今回は、
過去を理解し許すことの大切さと、過去にこだわり過ぎることの危険とは?
というタイトルにしてみました。
これまで他の回で時々触れていますが、私がこじらせた理由は主に私と母との関係性と、両親の関係性です。
なので、私が自分の生き方を変えようと決めて取り組んだのは、子供の頃に家族の中で感じてきた様々な苦しさや悲しさを昇華する(「癒す」とか言ったりもしますよね)作業でした。
一つ一つ丁寧に取り組むことで、
「あの時私はこんな風に悲しかった」
「あの時こんなことを言われて悲しかった」
「あのせいで私はずっとこう思ってきた」
などの子供の視点から生まれる苦しさを、
「あの時の母にはこんな事情があったのだろう」
「あの時の両親にはこんな苦しさがあったのだろう」
のように、今の大人の視点で理解し直していきました。
こんな風に、過去の出来事やそこで感じたことを、現在の成熟した大人の立場から理解し直すことは、「過去」の重石を肩から降ろして「現在」を生きるためにとても大事です。
この作業を通じて、子供時代にしがみついていた自分から本当の意味での大人としての自分に成長することもできます。
それに、一つ一つ新しい視点で理解ができて腑に落ちるようになると、すっきりとして気分も良いんですよね。
というわけで、過去を大人の視点から理解し直すことは、今の苦しさを緩める手段としてとても有効だと思っています。
なんですが。
これって必ずしも必須のアプローチでもないんですよね。←いきなり否定!笑
というのは、目的は「『今』生きることが楽になること」なので、例えば今の考え方を楽にするような新しい視点をインストールできてしまえば、特に過去の出来事や記憶をどうこうしなくても結果オーライになったりもするのです。
なので、過去にこだわり過ぎる必要はないのよねぇ、とも実は思っています。
何でこんなことを言っているかと言うとですね。
場合によっては、「そんじゃ、過去の全てのことを解決するまで私は幸せになれないんだわ!」というふうに、「今」幸せになるという本来の目的を横に置いて「過去」にばかり意識を集中してしまうなんてことも人はやってしまうからなんですね。
これだと本末転倒になってしまってとてももったいないです。
なので、目的はあくまでも「今」幸せになっていくことで、過去に注目するのはそのための手段、というのを心に留めておけると良いなぁ、なんて思ったりしています。
でも、どうしても過去の出来事に気持ちが引きずられてしまって「今」に集中できない、ということもあります。もちろん私も経験あります。
そんな時は、「大人の視点から理解する」とかいろいろ言わずに、とにかく苦しかった気持ちを思う存分吐き出してみるのが個人的にも効果を感じている方法です(無料セミナー11回目で「怒り」について触れた際に、この辺の方法についてもお話しました)。
気が済むまで吐き出すと、何と言うか、疲れるというか飽きるんですよね、その苦しさなり怒りを感じることに笑
で、そうやって「ん、なんか気が済んだ、もういいや」と思えると、「じゃ、どうしよう?」と今に気持ちが戻ってくるものです。こうなったらしめたものですよね、今できることを淡々とやっていきましょう。
もちろん一度では済まないこともあるでしょうから、そんな時は何度も何度もこのプロセスを繰り返せば良いのです。
というわけで、過去の辛い経験を整理整頓していくとき、
- 大人の視点から当時のことを理解してみることはとても大事
- でも必ずしも理解がなくても、今の気持ちを楽にしていく視点が身に付けばOKなことも多い(なので過去にこだわり過ぎる必要はない)
- それでもどうしても過去に引きずられてしまうときは、まずはそこで感じている怒りや悲しさなどを飽きるまで吐き出す
というのが、ちょっと大雑把ですがおすすめのアプローチになるかなぁと思います。
最初から「うまく」とか「要領よく」やろうとしてもなかなかコツがつかめないこともあるので、試行錯誤はつきもの☆くらいの気楽な感じで取り組めると良いですね♪
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
オランダは風車で知られています。
こちらはアムステルダムの郊外の風車。春になったら、暖かい風を感じながらこの辺りに自転車で出かけるのもまた素敵な過ごし方です。