恥ずかしがり屋で「受け取り下手」な頑張り屋さんへ

今回は、

恥ずかしがり屋で「受け取り下手」な頑張り屋さんへ

というタイトルにしました。

 

受け取る。

という一言ですが、とても奥が深いと思います。

頑張り屋さんは、誰かに何かをしてあげる、「与える」ことはとても上手ですが、誰かに何かしてもらう、「受け取る」ことはとても苦手な人が多いですね。(私も以前に比べればずいぶん図々しく(笑)受け取れるようになりましたが、今も意識して取り組んでいる分野です。)

「受け取る」ことは、頑張り屋さんが緩んでもっと快適に自分のために生きられるようになるための、一つの大事なカギになると思っています。

 

(こんな記事もあります♪あわせてどうぞ☆

「受け取る」ことは「与える」こと

「ごめんなさい」は自己中な言葉?! )

 

例えば、他人からの厚意を受け取るという場面を考えてみましょうか。

電車で荷物置きに荷物を置こうとしたら重くて持ち上げられなかった。その時、たまたま近くにいた人がひょいっと持ち上げて置いてくれた。

そんな時、思わず「すみません!」が最初に出てきませんか?

それから例えば、先日の記事でも書きましたが、誰かからの褒め言葉を受け取るという場面。

例えば「あなたは魅力的ですね!」と言われたとき、思わず「いえいえ、そんなことないです、もう全然です、あの人の方がずっと魅力的ですよ」と返しませんか?

 

どちらも、全然受け取っていないですよね、とっても頑な!(そして例によって、そこが頑張り屋さんの可愛いところなんですけど!)

 

他人からの厚意に「すみません!」と言う時。

この「すみません」は、「(ご迷惑をおかけして)すみません」という意味ですよね。

つまり、

「私はあなたの親切を受け取るような価値のある人間じゃありません。私を手伝うなんて、『親切』というよりあなたにとっての『ご迷惑』にしかなりませんから、その『労力』はどうぞご自分のために、または他の価値ある人のために保存しておいてください」

くらいの意味じゃないでしょうか。

相手が「これはあなたへの親切です」と差し出してくれたものを、私は「相手への迷惑で要らぬ労力」と自分の理屈で定義しなおして相手に突き返しているんですよね。

 

また、褒め言葉に対して「いえいえ、全然です」と言うのは、文字通り「私には魅力なんか全然ありません」という意味です。

つまり、

「私はあなたの褒め言葉なんかまるでもったいないような魅力皆無の人間ですから、そんな素敵な言葉は無駄になってしまいます」

くらいの意味じゃないでしょうか。

これは、相手が私に魅力を見てくれているのに対して、「あなたのその意見は間違っています」と否定していることになります。

 

こう考えると、受け取らずに謙遜することって、相手にしてみればそこそこ失礼(笑)なことが分かります。

だって、相手も自分と同じ一人の人間で、それぞれの価値感や美意識に則って私に親切にしてくれたり私の魅力を褒めてくれたりしているのに、私はその相手の価値感や美意識は間違っている、と切り捨てている訳ですからね。

つまり、親切や褒め言葉を拒否することは、相手の人格よりも、自分の恥ずかしさとか恐れ多いとかもったいないという感覚を優先している、ということでもあるのです。

 

でももちろん、頑張り屋さんがわざわざ意地悪をしたくて相手の親切や美意識を否定しているわけではないんですよね。

元はと言えば、相手の厚意への気遣いとか、もっと魅力的で素敵な言葉が相応しい人が他にもいるという思い遣りのような「優しさ」があるのです。頑張り屋さんは、他の「誰か」に対して本当に本当に優しいと思います。

そして、その「優しさ」を表現するときに、頑張り屋さんは「受け取らない」以外に表現する術がないように感じているのだと思います。

 

でも、上でも書いた通り、「受け取らない」ということは、相手の「親切をしたい」という価値感や「魅力を見る」という美意識を否定して、自分の感覚を優先しているということでもあります。

それはある意味、相手と自分の間に壁を作り、自分をいつまでも孤立したままにしてしまいます。

この状態は、受け取ってもらえなかった相手も寂しいし、受け取りを拒否して籠城している自分自身もまた寂しいままですね。これが、一人で頑張り続ける頑張り屋さんの孤独を作る一つの理由にもなっているとも思います。

 

なので、この時、この大元にある優しさや思い遣りを表現するのに「受け取らずに相手に丁寧にお返しする」という方法ではなく、「ありがとう」と言って「受け取る」という方法で表現してみるのです。

せっかくの優しさですから、お互い寂しくなる方法ではなく、お互いハッピーになる方法で表現してみるのです。

すると、この壁が少しずつ取り払われ、相手の優しさと自分の優しさの交流が始まります。

 

つまり「受け取る」ことは、

「それぞれがそれぞれの価値感で孤立しながら一人で頑張る」という頑張り屋さんの世界観を、

「あなたの価値感や美意識も私の価値感や美意識も同じように価値があるし、私たちは一緒に存在できる」という世界観に一変させる

くらい、インパクトのある素敵な方法になるのですね。

 

「すみません」、「いえいえ」から、「助かります、ありがとう」、「嬉しいです、ありがとう」。

言うは易しで、恥ずかしがり屋で受け取り下手な頑張り屋さんにはとても勇気のいることです。

私も未だに、ただシンプルな「ありがとう」が恥ずかしさのあまりとても変てこなことになったりします笑

 

でもこうやって「すみません」から「ありがとう」にシフトして受け取るチャンネルを太くしていくほどに、

自分一人で無理して頑張ってきた人生が、周りと繋がりながら全然無理せず助けたり助けられたりしながら楽しくふわっと進んでいくようになります。

まずは、恥ずかしさを大いに感じながら、「ありがとう☆」。

是非試してみてほしいです。

 

(そしてこの「恥ずかしさ」も、実はとても大切で丁寧に扱いたいところなのです。またこれから記事にしていきますね!なんだか書く前からちょっと恥ずかしいようなソワソワするような。でもとても楽しみです♪)

 

閑話休題。

2年前に撮った写真です。

ふわふわワンコさんがお行儀よくポーズを決めてくれました。