「イヤ」を「イヤ」と言えない頑張り屋さんへ

今回は、

「イヤ」を「イヤ」と言えない頑張り屋さんへ

というタイトルにしました。

 

例えば、

お仕事を頼まれたとき、本来自分の仕事じゃなくて気乗りしなかったり既に自分もいっぱいいっぱいだったら、ちゃんと断れていますか?

あるいは恋愛・結婚生活の中で、彼氏・彼女・パートナーをがっかりさせたくないからと、自分のキャパ以上に相手に尽くしていませんか?

 

きっと答えは、「断れてない」だし、「尽くしちゃってる」ですよね。

頑張り屋さんは、「イヤなものはイヤ」というのが何よりも苦手なんですよね!私もですけどね。

そして、限界に達したら急に「もう限界なんじゃー!」とちゃぶ台をひっくり返して怒り狂い、後で後悔して自己嫌悪を発動するなんていうのもあるあるかと思います。

 

「イヤ」を「イヤ」と言うこと。

「そんなことできるわけないじゃん!」という感じでしょうか。

では、こんなシンプルなことに何でそんなに抵抗があるのでしょう?

 

例えば、

お仕事を完了させるためには誰かが何かしら犠牲をしなければならないものだから?
パートナーシップを持続させるためにはお互い何かしらの譲歩が必要なものだから?

最初に出てくる理由はこんな感じでしょうか。良識ある大人の答えですよね。

これくらいのことはしてあげられる優しい人間でありたいから?
断ってしまうのは可哀そうだから?

心優しい頑張り屋さんからはこういう理由も聞かれそうです。

 

でもそれは、本当に、本当の理由でしょうか?

きっと、違いますよね。

本当に本当の理由は、

「イヤ」と言ったら、嫌われちゃうかもしれないから。
「イヤ」と言ったら、「じゃ、あんたなんかもう要らない」と言われてしまうかもしれないから。

ではないでしょうか?

「イヤ」と言わずに我慢しておけば、居場所を奪われない気がするから。

かもしれません。

 

こんな風に、本当に本当の理由は「仕事を完了するため」「パートナーシップを長続きさせるため」よりもずっと根源的な、自分の存在意義に関わることではないでしょうか?

つまり、「イヤ」と言うのが怖い、んですよね。

なので、本当はイヤでもその怖さに負けて全部引き受け抱え込み、一人で全部背負ってしまうのです。

ちょっと切ないですね。

頑張り屋さんはこういう切ない習性をいろいろ持っています。

 

でも、ちょっと考えてみたいのですが。

「『イヤ』と言ったら、相手にとっての自分の価値がなくなってしまうかもしれない。」

こんな怖れがある時、実際のところ自分は何をしているのでしょうか?

 

これ、「相手に自分の価値の有無の判断を委ねてしまっている」んですね。

「はい」と言う自分には相手は価値を見てくれるから、従順な自分には価値があるということなのだ。
「イヤ」と言う自分には相手は価値を見てくれないので、拒否する自分には価値がないということなのだ。

と思っているわけです。

自分では自分の価値を見ていない、見られないので、相手の反応で自分の価値を測っているんですよね。

相手の思い通りのことをしたら喜んでくれた。それならきっと、その自分には価値があるんだ。
必ずしも相手の思い通りではないことをしたら喜んでくれなかった(←当たり前ですが)。それならきっと、その自分には価値がないんだ。

だから私は相手の思い通りのことをして喜ばれなければ価値がなくなってしまう。

こんなふうに、自分の存在意義が相手の反応次第になっていて、相手の希望や気分にすっかり振り回されてしまうような状態です。

思い当たる節はありますか?

 

なぜ、自分で自分の価値が見られず、相手の判断に委ねるようになったのかと言えば、それぞれに切ない背景があるものです。

子供の頃に育ってきた家族などの環境や学校生活が大きく影響していることも多いですね。
もちろん大人になってからの職場や恋愛での出来事が影響していることもあります。

そういった「過去」を掘り下げてそもそもの理由を見つけて解消していくという方法もあります。

が、今回のメルマガでは「今」と「未来」に目を向けたお話をしたいと思います。

 

まず初めに気づきたいのは、

「相手がたまたま喜んだか喜ばなかったかということと、自分の価値には何の関係もない」

ということです。

そもそも喜ぶかどうかという相手の反応は、相手の気分や状態によっていくらでも変わり得ますよね。相手が望んでいるはずのことをしてもなぜか喜ばれないなんてこともざらにあります。

