続・「イヤ」を「イヤ」と言えない頑張り屋さんへ

今回は、

続・「イヤ」を「イヤ」と言えない頑張り屋さんへ

ということで、前回の続編にしようと思います。

 

前回は、頑張り屋さんには、

  • 「イヤ」と言ったら相手に嫌われてしまうかもしれない恐怖があること
  • つまり、相手が喜ぶかどうかに自分の価値の有無の判断をゆだねてしまっていること

をお話しました。そして、

  • 相手が喜ぶかどうかと自分の価値は無関係であること
  • 相手に関わらず自分の存在には絶対的な価値があること
  • 私の意思も相手の意思も、どちらも尊重されていい、ということ

を心に留めてみてください、というお話をしました。

 

そして今回です。今回はまたちょっと目線を変えてみようと思います。

 

そもそも頑張り屋さんが「イヤ」を言いにくいのは、「イヤ」と言ったら相手がヘソを曲げてしまう(そして自分を嫌いになってしまう)のが怖いから、でしたね。

私が断ったら相手がヘソを曲げる。

こう思っているとき、私は相手をどんな人だと認識しているのでしょう?

 

それはずばり、

相手は物事が自分の思い通りにならないとへそを曲げてしまうような「お子ちゃま」

だと思っているんですよね。

なので、相手は私の「イヤ」を受け取ってくれないだろうから言わずに我慢するというのは、

「おー、よちよち、そうでちゅよね、私が言うことを聞いてあげないと、怒っちゃいましゅよね~」

と相手を子供のように甘やかしているということにもなります。

 

あれっ?確かに…

と思いましたか?それとも、

うん!思ってる!

でしょうか笑

 

本当に相手が小さな子供の場合ならいざ知らず、職場の同僚であったりパートナーであれば、自分と同じ大人のはずです。

でもなぜか、そうやって思い込んでしまっているのです。

そこそこ失礼な話ですよね笑

 

でもですね、実際、相手は大人なんですよね。

なので、多分、そこそこ大人な感じのキャパは、持っているはずなのです。

なので、もしかすると、相手は私の「イヤ」も意外と受け入れられちゃうかもしれないのです。

なので、そのキャパを信頼してみるかどうか、というのは今度は私次第の問題ということになるのです。

相手は私の「イヤ」を受け入れる成熟度が備わった大人なのかも、と見方を変えてみることも、自分で選びたければできるのです。

 

(もちろん、世の中の平均と比べれば恐ろしいほどの大きさのキャパ/忍耐力を持っている頑張り屋さんと比較すれば、確かに周りの一般ピーポーのキャパはどうしても小さく感じるかもしれません。

でも、それは頑張り屋さんが平均からかけ離れているからそう見えるだけで、一般ピーポーには一般ピーポーなりのキャパがあるのです。

…ちなみに一般ピーポーって死語でしたか?)

 

ちなみに、無意識に相手を子ども扱いすることを止めて、相手も成熟した一人の大人として見るようになると、実際相手が「イヤ」をすんなり受け止めてくれたり大人な対応をしてくれることが増えた、なんていうこともあります。

人は自分が扱われているように行動するものなので、これはごく自然なことと言えますね。

「あなたはどうせ子供だしね」という意識で扱われれば(言葉には出さなくても)、本人も「私はどうせ子供ですから」という反応になるものです。

また、子供のように甘やかされていれば本人もそれがが居心地が良くなって、あなたの前では子供のように振舞うようになったりもします。

その意味でも、もしかして相手は私の「イヤ」も受け入れられるくらい成熟した大人なのかも、と見方を変えてみることには価値があるのです。

 

さぁ、そんなわけで、「相手が私の『イヤ』を受け入れてくれない」が最初の問題だったはずなのに、今度は「私が相手の成熟度を信頼するかどうか」が問題になってしまいました。

さて、どうしましょう。

これちなみに、だからと言って今すぐ見方を変えましょうと言われても、やっぱりいろいろ抵抗を感じると思います。「いや、そうは言ってもやっぱり無理でしょ…」なんて思っちゃいますよね。

でも、「自分はどちらの見方を選びたいか」はいつでも自分で決めることができる、ということは、心に留めておいて損はないと思うんですね。その気になったら選んでみれば良い話ですし。

 

もちろん、たとえ相手にそれだけのキャパが(潜在的に)あるとしても、あなたからの「イヤ」に慣れていなければ最初は反発もあるかもしれません。

前回お話しましたが、私と現在のパートナーの間でも私の「イヤ」をそこそこ上手にコミュニケーションできるようになるまでにはそれなりに時間がかかりました。

でも、相手にそのキャパがあれば(そして自分もそれに胡坐をかかずにいれば)、いずれはお互いに心地良い落としどころが見つかるものです。

そこを目指してみる努力は、自分ばかり「イヤ」を溜めこんで行く不毛な努力(すなわち我慢)よりずっとハッピーな努力になるのではないかなぁ、と思うのです。

 

相手のキャパを必要以上に見くびらないこと。

お互いに、お互いのキャパの中で最善を尽くしている大人なのだと思ってみること。

参考になればうれしいです。

閑話休題。

窓が特徴的な建物。これはその昔、倉庫として使われていた建物のデザインです。窓から荷物を搬入していたんですね。

でも今ではとてもお洒落な住宅となっています。