強く考えていたり、他人を批判してしまうのです。
それまでの自分は、穏やかで落ち着いた人、おっとりで優しい感じなど、今でも社会の中での他者評価はそんなふうです。
自分では優しく強い、賢い、清い人になりたいと思い続けてきたのですからお恥ずかしい。
だけども、そうではない要素があることを認めて、一体自分とは何なのかな?と混乱したり、自己嫌悪に落ちてしまいます。
今は就活をしているのですが、面接で自分を表現していても、どこか相手に嘘をついている気持ちになってしまいます。経営者さんに気に入っていただけたのに、人間関係に疲れて離職をしてしまいました。
以前受けたカウンセリングでは、私のシャドウの持つ良い面として、感情まかせ=感性豊か、わがまま=リーダーシップと教えていただいたのですが、今はほとんど活かすことができていないと思います。
こんな私に、何かアドバイスをくださりましたら嬉しいです。どうかよろしくお願いします。
(まいさん)
まいさん、こんにちは。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコと申します。
ここ数年、人生の様々なことがまるで上手くいかなくなった中、
ご自身のシャドウ的人物に出会うことが増えたとのこと。
その「うまくいかない」感じは、何がどう上手くいかないのでしょう?
シャドウの存在と関係がありそうな感じはしたりしますか?
というのは、
もしかすると、このご相談をくださった今は、
まいさんがシャドウと統合し、より魅力的で個性的で素敵なエネルギー満タンのご自身になることで、
上手くいかないステージを抜け、次に進んで行くタイミングなのかも?!
なんて、勝手にちょっと想像したんですよね。
いずれにしても、とても素敵なタイミングにいらっしゃるのだと思います♡
そんなことを一人で考えて一人でわくわくしながら、
私からのお返事では、↓のポイントでお話してみました。
- シャドウを受け入れても、優しさ・強さ・賢さ・清さは、なくなりません。
- シャドウを「許す」ために、視野を広げて「緩める」。
- シャドウ的人物について、良い所を見つけていく。
私のお返事はこちら↓です。お役に立てれば嬉しいです♡
シャドウを受け入れても、優しさ・強さ・賢さ・清さは、なくなりません。
シャドウって、本当に「いや!」と抵抗が出るところですが、
まいさんは、↓とのことで、
それらの嫌いな要素は全て自分にもあると思うに至りました。
ほんとにたくさんご自身に向き合って、理解を深めていらっしゃいますね。
でも、それでもやっぱり「いや!」となるのがシャドウというもので、
まさに、こんなふうに↓心がじたばたと反応してしまうんですよね。
認めることは想像以上に難しく、自分はなんて嫌なやつなのかと自己嫌悪に陥ったり、気づきを得たにもかかわらず、いつのまにか、自分はわがままではないっ!と強く考えていたり、他人を批判してしまうのです。
で、
なぜシャドウを「受け入れる」のにこんなにも抵抗があるのかというと、
シャドウ(の要素)って、自分にとっては、
「絶対にこうあってはいけない、ダメで嫌な人間」の象徴
じゃないですか。
なので、それを受け入れることは、
自分がそんな、絶対にダメで嫌な人間であることを受け入れることになってしまう気がして、
どうしてもどうしても、抵抗を感じてしまうのです。
まいさんは、こう↓書いてくださいましたけども、
自分では優しく強い、賢い、清い人になりたいと思い続けてきたのですからお恥ずかしい。
優しく強い、賢い、清い人であろうとしてこられたのは、
そんな、絶対にダメで嫌なシャドウの要素を、強く嫌えばこそ、
かもしれません。
でも、どんなに清く正しい人になっても、
やっぱりそのシャドウは自分の中にある、自分の一部、なわけですから、
そりゃー恥ずかしいし悔しいし、情けなくも感じるというものです。
ただ。
ここで一つとても大切なことがありまして、それは、
ご自身のシャドウを受け入れたからと言って、
まいさんが、優しく強い、賢い、清い人でなくなることは、ない、
ということです。
優しさも、しなやかな強さも、賢さも、清さも、
(私がご相談文から勝手に想像する)誠実さも、謙虚さも、思慮深さも、人を安心させる穏やかさも、包容力も、
ぜんぶ、まいさんが確かにお持ちの要素(才能)です。
シャドウを受け入れても、これらの要素がなくなるとか否定されることは、ありません。
もともとまいさんが、これらの要素をお持ちだからこそ、
これまで確かにその要素を表現し、その姿を生きてくることができたし、
これからも、これらの素晴らしい要素を生きて良いのです。
なので、そこはご安心いただけたら良いな、と思っています。
シャドウを「許す」ために、視野を広げて「緩める」。
じゃ、改めて、
シャドウを受け入れるということを考えてみます。
ここは、もし私がお話を聞かせていただけたら、
- どんな人のどんな言動を、「自己中心的」「感情まかせ」etc.と感じるのか?
