プロの自分迷子ラーの私がトルコで偉そうにドヤった話。

年齢=自分迷子な私が、
トルコで偉そうにドヤった話をお聞きください。

 

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。

 

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

 

トルコで、インターンシップをやっていた時のこと。

私はオランダに住んで12年目になりますが、

オランダの前は、トルコはイスタンブルに4年住んでいました。

 

トルコの最初のうちは、現地のNGOでインターンシップをやっていたんです。

(トルコの後半戦は、突然現地レストランでベリーダンサーになりましたよ♡)

そのNGOは、ヨーロッパからのボランティアも何人か、常にいるような団体でした。

とはいえ、めーっちゃローカルな土臭い感じもあって、私はそれが好きでもありましたねぇ。

 

私がインターンシップをやっていた時は、

ポルトガル人の男性、フランス人の女性、スペイン人の女性が、

ボランティアとして来ていました。

みんないいやつで、楽しい時間でしたねぇ。

 

ポルトガル人と、QOLについて議論した。

ある日のお昼時、ボランティア/インターン仲間たちと、

QOL

の話になりました。

 

クオリティ オブ ライフですな。

人生の質、生活の質、とか訳される、あれ。

 

ポルトガル人がね、

「僕はイスタンブルには長く住めないや、QOLが低すぎる」

って言ったんです。

 

そこで私は、

「どんな意味で?あなたにとってのQOLって、何?」

って聞いたんですね。

 

彼によると、

「緑とかさ、家に庭があってさ、人がこんなに多くないとかさ。

イスタンブルは、人が多すぎてごみごみしてて都会すぎて、すごく暮らしにくいよ」

ってことでした。

 

彼にとってのQOLは、

自然が身近にあって空気や水がきれい

といった、生活環境のことだったんですね。

 

私はさも真実を知ってるかのように、偉そうにドヤった。

で。

私はここで、さも真実を知ってるかのように、こう言いました。

「そっかぁ、あなたにとってのQOLは生活環境のことなんだね。

私にとってのQOLは、『私の人生を、私が決めること』だなぁ(ドヤァ)」

 

何なの私めっちゃ偉そう(笑)

 

いや実際、

「自分の人生を、誰が決めるか」というのは、

QOLの要素としてとても大切だと思います。

 

自分が自分の人生を選んでいるか、その感覚を持っているか、は、

人の幸福感、充足感に強く影響します。

 

なので私は、この時私が言ったことは、今も確かに真実だと思っています。

 

でも、

こんな偉そうなことを言っていながら、

この時の私のQOLは全然高くありませんでした。

 

だって、

私は全然、自分の人生を自分で選んでなかったんですもの。

 

完全他人軸で決めたトルコ行き。

私がトルコに行ったのは、アメリカで大学院に行った後でした。

なので、アメリカの後は、また日本に帰って仕事を見つけても良かったのです(私にその能力があったかどうかは別にして)。

 

でも、私はトルコに行きました。

何だかホイホイとご縁が繋がっちゃったから、というのもあるのですが(私、そういうこと多いの)、

無意識に、できるだけ遠く、できるだけ今までの常識が通じないところに行こうとしていたように思います。

 

それはなぜかというと、

それくらい意味の分からない、無謀な、極端なことをやってみせれば、

みんなに「すごいね!」って言ってもらえる気がするから。

みんなに「バイタリティがあるね!」って言ってもらえる気がするから。

みんなに「かっこいいね!」って言ってもらえる気がするから。

みんなに、私の存在意義を認めてもらえる気がするから。

 

見事なまでの、他人軸。

自分の人生を、私は1ミリも、自分で決めることができていなかったのです。

 

どんどん自分迷子になっていたトルコ時代。

でも当時はそんなこと気づいていませんでしたよ。

言葉も知らないこんな遠くの国に、一人で乗り込む私、すごくない?!

って、思ってました。

 

でも、

本当に、心から楽しく嬉しくわくわくしながら(つまりピュアな自分軸で)トルコ行きを選んだわけじゃないので、

心の片隅に違和感はあるのです。

もちろん見ないようにしてますけどね。

 

で、そんな違和感があるので、

ポルトガルの彼がQOLについて語ったとき、

ことさらに偉そうに、「自分が選ぶのがすっごい大事なのよ!」と主張して、

私はちゃんと自分で選んでるはず!と思い込むことで、

その違和感から目を逸らそうとしてたのです。

今にして思えば、ですけどね。

 

今思い返しても、

何だかいつも心がひりひりしていて、

自分迷子感が日に日に増していたのが、私のトルコ時代、

でしたねぇ。

(いやまぁ、ひりひり自分迷子はトルコだけじゃなかったけども。)

 

プロの自分迷子ラーだった私が、今、自分軸で情熱を持っていること。

私は、

年齢のほとんどを、自分がない/自分が分からない、という

プロの自分迷子ラーとして過ごしてきました(←ラーとは)。

年齢の時間分、自分探しをしてきました。

 

自分がない。
自分で何も選んでいない。
何を選びたいのかも分からない。
自分が分からない。
自分が空っぽ。
自分がそこにいない。

何をやっているんだろう、私は。

惨めで、焦るばかりで、そんな自分がやるせなく、不安。

 

そんな、だいぶ暗めなところから、心を学ぶようになり、

あぁ、私って、こういう人だったんだ!

私、こう感じてたのか!

だから私はこういう生き方になってたのか!

ということが分かるたび、

パズルのピースがどんどんはまっていきました。

 

一つ、また一つと、パズルのピースがはまるごとに、

だんだん、自分の全体像が見えてくるんです。

どんどん、自分のことが分かるようになっていくんです。

どんどん、どんどん、地に足をつけながら、めっちゃパワフルに生きられるようになるんです。

 

あぁ、私は確かにここにいる。

あぁ、確かに私はこういう人間なんだ。

あぁ、私の人生は、確かに私のものだ。

あぁ、私は、確かに自分の人生を選んで生きていい。

私には確かに、その力がある。めっちゃ、ある。

 

それを知ることが、どれほどの喜びか。

 

それを、今、自分迷子に感じるあなたにも、感じてほしい。

その魂が震えるほどのよろこびを、あなたにも感じてほしい。

 

それが、今の私の、超自分軸な情熱になっています♡

 

だって、

私は、自分を取り戻すのにずいぶん時間がかかってしまいましたが、

いや、そんな無駄な時間、みんな過ごさなくていいからね?!

さっさと、楽しく「わたし」全開で生きようよ?!

その方が、絶対楽しいよ?!

って、思うんですよ。ほんと。

 

…と、アツく吠えたところで、今日は筆(?)を置きます。ふー

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました♡

コバヤシアキコ

 

(私のセッション情報は、こちらでご確認いただけます。)

 

今日の一枚。

(インスタグラムより)

イスタンブルはロマンチックな街。