長らく家族の調整役として、
「他人の思考優先」「自分の欲を出すと否定された」
生き方だったため、
自分の「これ」というものがありません。
没頭できる趣味を持って、
自分の気持ちを健康的に解放できるようになりたいです。

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
オンラインカウンセリングサイト「ココロノマルシェ」に
寄せられたご相談にお返事します。
これから生き方をどんどん豊かにしていかれる方からの、
とっても素敵なご相談です♡
ご相談:「趣味から生き方の幅を広げるには?」
趣味から生き方の幅を広げるには?
こんにちは、今日は自分の趣味について質問させてください。
根本さんのセミナーに参加していると、みなさん趣味を伸ばしていくことで生き方の幅が広がる方が多いなあと感じています。
お弟子さんのみなさまも、個性豊かな方が多く、セルフプロデュースが秀逸!とうらやましさ、憧れの気持ちすらあります。
一方私は、長くこれといった趣味はありません。生き方そのものが、支配型の父と拗ね型の母、かまってちゃんの兄の調整役を長くしており、「他人の思考優先」を続けてきた結果、さらに「自分の欲を出すと否定された」過去の影響とも思います。
表向きの趣味は10年来続けているキャンプです。季節を問わず家族と出向き、行けば楽しいのですが、「自分から、喜んで!」というものもなくなりました。
長らく音楽(ピアノ、声楽)を専門的にしてきたのですが、親の期待にこたえ続けることに疲れ、今は音楽とも距離をとっています。
人と話し、交流することはすきです。noteの投稿は4年ほど続けています。
仕事は重めの相談業務です。仕事自体はすごくやりがいがあり、社会人大学に編入し資格を取得するほど勉強は楽しくもあります。
おいしいものがすきで、飲み屋さんは誰よりも熟知している自信がありますが、でもそれって趣味かよ…?と思ってしまうのです。
TVや映画、動画は心が動かされすぎて辛いのでほとんど見ません。感情があふれることが怖いのだと思います。読書も、勉強系のものばかり読みます。
四季を感じることがすきなので、ウォーキングは続けています。
でもこの先、どうしたら自分の没頭できる趣味ができるんだろう?
自分の気持ちを健康的に開放していけるんだろう?と思い、質問させていただきました。
ご助言いただければ嬉しいです。
(うみさん)
うみさん、こんにちは。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコと申します。
うみさんは、めーっちゃめちゃ才能豊かな方ですね!!!
ですが、ご自身ではこれというものがないように感じるとのこと(もったいない!!!)。
では、そんなうみさんが、これからどうすれば、
没頭できる趣味を持ったり、気持ちを健康的に解放できるようになるか?ということで、
私からのお返事では、↓のポイントでお話してみました。
- 才能と引き出しの塊!なんだけど、自分ではそう思えていない?!
- 「ある(らしい)」と受け取る!
- たった一つの「これ」なのか、たくさんの「これ」なのかは、走りながら考えてもいいかも。
- 見極めるには、「感情」に注目してみる。
私のお返事はこちら↓です。お役に立てれば嬉しいです♡
才能と引き出しの塊!なんだけど、自分ではそう思えていない?!
うみさんは、↓と書いてくださいましたけども、
私は、長くこれといった趣味はありません。
私は、
すごい!めっちゃたくさんある!
うみさん、才能と引き出しの塊!