- そもそもそれらは本当に「自己中心的」「感情まかせ」etc.なのか?
- そもそもそれらは本当に、そんなにも「悪いこと」なのか?
- なぜ「悪いこと」なのか?
- まいさんご自身が「自己中心的」「感情まかせ」etc.になったら、何が起こってしまうのか?
などなどをお聞きしてみたいなぁと思いました。
これまでのカウンセリングセッションでも、この辺はいろいろ掘り下げたでしょうか?
この辺が分かってくると、
- 意外とこれは、自分で思っていたほど自己中でもないのかも?
- 自分が「陰険」だと思っていたことは、意外と「可愛い」ことだったのかも?
みたいに理解(視野)が広がって、
「こんな要素は、絶対に、ダメ!」という固い禁止を、ちょっと緩められるかも?
と思うのですね。
「緩む」と「許す」は、語源が同じと言われます。
つまり、
こうやって、まいさんの中のいろんな要素への厳重な禁止を「緩める」ことで、
それらの要素がご自分の中に存在することを「許す」ことになり、
それが、シャドウを受け入れることのハードルを、ちょっと下げてくれるのでは?
と思ったのでした。
シャドウ的人物について、良い所を見つけていく。
また、ご自身で今から取り組めるワークとしては、
それぞれのシャドウ的人物について、良い所を見つけていく、
というのはおすすめです。
「自己中心的なところはあるけど、周りをよく見て動ける賢い人でもあるのよね」
「感情まかせの言動をする人ではあるけど、情に厚くて他人をほっとけないところもあるのよね」
みたいな感じですね。
すると、これらのシャドウ的人物への嫌悪感が薄れますし、
嫌だなぁと距離を起きたくなる人々を、そんな目線で見てあげられる自分にだいぶ自信がつきますし、
そして何より、
同じような目線をご自身に向けることもできるようになるので、
やはりご自身のシャドウ的要素を受け入れる(許す)こともやりやすくなるのでは、
(それらのシャドウ的要素も含めたまいさんご自身を、丸ごと愛してあげられるようになるのでは、)
と思うのです。
とっても応援しています♡
シャドウというのは、忌々しいものです。
そんな人物の存在も忌々しいし、そんな要素を自分が持っているということがまた忌々しいですね。
ですが、冒頭でも書いた通り、
人生の様々なことがまるで上手くいかなくなった、このタイミングで、
シャドウについてのご相談をくださったということは、
シャドウを受け入れることは、今のステージを抜けるためにも素敵な恩恵をもたらしてくれるのではないかなぁ、
と、私は思ったりします。
そんなところもビジョンにしつつ、
まいさんが、忌々しいシャドウを許し、受け入れることで、自己肯定感や自信をさらに育て、
ますます自分らしくいきいきと、人生を次のステージに進めていかれますよう、
心より応援しております。
お手伝いできることもたくさんありますので、良かったらお話聞かせてくださいね!
お読みいただき、ありがとうございました♡
コバヤシアキコ
今日の一枚。
駅舎とチューリップ。