なので、それと自分の価値を結び付けて一喜一憂するのは全くナンセンスなのです。まずはこれを頭に入れてください。

 

そして次は、相手の反応に関わらず自分で自分の価値を見る練習です。

自分の「はい」や「イヤ」に対する相手の反応とは無関係に、自分の存在には価値があるのです。これは真実です。もう、1+1=2と同じくらい、太陽が東から登って西に沈むのと同じくらい、シンプルな真実です。

今「何その安っぽい話」と感じた方もいらっしゃると思います。そう感じた方にはちょっとハードルが高いかなと思うのですが、是非これについて、試しに「そうなのか…な?私の存在にも価値があるのか…な?」と思ってみることに挑戦してください。

ちなみに、ちょっと前の私は本当に「ふん、そんな安っぽい話」と全力で白けていました笑 なので最初は「思ってみることに挑戦」すらしなかったので時間がかかってしまいましたが、今ではこれもすっかり腑に落ちています。

そして今(安っぽい…)と思っているとしても、そんなあなたにも厳然とした価値があります。どんなに足掻いても、やっぱり価値はあるのです。もう諦めて自分の存在には価値があると認めるしかないのです。うふふ。

 

そして最後に、いつもの呪文(アファメーション)です。

「私の意思も尊重されていい。」

こんな風に唱えてみてください。

「も」がカギですね。

相手の「はい」「イヤ」という意思尊重されていいし、私の「はい」「イヤ」という意思尊重されていいのです。

相手の意思を尊重するために私が無理な我慢をする必要もなく、私の意思を尊重するために相手が無理な我慢をする必要もないのです。

どちらも尊重されていい。

その世界観は、頑張り屋さんの「イヤ」をずっと軽やかに引き出してくれます。ちゃぶ台をひっくり返すまでため込むこともなくなります。

 

もちろん、現実の人間関係の中では、今まで一度も「イヤ」と言わずに周りと合わせてきた人が突然「イヤ」の意思表示を始めたら、それに慣れていない周りの人は戸惑ったりするでしょう。

でも、それでも続いていく人間関係なら「はい」でも「イヤ」でも受け入れられるはずです。むしろやっとあなたの希望が聞けて喜んでくれる人もいるでしょう。

逆に、それが受け入れられない人間関係なら、あなたの犠牲が利用されるだけなので距離をとる方が身のためです。

 

ちなみに、更に現実面のお話をすると、「イヤ」を表現するとき、

「私は今までこんなに我慢してきたんだから、もう無理です!」

と溜まったものを感情に任せてぶちまけると、「尊重される」という結果には結び付きにくいです。相手も人間なので、同じように感情的に反応しがちになりますのでね。

それよりも、

「実は今までこんなところでちょっと無理していたんだけど、本当はこんな希望もあるんです、お互いにハッピーな着地点を一緒に探せませんか?」

なんて風に、自分の正直な希望と、でも無理やり相手をねじ伏せるのではなく一緒に解決していきたいということを伝えると、建設的なやり取りがしやすくなります。

 

実はこの辺は、私は今のパートナーと散々やりました。私が「イヤ」をたくさん溜めこんだんですね。

やはり、最初に「イヤ」を表現し始めたときは、彼からも抵抗がありました。たくさんがっかりもされました。そしてそのたびに、私もみっともないほどおろおろ&イライラしました。

それでも、「私の意思も尊重されていい。彼の意思も尊重されていい」と思い出しながら、上のような建設的なやり取りを心がけたんですね。

私にも彼にも根気の要る作業でした。でも、それでも続けたら、今ではずいぶん正直に「イヤ」を伝えていますが、結果としては今も私たちは続いています(たまたま私たちの関係が、今のところはこういう作業を乗り越えられるものだった、ということなのですが)。心の距離も以前よりずっと近くなりました。

そして何より自分の自信にもなりました。

なのでこれは私の体験からも、やってみる価値は大ありですよ♪と自信を持ってお伝えできることなのです。

 

というわけで、今回はちょっと長くなってしまいましたが、なかなか「イヤ」を「イヤ」と言えない頑張り屋さんへの応援歌のつもりで書いてみました。

「私の意思も尊重されていい」。

参考になればうれしいです。

閑話休題。

オランダは中世の古い町並みが魅力的ですが、モダン建築もたくさん楽しめます。

こちらはアムステルダムの「パイソン橋」。蛇をイメージしたちょっとかっこいい橋です。

が、高いところが怖い私はちょっと足がすくみます笑