と思いながらご相談文をお読みしておりました。
ご相談文に書いてくださったことを書き出してみると、
- 10年来続けているキャンプ
- 音楽(ピアノ、声楽)
- 人と話し、交流すること
- 言葉による表現(NOTEを4年ほど)
- 重めの相談業務でやりがいを感じている
- 社会人大学に編入し資格を取得するほど勉強が楽しい
- 飲み屋さんは誰よりも熟知している
- 感受性がめちゃめちゃ豊か(←TVや映画、動画は心が動かされすぎて辛いのでほとんど見ない)
- 感受性がめちゃめちゃ豊か(←四季を感じることがすき)
また、長くご家族の調整役をやってこられたということで、
- 人の感情の機微を感じ取る繊細さ、受け止めるキャパ
- 家族(人)を繋ぐ能力
などなどの才能も含め、
こんなに、「ある」、んですよね。
才能も引き出しも可能性も、すごく豊かにたくさんお持ちなのです。
でも、うみさんご自身は、
- 自分から進んでそこまでやりたいとも思えなかったり、
- 期待に応えるためにやっていた感から、積極的に取り組みたいと思えなくなっていたり、
- こんなの「趣味」とも言えないよね、と感じたり、
などのことから、
いまいちどれにもエネルギーを注ぐ価値や動機を見出せないし、なので没頭もできないし、
なので、自分には「これ」というものが「ない」、という気分になってしまうし、
なので、気持ちを健康的に解放することもできていない(豊かなエネルギーがくすぶりがち)、
という感じでしょうか。
また、
上で、「才能と引き出しの塊」と書きましたが、
うみさんは、能力が高くて器用なので、何をやってもとても上手にできちゃうし、
やればそこそこ何でも楽しめちゃうのかな、とも思います。
(ちなみに、それ自体がまた「才能」なんですけどね!)
するとやはり、
まぁいろいろとやるしできるし、何もないことはないんだけど、どれもいまいち「これ」にならない、
ということにもなりがちなのかもしれません。
(あと、これはもう本当に想像ですが、
そんなふうに、何でもできちゃう能力の高さ、感性の豊かさ、などなどを、
「なんでもできていいね~」みたいに、人から嫉妬されることもあったりするでしょうか?
すると、そんな嫉妬を回避するために、無意識に何も「ない」ことにしてしまっている、
なんてこともあるかも?とも思いました。)
つまり、
本当に「これ」というものが「ない」というよりは、
これらのこと↓が背景となって、
- 「他人の思考優先」を続けてきた結果
- 「自分の欲を出すと否定された」過去の影響
- やれば何でもできるしそこそこ楽しめちゃう器用さ・能力の高さ
- (無意識に嫉妬を回避しようとしがちなこと?)
実際にはこんなにたくさん「ある」ことの価値が、受け取りづらくなっている(「ない」ことになってしまう)、
ということなのかも?
と想像しました。
そう言われると、どんな気分になるでしょう?
「ある(らしい)」と受け取る!
だとするとですね、
うみさんに、まず私からおすすめしたいのは、
「受け取る」ことです。
ご自身がやってきたこと、できることの価値を受け取るんですね。
「ない」という前提を、実はたくさん「ある(らしい)」に変えるのです。
私って、今この時点ですでに、才能と可能性と引き出しの塊らしい、と知るのです。
なので、
今「ある」ものから、いくらでも生き方の幅を広げることができちゃうらしい、そうしちゃえばいいらしい、
と知るのです。
で、ここは、無理やり納得しようとしなくてOKです。
へぇ、それぞれにそんなに価値があるの、ふぅーん、ま、それならそれでいっか!
くらいのノリの方が、むしろ受け取りやすくて良いかもしれません。
そうやって、まずはご自身が自分のたくさんの持ち駒の価値を受け取ることで、
それぞれが価値ある「これ」となり、うみさんの生き方の幅を広げてくれると思うのですね。
で。
ここは、もうちょっと具体的に考えてみると、
たとえば、飲み屋さんは誰よりも熟知している、という点。
ご自身では、「でもそれって趣味かよ…?」と感じるとのことなのですが、
私は、これだけでもめっちゃ楽しい「これ」になる、素晴らしい価値のある趣味だと思います。
すごく単純な例ですが、
美味しい飲み屋さんについて、うみさんの感性で、うみさんの豊かな言葉で、ていねいに紹介するブログなんかを作ったら、
うみさんらしさ(の一つ)が生きて、とても楽しいと思いませんか?
