母と私とコロナの話

今回は

母と私とコロナの話

というタイトルにしてみました。

 

心理学とか癒しの世界では、「許し」とか「感謝」を目指すことを勧めたりします。

それが倫理的にとか人間として正しいから、ではなく、強いわだかまりを持った相手を許したり感謝までできるようになると、自分の心が救われる/楽になるから、ですね。

なので、母に強いわだかまりを持ってきた私も、母を許すことや母に感謝することができるようになると良いのだけれど、と思ったりしていました。

 

ですがこれはちょっとトリッキーなところもあって、「許し」とか「感謝」を最終目的にしてしまうと、それができない自分をまた「許せないといけないのに!」「感謝できないといけないのに!」と責めることに繋がってしまうことも多いんですね。

なので、目的はあくまで「自分が楽になること」、「恨みつらみにエネルギーを割かずに、自分のためにエネルギーを使えるようになること」で、そのための一つの目標として「相手を許すこと」や「相手に感謝すること」も視野に入れようね、というアプローチの方が現実的です。

私もカウンセリングで「許し」や「感謝」の話をすることはまずありません。そんなことより、心の中の反吐を出し尽くす方がよっぽど大事ですので。

また、私自身の癒しの意味でも、無理やり「感謝できるようにならなくちゃ!」ということは全く考えていません。

 

で、そんな風に母に対して思うところを抱えてきた私です。

思うところはありましたが、いろいろ取り組んできた結果、なんだかなぁと思うことは今もあっても、それでも今ではずいぶんいろんなことが理解できるようになったし、以前のような「ほぼ絶縁」状態からも脱することもできました。

今ではお互い心穏やかに、良好な関係を築いています。

究極の「許し」とか「感謝」の境地にはまだ至っていない気がするけど、まぁそれはこれからまた何かのタイミングでテーマとして目の前に現れるんだろうな、と思っていました。

 

そんな時の、このコロナ禍です。

田舎に住んでいて人との接触は都市部ほどにはないとはいえ、母ももう60代後半です。万が一罹患すれば重症化の恐れもあります。

また現在、海外から日本に帰国した際には、14日間の待機が必要になっています。最悪の事態が起これば、一切、何にも間に合いません。

 

私、それでいいの?

そんな寂しい思いを私は母にさせるの?

 

それはできない、と思いました。

自分の気持ちの未消化の部分を優先するよりも、私は母ともう一度繋がり直そう。母に誠実に向き合おう。

そう思いました。

 

大袈裟なことをしたわけではありません。

「繋がり直す」といっても、どうしようかな?と考えていたある日、とあるメールのやり取りの中で「あ、今伝えよう」と思うタイミングがありました。そこで、とてもシンプルに

「母さんを大事に大事に思っていますよ」

と伝えました。

するとしばらく経ってから、

「ありがとう」

と返事がありました。

 

もともとこんな言葉はまーったく受け取ることのできない母ですから、以前なら何やら不自然に話題を変えたりむしろ不機嫌な返事をよこしただろうと思います。

なので、今回の「ありがとう」のメールを打つにも相当の思いだっただろうと思うのです。この「ありがとう」は、母にとっても大きな一歩だったことでしょう。

そんな大きな葛藤を感じつつも、母もまた、繋がることを選んでくれました。

そしてこのやり取りをした時、私の心の奥にはとても静かな喜びが少しずつ満ちてくるのを感じていました。

 

私たちも、どこにでもいる不器用な親子です。上手に愛せず、上手に繋がれず、たくさんの苦しさや悲しさを味わいました。

コロナは今、たくさんの人を物理的に遠ざけています。GWは会いたい家族に会うことを我慢して寂しい思いをしている方もたくさんいらっしゃると思います。

ですが、コロナは同時に「繋がりなおす」という選択肢を私たちに気づかせてくれました。

一足飛びに「許し」や「感謝」の境地に辿り着いたわけではありませんが、母も私もそれぞれにまた一歩前進することができたように思います。

もちろんそのためのアクションを取った自分もしっかり褒めています笑

 

人間は本来、「愛されたい」よりも「愛したい」存在であると言います。「愛されなかった」ことよりも、「愛せなかった」ことの方が、人は苦しむのだそうです。

その言葉の通り、愛そう、繋がろうとすることそのものが、心の中に深い喜びをもたらしてくれるんだな。

宗教家のような「許し」も「感謝」もまだ及ばない気がしても、それでも「愛そう」とし、「繋がろう」とすることも、実際選べるんだな。

コロナはそんなことに気づかせてくれたのでした。

 

たくさんの方を苦しめ犠牲者を出しているこの感染症が、一日も早く収束することを願ってやみません。

同時に、もう一度愛そう、繋がろうと決めるきっかけを得られたという意味では、この非常事態にはまたちょっと別の思いもあるのでした。

 

本当は何とかしてもっと上手に愛したかった自分、上手に愛せなかった自分を責めてきた自分に気づけると、また少し自分が好きになれます。

特に「母親」というのはいろんな意味で「ラスボス」であることが多く、ここを乗り越えていくと人生に素晴らしい恩恵が流れ込んできます。

そんなお手伝いもさせていただけたらとても嬉しいな、とも思っています。

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

これもまた2年前に撮った写真。

恐らくこれはハウスボートと言って、住宅として使われている船です。で、普通にお家にお花を飾るように、船にチューリップが飾ってあります。

良い季節ですね♪