あなたの「頑張りたくない」はどんな意味?

私のブログは、「もう頑張りたくない~」と感じている方が多く読んでくださっていると思います。

なので、日頃から、頑張り過ぎの頑張り屋さんが緩むための考え方、自分を自由にするための方法をお話ししているわけですが、

ここで今一度、「もう頑張りたくない」と思う時に、本当に感じていることについて考えてみたいと思います。

 

「もう頑張りたくない」って、まぁだいたいは、「もう疲れた」ですよね。

疲れたから、もう頑張りたくない、のです。

 

で、ここでちょっと注目したいのは、

頑張るのが嫌いだから、では、必ずしもない(こともある)

ということです。

 

こう、ずっと休みなしに、自分以外の誰かのために、自分の体調や気持ちは無視して頑張り続けてくれば、そりゃー消耗するし、我慢や犠牲感が募るし、疲れますよね。

すると、どうしたって「もう頑張りたくない」と思います。

 

でも、頑張り屋さんて、本来頑張ることが楽しくて好きだし、それだけのエネルギーを持っている方もとても多いんですよね。

なので、

  • 自分の体力や気持ちを無視した、我慢や犠牲まみれの頑張りを止めて、
  • 気力・体力が充分に回復するまでしっかり休んで、
  • 自分が楽しくてハッピーに頑張れる分野や方法を見つければ、

またハッピーに頑張れちゃうし、そうしたいと自然に思っちゃうし、それでこそ生き生きと輝けちゃう、なんて方もたくさんいらっしゃるのです。

 

(で、その時の頑張りは、また我慢や犠牲をベースにするのではなく、自分本位のやり方にシフトしていかないと、同じことの繰り返しになってしまいますけれども。

なので、「自分が楽しくてハッピーに頑張れる分野や方法を見つける」のはとても大事です。)

 

最近は、「頑張らなくていいんだよ」という言葉をいろんなところで見かけます。素晴らしいことだと思います。

が、そもそもエネルギーがとても大きくて、頑張ることが好きだし楽しいし自分に合っている!ついついそれができちゃう、という方にとっては、

「頑張らなくていいんだよ」ってむしろその才能を抑えつけちゃう言葉にもなり兼ねないと思っています。

そういう方には、

「とりあえず今は休んどいていいんだよ、そして、自分のために楽しくできちゃうことを見つけちゃおう!

そしたら今度は楽しく頑張れるよね!」

という言葉を贈りたいな、なんて思っています。

 

でも逆に、

そもそも「頑張る」のは自分の仕様に入っていなかったのに、なんだか人生のいろんな成り行きで頑張らざるを得なかっただけで、頑張るのはもともと好きじゃないし、本当にもう頑張りたくない

という方もいらっしゃると思います。

その場合は、もちろん

「もう頑張らなくていいんだよ、今度こそ、自分のペースでゆるりと生きる方法を見つけよう」

という言葉を贈りたいな、届くといいな、と思っています。

 

というわけで。

「もう頑張りたくないよう~!」

と思ったら。

 

それが、

無理の積み重ねで疲れてしまったので「今は休みたい」だけで、休んで、自分のために楽しく頑張れる方法さえ見つかれば、本当はまた楽しく頑張れちゃう、という意味なのか、

そもそも頑張ることが自分には合っていないのに、たまたま頑張らざるを得なかっただけで、本当の自分は全然頑張りたくない、という意味なのか。

ちょっと自分の心に聞いてみると良いかもしれません。

 

(ただし、疲れ切った状態で聞いてみても「分からない」ことが多いので、いずれにしてもまずは休む!のを強くお勧めします

それから、自分で考えていても同じ場所をぐるぐるしてしまって結局分からない、という時は。お話、聞かせてください♪)

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

駅舎の上に満月。