それは、たくさんのファンが付く人気ブログにもぜんぜんできちゃうのではないかと思います。
つまり、そこに「価値」を見てくれる人はたくさんいると思うのですね。
と、そんな感じで、まずは、
すべてに価値が「ある(らしい)」と知っていくことをおすすめしたいな、
と思いました。
たった一つの「これ」なのか、たくさんの「これ」なのかは、走りながら考えてもいいかも。
ちなみに、
「これ」が、たった一つのものなのか、いろいろ異なるものなのかは、
最初から決め打ちしなくても良いのかも?とも思います。
というのは、
そもそも器用で能力が高く、エネルギーも豊かなうみさんなので、
一つに絞ってしまうと、能力やエネルギーを捌ききれないかも?
とも思うのですね。
例えば、先ほどの飲み屋さんの例にしても、その一つだけでは、
もっとがっつり人とも関わりたいし、もっと深みのある精神性や芸術的センスも表現したいのに、そこまではやりきれない、
みたいな感じで、うみさんの感性や能力やエネルギーや興味が解放しきれず、余ってしまう気もします。
なので、これはいろいろ試行錯誤しながら、
一つの「これ」を持つが良いのか、いくつかの「これ」を持つのが良いのか、
走りながら見極めていっても良いのかも?
なんて思ったりもします。
見極めるには、「感情」に注目してみる。
それから、
うみさんが楽しく幸せにエネルギーを注げて(没頭できて)、
気持ちを健康的に解放できるものを見つけるために、
もう一つ注目してみると良いかも、と思うのが、
それぞれの活動をしている時の自分の感情
です。
それぞれに楽しさや充実感などがあると思うのですが、
それぞれに、感じる楽しさや充実感は異なると思うのですね。
例えば、
四季を感じる時の楽しさと、美味しいものを楽しむ時の楽しさは、やはり異なるのかな、どうでしょう。
でももしかすると、根っこをたどると、意外と同じところに行きつくこともあるかもしれません。
その方の感性にすごくよりますね。
また例えば、音楽活動は、
ご両親の期待に応えることの重荷感が手放せれば(ご両親への思いが解決できれば)、
意外と音楽そのものについて楽しめることはありそうでしょうか?それはどんな楽しみでしょう?
演奏家としてではなく、鑑賞する豊かな視点が持てたりとか?
(もちろん、ご両親・家族へのわだかまりがあれば、
それは手放せると人生の自由度がさらに増すので良いかとは思いますが、
音楽を楽しむべきとか、そんなお話ではないですよ!)
そんな感じで、
うみさんは、どの活動でどんな楽しさや喜びや充実感を得るのか?
どこで感じるどんな楽しさや喜びや充実感を、これからの自分に与えてあげたいか?
というところにも注目して進んで行けると良いのでは、
そうすると、
いろんな活動に幸せに没頭する時間や、気持ちを健康的に開放する時間を、より自覚的に作っていけるのでは、
なんて思ったのでした。
とっても応援しています♡
ご相談文にも書いてくださった通り、
弟子カウンセラーのみんな、ほんとに個性豊かで素敵な仲間ばかりなんですよね!
で、このセルフプロデュースの秀逸さがどこからくるかというと、
みんな、自分のどんな些細なことでも、その「価値」を受け取っていることが大きいと思います。
受け取れているからこそ、それを個性として表現したり、
そこからさらに、生き方や活動の幅を広げることができるのですよね。
で、今回のご相談文だけでも、
うみさんが才能や引き出しの宝庫であることは明らかなので(しかもまだまだ見つかると思いますし)、
ぜひそこを受け取りながら、生き方の幅をどんどん広げていかれたら良いな♡
そうやって、うみさんが、これからご自身の豊かなエネルギーをどんどん解放していかれたら素敵だな♡
と、心より応援しております。
お手伝いできることもたくさんありますので、良かったらお話聞かせてくださいね!
お読みいただき、ありがとうございました♡
コバヤシアキコ
今日の一枚。
オランダ!な風景。