今回は、
「私は幸せであっていい」って言えますか?
というタイトルにしました。
試しに今、声に出して
「私は幸せであっていい」
って、言ってみてください。特に抵抗なく言えますか?
これ、今でこそ私も普通に言えるようになりましたが、いろんな意味で心が地を這っていた時は、どうしてもこの言葉を口から出すことができませんでした。
「私は幸せであっていい」
シンプルな一言なのですが、心の中で知らないうちに、(私みたいな人間は絶対に幸せであってはいけない)、のように思い込んでいたりすると、意外なほどにこれが言えなくなります。
なので、これが普通に抵抗なく言えるかどうかは、心の中に(私は幸せであってはいけない)という思いがないか、(私は幸せであっていい)と思えているか、を測るテストにもなります。
「私は幸せであっていい」
何度かこれを言ってみたら、涙が出てくる方もいらっしゃるかもしれません。
恐らくこれまでずっと、「幸せであっていい」という許可が欲しくてたまらなかったのでしょう。でも、自分で自分に許可することはおこがましかったりしてできなかった。
なので今、この記事を読んで試しに言ってみたら、
「あぁ、やっと許可がもらえた」
という安心感を感じて涙が出ているのかもしれません。
「私は幸せであっていい」
中には、胸がモヤモヤしてすごく居心地の悪い感じがする方もいらっしゃるかもしれません。
もしかすると心の中には、自分はとても悪い人間で、幸せであっていいなんて許可は絶対に出せない、という思いが渦巻いているのかもしれません。
なので、そんな心の中の思いとは真逆の言葉を発したことで、その思いが刺激されてモヤモヤしているのかもしれません。
そんな時は、
今まで生きてきた中で、そうやって自分への幸せを許せなくなるくらい罪悪感を覚える出来事があったのかもしれないな、
だとしたらさぞかし苦しんで来たんだろうな、
と自分に思いを馳せてあげます。
そして、そんな風に幸せを受け取るまいとしている自分に声をかけるつもりで、
「私は幸せであっていい」
と何度も言ってあげます。
「私は幸せであっていい」
もしかしたら、何だか笑い出したくなってしまう方もいらっしゃるかもしれません。
長いこと自分に幸せを許可してこなかったけれど、こうして声に出してあげることで、
「あ、なんだ、私は幸せでも良かったのか」
ということが急にストンと腑に落ちて、そのあまりのシンプルさが可笑しく感じてしまうのかもしれません。
「私は幸せであっていい」
これはアファメーションとしてもとても使える言葉です。
幸せであっていいとは思えなくても大丈夫。心を無にして何も考えずにただ念仏のように唱え続けてください。
こう、意味というよりは文字だけが心に浸み込んでいくようなつもりで唱えておけば大丈夫です。
私は幸せであってはいけない、と自分に禁じているのは、私自身、なんですよね。
親でもあの時傷つけてしまった元カレでも友人でも神様でもなく、私、なのです。
罪を握りしめて、自分から幸せを奪うことで自分を罰し続けなければいけないと思っているのは、他の誰でもなく、私自身。
そして、私自身が幸せであることを自分に許可できるのも、私自身、なのです。
実は、自分自身が自分に対して持っている力って、とても大きいのですよね☆
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
アムステルダム国立美術館前の池にアート作品(2年前の写真です)。