許すことができない、のではなく、許さないと決めている、のだとしたら?

こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

母への怒り、コンプレックス(容姿、能力、異性・同性)、自分が分からず自信皆無。

全てから逃げてアメリカ⇒トルコ⇒オランダを流れ歩いた、早稲田女(ワセジョ)でエリートになり損ねた元ベリーダンサーのカウンセラーがお贈りする、

「人生迷子な頑張り屋さんが、本気でわたしの人生を取り戻す」カウンセリング

こんな酷いことをされたので、私はこの相手を許せない。

毒親でも、修羅場の後に離婚した元夫でも、ムカつくきょうだいでも学生時代のクラスメートでも、

そんな風に思うことはあります。

人間だもの。

 

で。

絶対に許せない、許せる気がしない、と強く思うこともあるわけですが、

なぜそこまで、「許せるわけがない」ということに確信を持てちゃうのでしょう?

 

相手がそれほど酷いことをしたから?

それくらい傷けられたから?

 

もちろん、それらの理由もあります。

が、もっと大切な一番の理由、というのがあります。

 

それは、

私が、「許さない」と決めたから

だったりするのです。

 

自分で「許さない」と決めているのだから、これからだって「許せる未来」はやってこないことは、

そりゃー自分が一番良く分かりますよね。

ということなのです。

 

と、いうことは、実は、

許せるか許せないか、は、相手がしたことの「酷さ」の程度とか、相手が謝ってくれるかどうかのように、「相手にかかっている」わけではありません

相手に謝るなどしてもらって、許せるようになるための条件を外から整えることは、

許すためのステップとしては重要ではないのです。

 

だって、どんなに小さくてしょうもないと感じることでも許せないこともあるし、

どんなに謝ってくれても許せないこともありますしね。

 

結局、許せるか許せないか、は、私が許すことに決めるかどうか、なのです。

 

で、

私が許すことに決める、と言っても、そう決めた瞬間にすべてを許さねばならないわけではありません。

そのイメージがあるので、なかなか許せないし、許せない自分も許せないし、という苦しいサイクルが始まるんですよね。

より正確には、許せる自分になっていくと決める、という感じです。

 

なので、許せる自分になろうと決めても、やっぱり最初は、

あの時私はこんなに悲しかったんだ!苦しかったんだ!だからやっぱり許せない!

のように、それを邪魔するいろんな思いが出てきます。

そんなものです。人間だもの。←2回目

 

そうしたら、その思いを一つ一つ丁寧に理解し癒し、解決していけば良いのです。

そうやって、少しずつ許せる自分になっていく。

自分に向き合う、って、そういうことだと思うのですね。

 

それから、許す、と言うと、

自分はまだ苦しい思いを抱えているのに、相手だけを罪から解放して楽にしてあげてしまうような、

自分にとっては何の利益もないような気がすることもあります。

だから、なおさら許したくなくなっちゃうんですよね(私みたいなケチな人は特に笑)。

 

でも、許す(許せる自分になる)というのは、上で書いたように、

許したくない!といういろんな苦しい思いを癒し解決し、悲しい思いから自分を自由にするプロセスでもあります。

ずっとこだわって(足を引っ張られて)きたいろんな記憶を「過去」にし、もっと楽に生きられるようになるプロセスでもあります。

許す、というのは、相手ではなく、自分を楽にさせてあげること、なのです。

 

もし今、あなたが誰かを許せなくて苦しんでいるのだとしたら。

その自分を楽にしてあげるために、許せる自分になる、そんな意欲を持ちませんか。

そして、そう決めるとしたら、あなたは、いつ、決めますか?

その、許せる自分になっていくためのお手伝いを、させていただけませんか。

 

良かったら、どう考えたって許せる気がしない、その思いを、聞かせてくださいね!

いつも、応援しています。

 

ちなみに、このお話は次回に続きます♪

閑話休題。

ネコさんに警戒されました。