こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
母への怒り、コンプレックス(能力、異性・同性、容姿)、自分が分からず自信皆無。
全てから逃げてアメリカ⇒トルコ⇒オランダを流れ歩いた、早稲田女(ワセジョ)でエリートになり損ねた元ベリーダンサーのカウンセラーが、
「本気でわたしの人生を取り戻す」カウンセリングをお届けしています。
今日は、
新しい肩書に含めた「コンプレックス」の話
です。
お話しするのやっぱり怖いけど、勇気出していきますよ!
で、私もだいぶいろいろコンプレックスはありましたが、
今日は、
エリートになり損ねたコンプレックス
です。
日本を離れた直接の理由は、このコンプレックスだったんですよねぇ(間接的な理由は母です)。
ちなみにこれ、
私自身がカウンセリングを受けていた時に何度も話題にもしたくらい、
自分の中で「痛い」記憶なのです。
私は日本では2つの会社に勤めました。
その一つが、コンサルティング会社のコンサル職でした。
コンサルティングって、クライアント企業にとっての「最善」を、「新しく作り出す」お仕事とも言えるかと思います。
そこでは、自分の視点、自分の意見、自分の考え方で、その「最善」を導き出すことが必要になります。
でも、
当時の私は、自分の視点も意見も考え方も、さっぱり分からなかったんですよね。
「あなたはどう思う?」と聞かれても、「分からない」のです。
誰かが決めた「正解」があれば、そこにたどり着く道筋を自分で考えることはできるのだけど、
自分の視点、意見、考えで答えを新しく作り出すことは、全くできなかったのです。
なので、
他のコンサルタントの何倍も時間をかけて作ったレポートも、
自分自身の視点で新しいものを生み出すことができないので、別のレポートに毛が生えたような内容にしかできなかったりして、
上司が毎回「こうじゃないんだよなぁ」と思っているのが良く分かりました(そういうことは良く分かる涙)。
もう、見事に致命的ですな。
毎日それは惨めで悲しく、
朝の通勤時は「地下鉄が止まっちゃえばいいのに」、「エレベーターが故障すればいいのに」と祈り(?)、
そんな「できない」自分を嫌って、自傷行為的なこともしていました。
今思い出しても、あれは誠に暗い黒歴史ですねぇ←遠い目
(ま、黒歴史は他にもたくさんあるんですけどね♡またお話しますね♪)
そんな風に、
「コンサル」という、頭が良くて能力が高くて優秀な人のエリートなお仕事に、手も足も出なかった私は、
頭が悪くて能力がなくてトロくて要領が悪くてバカで全然使えないという烙印
が、はっきりと押されてしまったのでした(正確には、自分で自分に押したのだけど)。
もともと私は、
学校の勉強ならできるけど、実は自分は頭が悪いんじゃないか?
という不安を高校あたりから持ち始め、大学ではその不安をさらに強くしていました。
なので、「いやそんなことはない、私は『できる』人間だ」ということを(自分に)証明するために、
コンサル職に就いたということもありました。
でも結局そこで、「できる人間」は証明できず、
全~然、ダメな人間であることを証明してしまったんですね。
その惨めさから逃げたい一心で、日本から逃げ出したのでした。
日本のエリートの社会では使い物にならなかったけど、
海外には、使い物にならなかった私を知る人はいない!ってね。
(職場の狭い世界の外に目を向けるとかすれば、
なにも海外にまで行かなくても良かったはずなのに、
そこはいろいろ極端に振れがちなのも、意外とあるあるでは笑)
新しい肩書に「全てから逃げて」と書いていますが、
これは、私の逃げまくり人生のエピソードの一つです。
で、ここではもちろん、
なぜそんなに「できなかった」「分からなかった」のか?とか、
なぜそんなに「優秀であること」に執着していたのか?とか、
そんなお話もできます。
これは私の場合(そして多分、同じような悩みを持つたくさんの方の場合)、家族とか生い立ちとかに繋がります。
が、そこまで含めると長くなりすぎるので、それはまたの機会に。
今回は、
今、自分に対する惨めさやコンプレックスに苦しんでいる方への応援のつもりで書きました。
「こんなヤツもいるんだな」と思えると、ちょっと気が楽になりませんか?
そんな風に読んでいただいて、あなたの肩の力が少し抜けたら、私はとても嬉しいです。
それから、
そんな惨めな思いやコンプレックスを、人知れず抱え続けるのはもう苦しくなっていたら、
私で良ければ、お手伝いさせてくださいね!
コンプレックスまみれ、そんな自分から逃げまくりだった私だから分かること、できること、
たくさん、ありますよ。
いつも、応援しています。
*
閑話休題。
サマードレスがお似合いです。