欠点を愛するということ

今回は、

欠点を愛するということ

というタイトルにしてみました。

 

頑張り屋さんて、理路整然とした善し悪しの判断基準があるし、こうあるべき・こうするべきの基準もとても厳しいので、自分の欠点とか失敗を見つけるのはとても得意だと思うんですね。

で、それを材料に自分を責め続けるのも、それはもう自覚なく、趣味のようにやっているのではないでしょうか?

もしくは、自分を責める結果にならないように、いつも気を張り詰めて欠点を隠しあるいは克服し、正しいこと、善きことをするよう自分を律し続けているかもしれません。

(それでも何かしら至らないところに気づいてしまっては、また自分を責めるんですけどね。そしてどんなに小さな至らないところにも気づいてしまう細やかな感性も持ち合わせているのが、多くの頑張り屋さんの泣き所だとも思います。)

 

でも。

そもそも本質的には、欠点も美点も「個性」とか「特徴」でしかありません。

子供の頃には、欠点と言われるようなことさえもその子の個性として可愛がられたりしますよね。

でも学校での集団生活や、その後の社会生活やキャリアのレールの上などでは、あまり便利にならない個性は「欠点」と判断され、成果に繋がりやすかったり一般的に良しとされる個性は「美点」と判断されるようになります。

あと、もともと自分では欠点とは思っていなかったのに、親とか当時の彼とかに指摘されて急に欠点と信じるようになった、なんてこともたくさんあります。

そしていつの間にかその価値観に従って、自分の欠点を直し美点は伸ばして、世間一般的な「理想形」を目指すようになるんですよね。

 

なんていうか、もともとガーベラとして生まれたのに、一般的にはバラが美しいとされているから、とか、彼がバラをきれいと言ったから一生懸命バラになろうとして、でもどんなに頑張ってもバラにはなれない自分を頑張りが足りないと責め、バラと自分を毎日見比べては違いを「欠点」として列挙してため息をつく、みたいなことになっています。

あるいは、もともと毛筆用の筆として生まれたのに、今のデスク環境では出番がないので、便利に使ってもらってるシャーペンやボールペンを妬ましく思い、自分がデスク環境では不便だという特徴を、自分の存在意義に関わる「欠点」と考えて悲しむ、みたいな感じとも言えますかね。

あるいは…

えーと、もう止めますね笑

 

要は、何かの個性を「欠点」と判断するようになったのは、その個性がもともと悪いものだったから、ではなく、世の中とか周りの誰かの価値基準を学んだ結果、後付けなんですよね。

自分が何かしら説得力を感じた理由によって、その個性を「欠点」と考えるようになっただけ、なのです。

(そして説得力を「感じた」というのも大事で、というのは自分がその理由に説得力を感じなければ、「え?あなたはこれを欠点だと思うの?そうかな?」くらいでスルーしてしまうはずなのです。)

 

さて、こんな風に、「欠点」かどうかの判断はとても相対的だということが分かりました。

じゃ、その「欠点」をどうしましょう?という話です。

私は、欠点はただの個性だと思っているので、そこに「直す」必要も感じません。

むしろ、その個性を欠点だと気に病んで苦しくなってしまうその心のあり方を、もう少し楽な方向に変えていけたら良いね、という考え方です。

 

そこでもまたいろんなアプローチが考えられますが、もし、その個性を欠点と考えるようになった出来事や理由がトラウマになるほどショックだったのであれば、やはりそこを丁寧に掘り下げるのが良いと思います。

もちろん、無理やりやる必要はなくて、心の準備が整ったときで大丈夫です。それから、一人で掘り下げるのが苦しい場合は、カウンセリングなどもご検討くださいね(いつも若干名様しか募集できないのですが、募集する際はメルマガでお知らせします)。

 

また、そこまで心の負担が深刻でない場合は、自分でその「欠点」をまるっと愛しちゃう、という方法が私は好きです。

「私、料理ができないの。ま、それも私の可愛いところなんだけど!」
「私、だいぶポンコツなの。ま、それも私の可愛いところなんだけど!」

みたいな感じですね。

これ、人の前で声に出したらだいぶイタいですが笑、一人でアファメーションとしてやる分には大丈夫なはず。

もちろん最初はものすごい抵抗感が出てきますよ、「私何言ってるんだろ、バカみたい」とモヤモヤが止まらなくなります。

この抵抗感が、その個性を欠点と信じてきた自分からの抵抗なんですよね。これは自然現象なので、抵抗があっても念仏のように心を無にして唱え続けてください。

毎日何百回と唱えつつ、3ヶ月くらい続けると良いです。

 

で、この方法のすごいところは、「欠点」を自分で可愛いと思えるようになってしまうと、不思議と周りからもそれを「望ましくないもの」として指摘されることがなくなっていくことなのです。

(投影という心の仕組から説明できるのですが、あまり心理学の用語を織り交ぜるのが好きではないので、詳しい話はここでは端折ります。)

つまり周りの反応も、「あなたはそういう人だもんね」で済んでしまうようになるんです。そしてその頃には自分でも「それも私の可愛いところなんだけど!」も人前でも結構言えちゃうようにもなります。わざわざ言う必要はないですが。

そして、それが魅力になっていきます

これも自然なことなんですけどね。

というのは、そもそも「欠点」は、「個性」に善し悪しの判断をくっつけたものなので、その判断を剥がしてしまえばそれはその人の個性なのです。その個性が自然に表現されれば、おのずと魅力になっていくものです。

 

自分の個性のうち、「美点」だけを愛して「欠点」を嫌って責めている時、当然私たちは自分自身を丸ごと愛することができていません。

それは実は意外と心の負担になっています。

でもこんな風に美点だけでなく欠点も含めて、全部が私の愛しい「個性」として受け入れられるようになると、自己価値感は爆上がりします。

そして自己価値感が爆上がれば、生きるのがどんどんイージーモードになっていきます。

これは、試さない手はない♪

と、思いませんか?

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

夕暮れ時に、運河沿いの街灯がつき始める時間がとても好きです。

ロマンチックな運河ですが、実はそれはそれはたくさんの自転車が落ちて沈んでいます笑